第53話:託す手紙
夜の闇を縫うように、リュウジィとタツヨはフロドとプリカの待つ小さな家へと急いだ。
二人が静かに眠る家へ戻ると、リュウジィは軋む音を立てないよう、慎重に扉を開けた。タツヨは中へ入らず、入り口の暗がりに立ったまま、周囲の気配を鋭く警戒している。
「あいつなら、二人のことを任せられるな」
リュウジィの脳裏に、遠く離れたキングスフォーンで自分の店を任せている、頼もしい男の顔が浮かんだ。
懐から羊皮紙を取り出すと、一息つく間もなく筆を執る。
宛先は、自分たちが営む店『ギャングスター』。
「誰を呼ぶつもりだ?」
入り口の暗がりに立つタツヨが、夜風に声を紛らわせるように尋ねてきた。
リュウジィは筆を止めずに答える。
「俺の店で働いてるやつだよ。腕は確かだし、信頼できる」
滑らかな筆運びで、羊皮紙に手短に要件を書き記していく。
『急ぎだ。この手紙を持って、すぐアズマリアの俺のところへ来い。お前に預けたい二人の子供がいる。お前にしか頼めない。店の方はハクさんとカエデに任せて、すぐに出発してくれ』
書き終えると、リュウジィは手紙を小さく折り畳んだ。
そして翌朝。
温かい朝食を終えたばかりのフロドとプリカを、リュウジィは静かに呼び止めた。
二人の前に腰を下ろし、真っ直ぐに潤んだ瞳を見つめ返す。
「いいか、二人とも。大事な話がある」
いつもより真剣なリュウジィの声に、フロドとプリカの表情が強張った。
「しばらくの間、ここを離れてキングスフォーンへ行ってくれないか? 俺の店がある街だ」
「……ここを、離れるの?」
フロドが信じられないといったように、大きく目を見開く。
隣ではプリカも不安げに小さな身体を震わせながら、リュウジィの顔をじっと見つめていた。
「ああ。どうやら、悪い奴らがお前たちのことを狙っているみたいなんだ。ここにいると、お前たちまで巻き込まれちまうかもしれない」
「近いうちに、俺の信頼できる仲間が迎えに来る。そいつと一緒に、安全な場所へ移動してほしいんだ」
リュウジィは二人の小さな肩に、そっと手を置いた。
「少しの間だけだ。向こうへ行けば、俺の仲間たちがちゃんと面倒を見てくれる。何があっても、俺が必ず守ってやるからな」
「わかったよ。兄さんには闘技場の賭けでいっぱい儲けさせてもらったしな。プリカと一緒なら、俺はどこへだって行くよ」
フロドが不安を押し殺すように力強く頷く。
その隣でプリカも、リュウジィの衣服の裾をぎゅっと握りしめた。
「リュウジィお兄ちゃんが言うなら、私、頑張る。フロドお兄ちゃんと一緒なら怖くないもん」
それから六日後の夕暮れ時。
静かな街並みに馬の足音が響き、待ちわびていた懐かしくも威勢のいい声が聞こえてきた。
「兄貴! ただいま参上しました!」
勢いよく馬車から飛び降りたバッドの腰には、柄頭に精巧な狼の彫刻が施された、ミスリル製の美しいロングソードが下げられている。
その隣には、バッドと同じくらいの歳格好をした、落ち着いた雰囲気の男が静かに立っていた。
男の腰にあるのは、肉切り包丁を少し長くしたような独特の形状と反りを持つ剣、ファルシオンだ。
「兄貴がいない間、雇う人間はハクさんに任せてたじゃないですか。こいつ、ガキの頃からの友達で、今は店の二階で働いてるシドって言います。ほら、兄貴に挨拶しろ」
バッドに促され、シドと呼ばれた男が丁寧な動作で深く頭を下げた。
「どうも初めまして。シドと言います。よろしくお願いいたします」
「どうも初めまして。話は聞いてると思うけど、リュウジィです。よろしくお願いしますね」
バッドとは対照的な落ち着いた様子のシドを見て、リュウジィはわずかに笑みを零した。
「バッドよりちゃんとしてるね。こいつなんか初対面の時に、『この募集、本当かよ~』なんてイキっててさ」
「ちょっと兄貴、やめてくださいよ!」
遠い昔の恥ずかしい話を不意に持ち出され、バッドが顔を真っ赤にして慌てふためく。
「思ったより早かったな」
「カエデ姉さんが一番早い馬と馬車を用意してくれたんで。それと、ハクさんが『必ず店は守ります』と伝えてくれと」
「店のほうはどうなの?」
