第57話:鉄壁を砕く拳
「始め!」
審判の合図と同時に、影丸が消えた。
地を這うような低空の踏み込みから、一気にリュウジィの懐へ潜り込む。
影丸は右手の武器を逆手に持ち替え、最短距離で喉元を突き上げた。一切の躊躇がない必殺の刺突。
だが、リュウジィは一歩も引かない。
最小限の動きで首を傾け、耳元を「ヒュッ!」と裂く音を残して武器が通り過ぎる。
影丸は即座に手首を返し、突き出した武器をそのまま横に薙ぎ、リュウジィの首筋を強引に狙ってきた。
これまでの相手なら、ここでリュウジィのカウンターが決まって終わっていた。だが、影丸は空いた左手の武器を盾にするように割り込ませ、あえてリュウジィの拳を誘う。
リュウジィは踏み込みのタイミングをわずかにずらした。
直後、影丸が放った死角からの鋭い蹴りが、リュウジィのいた空間を激しく薙ぐ。
今までの相手とは違う。この大会の舞台に上がってくるだけのことはあり、影丸は執拗に、かつ正確にリュウジィの隙を狙い続けてくる。
影丸は低い姿勢のまま止まらず、左右の武器を交互に繰り出し、リュウジィを追い詰めるように斬りかかった。
火花が散るような猛攻の嵐が吹き荒れる。会場からは、影丸の鮮やかな連撃に対して、これまでにない大きなどよめきが沸き起こった。
だが、リュウジィの足取りは乱れない。その猛攻をすべて紙一重でかわしながら、反撃の機会を冷静に見極めていた。
「ここだ」
リュウジィが小さく呟くと同時に、鋭い踏み込みで影丸の懐へと一気に潜り込んだ。
肋骨の隙間を縫うように、垂直に突き出された右拳が、影丸の心臓を最短距離で貫く。
「崩拳!」
「ドンッ!」
内臓を直接震わせる衝撃に影丸の顔が歪み、その体は闘技場の壁面まで一直線に吹き飛ばされた。
壁に激突した影丸は、そのまま力なく地面に崩れ落ちた。ピクリとも動かないその姿に、会場の喧騒が一瞬で静まり返る。
審判が駆け寄り、影丸の様子を確認してから鋭く手を振り上げた。
「勝者、リュウジィ!」
割れんばかりの歓声が闘技場を包み込む中、リュウジィは一礼して舞台を降りた。
控室へと戻る通路の脇、担架で運ばれていく影丸とすれ違う。一撃で勝負は決したが、1日2戦行われるこの大会では、感傷に浸っている時間はなかった。
リュウジィは軽く汗を拭い、椅子に深く腰掛けた。
「さて、次の相手は……」
対戦表に目を落とすと、そこには1日目最後の対戦相手となる名前が記されていた。
『バルカン』
聞いたことのない名だ。だが、この大会に勝ち残っている以上、先ほどの影丸同様、一筋縄ではいかない相手なのは間違いないだろう。
リュウジィは深く息を吐き、目を閉じた。
高ぶった神経を鎮めていく。内功による身体強化は絶大だが、その分、精神的な集中力も削られる。
控室の静寂の中で、リュウジィは自身の呼吸を整えることに専念した。
一分、二分……。
やがて、次の試合の開始を告げる鐘の音が、会場に響き渡った。
「……よし」
リュウジィはゆっくりと立ち上がった。汗は引き、呼吸は完全に安定している。
ファフニールの感触を確かめながら、再び闘技場へと続く通路へと歩き出した。光の差し込む出口の向こうには、さらなる熱狂が待ち構えていた。
眩い日差しの中、舞台の中央に立つその男は、まるで行く手を阻む断崖のようだった。
バルカン。
見上げるほどの長身に、装飾を一切削ぎ落とした分厚い鉄板の重装甲を纏っている。それは騎士の鎧というよりも、打ち捨てられた城門を強引に体に巻き付けたような無骨な塊だった。
