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第55話 嵐の予兆



 タツヨの家で休息を取っていた二人のもとに、その知らせは届いた。

 扉を激しく叩く音とともに現れたのは、闘技場の運営側の使者だった。


「リュウジィ、それからタツヨ・ジョージ。次回の闘技大会の対戦カードが決定した」

 

差し出された書面を、リュウジィが受け取る。


「……トーナメント大会?」


「そうだ。今回は多額の賞金が懸けられた大規模なトーナメントだ。貴様にはその中心として出場してもらう。組み合わせは既に決まっている」

 使者は事務的に告げ、さらに付け加えた。

「開催は2週間後だ。それまでに牙を研いでおけ」

 使者は次にタツヨへ視線を向けた。


「タツヨ・ジョージ。お前はトーナメントではない。決勝戦の前座として、特別試合が組まれた」


「前座ぁ? 誰が相手だよ」


タツヨが投げやりな口調で尋ねる。使者の口から出た名を聞いた瞬間、室内の空気が凍りついた。


「相手はオーガだ。かつて貴様を完膚なきまでに叩き伏せた、あのオーガとの再戦だ」


「いよいよかよ。今度こそボコボコしてやるよ」


タツヨは不敵に笑い、拳を鳴らした。

 用件を終えた使者は、冷淡な一礼を残すと、玄関の重い扉を閉めて立ち去った。遠ざかっていく足音が石畳に反響し、やがて夜の静寂の中に消えていった。

 リュウジィは、握りしめた自らの拳を見つめているタツヨに語りかける。


「勝算はあるのか? 化け物なんだろ?」


「あるとかないとか関係ねえよ。負ける気で闘技場の砂場に行くやつなんて、いねえよ」


そう言い放つタツヨの目には、強い決意が宿っていた。


「お前の方こそ大丈夫か? わかると思うけど、これはお前と俺を潰すための計画だぞ。トーナメント表は、きっと強い奴としか当たらないようになっているはずだ」


「もう、やるしかないだろ?」


「あと2週間しかないけど、ベストコンディションに持っていくから、今からトレーニングしてくるわ」

 

タツヨはそう言い放つと、リュウジィにスペアの家の鍵を渡し、着替えて外へと出て行った。


(俺も、やるか)


タツヨとの戦いを経て、ファフニールは進化した。だが、それを受け止めるべき俺の内功が、まだ追いついていないことを痛感していた。

だから俺は最近、ひたすら基本功を練習している。

形意拳の基本は、三体式だ。

後ろ手は丹田の横に、前手は相手の喉元を指す。手のひらを窪ませ、指先に力を込める。顎を引き、頭のてっぺんが天から吊るされているかのように背筋を伸ばす。一見するとただ立っているだけだが、その内側では、足裏から指先に至るまで、全身の関節を一本の鎖のようにつなぎとめていた。

 

重心はど真ん中、五対五。

前にも後ろにも、あるいは斜め上にも、思考より速く爆発できる『ゼロ距離の加速器』。獲物を前にした猛獣が、飛びかかる直前に全身の産毛を逆立てて凝縮するように、俺は静かに立った。

 

……静止して、数分。


じわりと脂汗がにじみ、膝がガクガクと笑い始める。ただ立っているだけだというのに、全身の筋肉が悲鳴を上げ、肺の奥が焼け付くように熱い。

 意識が飛びそうになるたび、俺は自分の足裏に神経を集中させた。

 地面を掴む感覚、そこから伝わる反発が背骨を通って拳へと抜けていく。バラバラだった全身のパーツが、ミリ単位の調整で一つに噛み合っていく。


「……まだだ」

 

進化したファフニールは、俺の腕の中で静かに脈動している。まるで、主人の成長をじっと待っているかのようだった。


俺の体がこの重圧に耐え、それを自在に操れるようになるまで、この地獄のような静止を止めるわけにはいかない。

 一秒が、永遠のように長く感じる。

 それでも俺は、ただ一点を見据え、嵐のような静寂の中に身を浸し続けた。



アズマリアの海沿いに建つ、静かな館。

潮騒の音が響くその場所に、骸衆の頭領・クルシオが訪れていた。


「久しぶりです。オーガさん」


クルシオが声をかけた先にいたのは、まるで青銅の鎧を着ているかのような、重厚な筋肉を持つ男だった。

 ウェーブがかかった金髪に、彫りの深い顔立ち。その鋭い眼光は、額から右の目尻にかけて刻まれた深い傷跡と相まって、見る者を射抜くような威圧感を放っている。


「クルシオか。相変わらず、あの大臣のお守りか?」


「そう言わないでくださいな。これも仕事なんですよ」


クルシオは肩をすくめて苦笑いを見せた。オーガは視線を海へと戻し、短く問いかける。


「そっか。前回の戦いから三ヶ月経ったか。今度の相手は誰だ?」


「タツヨ・ジョージです」


「はあ? またあいつか。何度やっても結果は変わらねえだろ」


オーガはひどく退屈そうに鼻を鳴らした。


「しかし、あれだな。世間じゃ武道家スキルはハズレだなんて言われてるが、俺から言わせれば、剣士や魔術師の方がよっぽどハズレじゃねえのか? どいつもこいつも、弱すぎて話にならねえ」


「それはオーガさん。武道家スキルの中でも、Sランクのあなたは特別ですよ」

 

クルシオはさらりと受け流すように言い、言葉を続けた。


「それと今回は、タツヨ以外にもう一人、楽しめる相手がいますよ」

「二人とも、やっちまっていいのか?」

「もちろんです」

クルシオが深く頷くと、オーガの口角が獰猛に吊り上がった。


「わかった」

 

オーガはそう短く応じると、立ち上がって窓の外に広がる荒れ狂う海をねめつけた。


ただ彼が動いただけで、館の空気が一気に重く沈み込む。金髪の間から覗く鋭い眼光は、はるか遠くの獲物を捕らえた猛獣そのものだった。


「期待して待ってるぜ。俺を本気にさせるだけの奴が、そこに残っていることをな」


窓の外では、荒れ狂う波が岩礁に砕け散り、白い飛沫を上げている。

その凶暴な海ですら、目の前の怪物が浮かべた獰猛な笑みの前では、どこか静かにさえ見えた。


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