第74話:龍虎相搏つ
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耳朶を打つ歓声が、爆発音のように鼓膜を激しく叩きつける。
瓦礫の底から這い出したリュウジィの視界は、どろりとした狂熱の色に染まっていた。
全身の血管を凄まじい勢いで駆け巡る、爆発的な熱量。
それは単なる内功の循環を超え、黒竜ファフニールの意志そのものが、リュウジィの肉体を最も効率的で禍々しい「破壊の器」へと造り変えていく、確かな感覚だった。
リュウジィは、信じられない思いで自らの体を見下ろした。
先ほどまで装備全体を真っ赤に染め上げていた「深紅」の衣。
その上を、まるで底知れぬ巨獣の鋭い爪で引き裂いたかのような「漆黒」の横縞が幾重にも走り、さらにその裂け目を埋め尽くすように「金色」の光が凄まじい周期で脈動している。
天を統べる竜の威光が、地を這う猛虎の意匠を借りて我が身に顕現したかのような、妖しくも圧倒的な三色のコントラスト。
一歩踏み出すごとにそのタイガーストライプが波打ち、あたかも巨大な魔獣が獲物を前にして全身の毛並みを闘志で逆立てているかのような、息を呑むほどの威圧感を放っていた。
「……なんだ、この力は」
呟いた声は、自身のものとは思えないほど低く、地を這うような重い響きを帯びている。
だが、今のリュウジィにとって、そんな困惑などどうでもよかった。
腹の底から底知れぬ勢いで突き上げてくるのは、ただ純粋なまでの猛烈な破壊衝動のみだ。
リュウジィは、血走った眼光で目の前に身構える漆黒の魔獣――オーガを見据えた。
オーガは不気味に唇を歪め、未だに余裕の色を崩さない。
格下と侮っていた人間が放ち始めた異質な気配をどこか面白がり、これからなぶり殺してやろうとする魔獣の傲慢さが、その瞳に深く宿っている。
リュウジィは、静かに、しかし澱みなく重心を落とした。
足の指が、固く踏み固められた闘技場の砂を深く、鋭く噛みしめる。
膝より上は余分な力を完全に排し、極限までリラックスした状態。
最も効率的に、最も確実に形意拳の技を撃ち込むための歩幅を、ファフニールの暴走するエネルギーの奔流の中で完璧に維持する。
一歩。
大地を蹴り出した瞬間、リュウジィの姿が陽炎のようにゆらりと歪み、次の瞬間にはすでに魔獣の懐へと深く潜り込んでいた。
「おおおおおおおっ!」
獣の咆哮を思わせる叫び声を轟かせながら、リュウジィは赤黒い炎を纏う掌を真っ直ぐに突き出す。
余計な予備動作を一切排除し、最短距離の軌道を描いて空間を撃ち抜く「劈拳」。
その一撃は周囲の空気を猛烈に圧縮し、逃げ場のない圧力を生み出していく。
オーガはそれをせせら笑うかのように、丸太のように太い剛腕の拳をリュウジィの掌へと正面から叩きつけた。
力と力でねじ伏せ、その命を容赦なく刈り取ろうとする、強者特有の迎撃。
激突。
内功による煮え滾る熱気と、魔獣の放つ圧倒的な重圧がぶつかり合った瞬間、闘技場全体を根底から揺るがす「ドォォォォォォォン!」という凄まじい衝撃音が爆発した。
だが、先ほどまでの絶望的な力関係には、もはや決定的な違いがあった。
リュウジィの体は、微塵も弾き飛ばされない。
タイガーストライプの衣の奥底で、竜の剛力がオーガの全力を込めた拳を真正面から受け止め、そのまま押し返していた。
直後――「グシャアアッ!」という耳をつく生々しい破壊音が響き渡る。
あれほど余裕に満ちていたはずのオーガの拳を、リュウジィの真っ直ぐな掌打が正面から捉え、その腕を力ずくでねじ伏せた。
骨が砕け、肉が歪む。
魔獣の傲慢な余裕は一瞬でかき消され、砂塵を震わせる絶叫へと変わった。
「ギュガアアアアッ!」
拳を砕かれたオーガが、凄まじい苦悶の咆哮を上げながらも、反射的に即座の反撃へと移行する。
巨体に似合わぬ神速で、予備動作が皆無に近い鋭い回し蹴りが、リュウジィの側頭部めがけて猛烈な勢いで振り抜かれた。
だが、リュウジィはそれを地を這うような極限の低空姿勢でするりと躱す。
舞い上がる砂煙の中、常軌を逸したスピードで魔獣の死角へと滑り込み、瞬く間にその背後へと回り込んだ。
リュウジィの両掌が、無防備に晒されたオーガの腰へと吸い込まれるように構えられる。
「虎形拳……!」
両の掌から一気に解き放たれたのは、蓄積された内功の爆発的な解放だった。
「パアアアアアンッ!」
鼓膜を激しく劈くような高音が鳴り響く。
強烈な衝撃を背中に受けたオーガの巨体は、たまらず前方へ大きくつんのめるように弾き飛ばされた。
「グガッ……!?」
バランスを崩した巨体が宙を舞い、強大な魔獣が無様に両手両膝を地面についたまま、前のめりに崩れ落ちる。
その絶好の隙を、リュウジィは見逃さない。
超高速のステップで踏み込み、地面を蹴って高く跳躍すると、その影が膝をつくオーガを完全に呑み込んだ。
リュウジィは空中で鮮やかに身を翻し、全体重と重力による落下の加速を、その足元へと一点集中させる。
「逃がさねえぞ」
冷徹な一言とともに、ヒヒイロカネの特殊素材を仕込んだ重厚な靴底が、オーガのアキレス腱を正確無比に踏み抜いた。
「メキメキッ! バキィィィィィィンッ!」
超硬度の金属が、魔獣の強靭な腱を容赦なく圧し潰していく。
闘技場を激しく震わせるほどの一撃が、魔獣の生命線である両脚の機動力を根こそぎ奪い去った。
「ゴ、ア……ッ!!」
あまりの激痛に、オーガの喉から掠れた悲鳴すら出ないほどの絶叫が漏れる。
だが、魔獣の闘志はまだ死んでいなかった。
背後に迫るリュウジィを文字通り叩き落とすべく、使い物にならなくなった拳とは逆の剛腕を、背後へと力任せに振り抜く。
半ば自暴自棄でありながら、大木をも一撃でなぎ倒すほどの破壊力を秘めたバックブロー。
リュウジィは紙一重の差でその巨腕の軌道を躱し、素早く十分な間合いを取った。
オーガは潰された右足を引きずり、怒りと恐怖で全身をブルブルと震わせながら、屈辱に染まった表情で這いつくばるようにして、どうにか立ち上がる。
先ほどまでの絶対的な支配者の面影は、もはやどこにも残っていなかった。
激しく揺れる巨体と、血走った異様な眼光。
魔獣としての執念だけを支えに、オーガは再びリュウジィをまっすぐに睨み据えていた。