その手に剣や槍といった武器はない。ただ、彼の胴体すら隠しそうなほど巨大なタワーシールドだけが、不気味な存在感を放っていた。
バルカンがゆっくりと盾を構え直すと、金属同士が擦れ合う重苦しい音が周囲に響いた。彼は無言のまま、鉄仮面のスリット越しにリュウジィを見下ろしている。
ただそこに立っているだけで、舞台の半分が埋まったかのような圧迫感。
リュウジィは丹田に意識を集中して重心を落とした。
バルカンは、リュウジィが重心を落としたのを見ても動かなかった。ただ、巨大なタワーシールドの裏で、その巨体がわずかに沈み込む。
「……始め!」
審判の鋭い合図が響いた。
リュウジィは一気に地を蹴った。先ほどの影丸戦よりもさらに鋭く、直線的な踏み込み。瞬時に間合いを詰め、バルカンの正面に躍り出る。
リュウジィの右拳が、内功の衝撃を伴って放たれた。
「崩拳!」
「ガギィィィンッ!」
闘技場全体に、耳を刺すような金属音が轟いた。
リュウジィの拳は、バルカンが瞬時に位置を調整した大盾の中央に叩きつけられていた。
これまでの相手なら、盾ごと吹き飛ばされるか、盾を貫通して勝負が決まっていたはずの一撃。
だが、バルカンは数歩下がっただけだった。
盾の表面には拳の形にわずかな窪みができたものの、その衝撃のすべてを、彼は巨体と重装甲で受け止めてみせたのだ。
リュウジィの眉が、わずかに動いた。
直後、バルカンの巨体が、溜めていたバネを解放するように前へと爆発した。
巨大な盾を前面に突き出し、重戦車が突進してくるかのような勢いでリュウジィを押し潰しにかかる。
単純だが、回避不能なほどの質量。その重厚な盾の縁が、リュウジィの視界を真っ暗に染めるように迫り寄った。
リュウジィは即座に横へと跳び、盾の直撃を回避した。
しかし、バルカンは止まらない。空振った勢いをそのまま利用し、巨大な盾を力任せに振り下ろした。
「ズガァァァンッ!」
爆鳴と共に舞台の石畳が爆ぜ、鋭い破片が四方に飛散する。
リュウジィはその衝撃を受け流すが、大きく波打つ足場に体勢をわずかに削られた。
バルカンは再び無言で盾を構え直し、じりじりと距離を詰めてくる。その一歩一歩が、闘技場を物理的に狭めていくようだった。
「これならどうだ!」
劈! 崩! 鑽!
五行拳の三連撃。
「ドン! ドン! ドン!」
盾の中央に、内功を乗せた重い拳を叩き込む。
バルカンの突進が完全に止まり、その巨体が後ろにのけぞった。
バランスを崩したバルカンに、すぐさま追撃をかける。
金色の残像が鋭く走り、リュウジィが加速する。
「虎形拳!」
「パァァァァァンッ!」
両掌でタワーシールドの中央を叩く。
バルカンのタワーシールドは弾かれ、その巨体が宙に吹き飛ぶ。
吹き飛ぶ身体に追い付くスピードで、リュウジィがさらに踏み込む。
バルカンの顔面をスタンプするように。
「劈拳!」
「バンッ!」
バルカンの巨体が回転しながら吹き飛び、闘技場の壁に激突した。
静まり返った会場に、バルカンの重装甲が地面に転がる低い金属音だけが響く。ピクリとも動かないその姿を確認し、審判が鋭く手を振り上げた。
「勝者、リュウジィ!」
一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声が闘議場を揺らした。
リュウジィは平然と立ち、乱れぬ足取りで舞台を後にした。
これで一日目の全試合が終了した。
だが、リュウジィの視線はすでに、さらに苛烈さを増すであろう明日の対戦表へと向けられていた。




