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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第55話 嵐の予兆




 タツヨの家で静かに休息を取っていた二人のもとに、突如として不穏な知らせが届いた。


 心臓を抉るような激しい扉を叩く音とともに現れたのは、闘技場の裏で糸を引く運営側の冷酷な使者だった。


「リュウジィ、それからタツヨ・ジョージ。次回の闘技大会の対戦カードが決定した」


 使者が冷ややかに差し出した書面を、リュウジィは険しい表情のまま受け取る。


「……トーナメント大会?」


「そうだ。今回は多額の賞金が懸けられた大規模なトーナメントだ。貴様にはその中心として出場してもらう。組み合わせはすでに決まっている」


 使者は侮蔑の色を隠さない事務的な口調で告げ、さらに追い打ちをかけるように付け加えた。


「開催は二週間後だ。それまでに牙を研いでおけ」


 冷徹な視線を残した使者は、すっと身を翻して今度はタツヨへと視線を向けた。


「タツヨ・ジョージ。お前はトーナメントではない。決勝戦の前座として、特別試合が組まれた」


「前座ぁ? 誰が相手だよ」


 タツヨがわざと投げやりな口調で尋ねる。


 しかし、使者の薄汚い口から出たその名を聞いた瞬間、広いはずの室内の空気は一瞬にして凍りついた。


「相手はオーガだ。かつて貴様を完膚なきまでに叩き伏せた、あのオーガとの再戦だ」


「いよいよかよ。今度こそボコボコにしてやるよ」


 タツヨはゾッとするほど不敵に笑い、闘志を滾らせるように拳をゴキリと鳴らした。


 用件だけを淡々と終えた使者は、人間味のない冷淡な一礼を残すと、玄関の重い金属の扉をバタリと閉めて立ち去った。


 遠ざかっていく革靴の足音が石畳の路地に空しく反響し、やがて夜の静まり返った闇の中へ完全に消えていった。


 リュウジィは、自らの宿命を悟るように、固く握りしめた拳をじっと見つめているタツヨに静かに語りかけた。


「勝算はあるのか? 化け物なんだろ?」


「あるとかないとか関係ねえよ。負ける気で闘技場の砂場に行くやつなんて、いねえよ」


 そう言い放つタツヨの瞳の奥には、死をも恐れぬ強い決意の炎が燃え盛っていた。


「お前の方こそ大丈夫か? わかると思うけど、これはお前と俺を潰すための計画だぞ。トーナメント表は、きっと強い奴としか当たらないようになっているはずだ」


「もう、やるしかないだろ?」


「あと二週間しかないけど、ベストコンディションに持っていくから、今からトレーニングしてくるわ」


 タツヨはそう言い放つと、リュウジィに大切に扱ってきたスペアの家の鍵を放り投げるように渡し、血を沸かせるように着替えて外へと飛び出していった。


(俺も、やるか)


 タツヨとの命がけの戦いを経て、愛剣ファフニールは異次元の進化を遂げた。


 だが、その底知れない刃の重みを受け止めるべき俺自身の内功が、まだ到底追いついていないことを肌身で痛感していた。


 だから俺は最近、ひたすら基礎の底上げとなる基本功を狂ったように練習している。


 形意拳の極意は、ただ立つだけの三体式だ。


 後ろ手は丹田の横に添え、前手は敵の急所である喉元を正確に指し示す。


手のひらをわずかに窪ませ、一本一本の指先まで意識を通す。


顎を深く引き、頭のてっぺんが天井から細い糸で吊るされているかのように、背筋を真っ直ぐに伸ばす。


 外から見れば、ただその場で直立しているだけの滑稽な姿にしか見えない。


 だが、その肉体の内側では、足裏から指先に至るまで、全身のすべての関節が一本の鋼鉄の鎖のようにつながっている。


 重心は寸分の狂いもなく、ど真ん中。

 五分対五分。


 前にも後ろにも、あるいは左右にも、人間の思考のスピードよりも速く爆発できる「ゼロ距離の加速器」のように。


 まさに今、獲物を目の前にした猛獣が、飛びかかる直前の極限状態ですべての産毛を逆立て、気配を凝縮するように、俺は無音のまま静かに立った。


 ……その姿勢のまま静止して、数分。


 全身の毛穴からじわりと冷たい脂汗がにじみ出し、乳酸の溜まった両膝がガクガクと情けなく笑い始める。


 ただその場に立っているだけだというのに、全身の筋肉が断末魔の悲鳴を上げ、呼吸のたびに肺の奥が焼け付くように熱く痛む。


 意識の暗闇が視界を覆い、気絶しそうになるたび、俺は必死に自分の足裏の感覚へと神経を極限まで集中させた。


 冷たい地面を裸足でガッチリと掴む感覚。


 そこから地中深くまで伝わる確かな反発が背骨の髄を通って一気に拳へと突き抜けていく。


 それまでバラバラだった全身の肉体のパーツが、ミリ単位の狂いのない調整で一つにカチリと噛み合っていく。


「……まだだ」


 進化したファフニールは、今や俺の腕の中で静かに、だが確かな鼓動を打つように脈動している。


 まるで、未熟な主人の完全な覚醒をじっと待ちわびているかのように。


 俺の肉体がこの途方もない重圧に完全に耐え、それを自分の手足のように自在に操れるようになるまで、この地獄のような静止の苦行を止めるわけにはいかない。


 一秒一秒が、まるで永遠のように長く引き延ばされて感じられる。


 それでも俺は、目の前のただ一点だけを見据え、すべてを焼き尽くすような嵐の中の静寂の中に身を浸し続けた。


 その頃、喧騒を離れたアズマリアの美しい海沿いにひっそりと建つ、静謐な白亜の館。


 絶え間なく打ち寄せる潮騒の音が心地よく響くその一室に、すべての黒幕を影で操る骸衆の頭領・クルシオの姿があった。


「久しぶりです。オーガさん」


 クルシオが愛想笑いを浮かべて声をかけたその先にいたのは、まるで人間ではなく青銅の重厚な鎧を纏っているかのような、常軌を逸した屈強な筋肉を持つ男だった。


 波打つ美しいウェーブがかかった金髪に、深く彫り込まれた精悍な顔立ち。


 その底知れぬ鋭い眼光は、鍛え抜かれた額から右の目尻にかけて生々しく刻まれた深い傷跡と相まって、一目見る者を射抜くような圧倒的な威圧感を放っていた。


「クルシオか。相変わらず、あの大臣のお守りか?」


「そう言わないでくださいな。これも私にとって大切な仕事なんですよ」


 クルシオはわざとらしく肩をすくめて苦笑いを見せた。


 しかしオーガはそんな軽口には一切乗らず、冷めた視線を再び目の前の荒れた海へと戻し、退屈そうに短く問いかけた。


「そっか。前回の退屈な戦いからもう三ヶ月経ったか。今度の相手は誰だ?」


「タツヨ・ジョージです」


「はあ? またあいつか。何度やっても結果は変わらねえだろ」


 オーガは心底うんざりしたように鼻を鳴らし、大きく息を吐き出した。


「しかし、あれだな。世間じゃ武道家スキルはハズレだなんて言われてるが、俺から言わせれば、剣士や魔術師の方がよっぽどハズレじゃねえのか? どいつもこいつも、弱すぎて話にならねえ」


「それはオーガさん。武道家スキルの中でも、頂点に君臨するSランクのあなたは特別ですよ」


 クルシオは相手を持ち上げるようにさらりと受け流し、さらに含みのある言葉を続けた。


「それと今回は、タツヨ以外にもう一人、あなたを心から楽しませてくれる相手がいますよ」


「二人とも、やっちまっていいのか?」


「もちろんです。あなたの好きなように料理してください」


 クルシオが深く、恭しく頷くと、オーガの整った口角が獣のように獰猛に大きく吊り上がった。


「わかった」


 オーガはそれだけを短く応じると、ゆっくりと重い巨体を立ち上がらせ、窓の外にどこまでも広がる荒れた海を鋭く睨みつけた。


 ただ彼がわずかに動いただけで、広大な館の空気全体がドクリと一気に重く沈み込む。


 金髪の隙間から覗くその血走った鋭い眼光は、はるか遠くの山の向こうに潜む獲物を発見した獰猛な野生の猛獣そのものだった。


「期待して待ってるぜ。俺を本気にさせるだけの奴が、そこに残っていることをな」


 窓の外では、荒れ狂う南の海が岩礁に激しく砕け散り、真っ白な飛沫を轟音とともに上げていた。


 だが、その自然の猛威ですら、目の前の恐るべき怪物が浮かべた底知れぬ獰猛な笑みの前では、どこか色褪せて静かにさえ見えたのだった。





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