「相変わらず忙しいですよ。こいつを雇うくらいですから」
そう言いながら、バッドは隣にいるシドの頑丈そうな肩を軽く叩いた。
すると、ふと思い出したように、バッドが真面目な顔になって声を潜める。
「そういえば、兄貴。ツキノさん、週一で来てますよ。心配してましたよ」
「そっか」
「ところで、この二人ですか? 初めまして。俺、バッド。こいつはシド。よろしくね」
バッドが少しかがみ込み、子供たちの視線に合わせるように柔らかく笑う。
フロドとプリカが一歩前へ出た。
「俺はフロド。リュウジィ兄さんには世話になってるんだ。よろしく、バッドさん、シドさん」
「……プリカです。よろしくお願いします」
無事に挨拶を終えると、リュウジィはバッドを馬車から少し離れた人気のない物陰へと連れ出した。
周囲に不審な気配がないか鋭く警戒しながら、リュウジィは引き締まった声で告げる。
「バッド、悪いが頼みがある。あの子たちを、お前の命に代えても守り抜いてくれ。何があっても、無事にキングスフォーンまで届けてほしいんだ」
「任せてくださいよ。兄貴の大事な預かりもんでしょう? このバッド様が、指一本触れさせずに送り届けてみせますよ」
リュウジィは、バッドの嘘偽りのない真っ直ぐな言葉に強く頷いた。
そして、愛する子供たちをその背に託して送り出した。
アズマリアの華やかな街並みを離れて数日。
馬車が人気のない鬱蒼とした峠道に差し掛かった時、まるで空気そのものが凍りつくような異様な気配が走った。
不意に、森の影から音もなく数本の鋭い投げナイフが放たれ、馬車の車輪をギリギリと掠める。
異常を察知したバッドは、即座に荒々しく手綱を引き、馬車を急停止させた。
「……シド、久々に暴れんぞ!」
バッドの戦闘開始を告げる鋭い声が、静まり返った峠道に響き渡る。
馬車の中では、フロドが震えるプリカを自分の身体で覆うように、必死に抱き寄せていた。
外から聞こえてくる不穏な金属音に、恐怖で全身を硬くする。
プリカはフロドの温かい腕の中で固く目を閉じ、リュウジィが別れ際に言った言葉だけを信じ、祈るように小さな身体を震わせていた。
鬱蒼と茂る木々の枝から、まるで闇そのものを纏ったような漆黒の黒装束姿の五つの影が舞い降りる。
恐るべき暗殺集団・骸衆。
五人の刺客は羽音すら立てずに地面へ着地すると、その両手に青白く鈍い光を放つ長めのダガーを二振りずつ構えた。
「けっ、新品の馬車に傷をつけやがって……高くつくぜ?」
バッドが腰からミスリル製の美しいロングソードを鮮やかに抜き放つ。
柄の狼の彫刻が冷たい月光を反射し、不気味に怪しく光り輝いた。
隣ではシドが、表情を一切変えずに抜き身のファルシオンを構える。
その姿には、バッドとは違う静かな殺気が漂っていた。
狂気を孕んだ骸衆の二人が、同時に地面を蹴った。
二刀のダガーが複雑で変則的な軌道を描き、バッドとシドへ襲いかかる。
バッドは致命的な突きを紙一重でかわすと、ミスリル製の美しいロングソードを一閃。
鋭い刃が敵の胴を斜めに薙ぎ払い、男の身体が二つに分かれて地面へ転がった。
「まずは一人!」
バッドの背後から、残る刺客が容赦なく迫る。
その瞬間、シドが重心を落として大きく一歩を踏み出した。
重量感のあるファルシオンが空気を断ち割る。
二本のダガーで必死に受け止めようとした刺客の防御を力任せに叩き崩し、そのまま肩口から深く斬り裂いた。
刺客の身体が大きく吹き飛び、地面を転がる。
逃げ場を失った別の刺客へ、バッドの追撃が迫った。
ミスリルの研ぎ澄まされた刃が喉元を一閃し、男はその場に崩れ落ちる。
残った刺客たちも必死に抵抗するが、二人の連携を崩すことはできなかった。
数分後。
静寂を取り戻した峠道に立っていたのは、無傷のバッドとシド。
そして、冷たい地面に倒れ伏す五人の骸衆だけだった。
「ふぅ……。おい、二人とも大丈夫か?」
バッドが荒い息を整えながら、馬車の木製の窓を軽く叩く。
中からおずおずとフロドが顔を出した。
外に転がる凄惨な光景を見た瞬間、喉を鳴らして息を呑む。
プリカは怖さのあまり、フロドの背中に顔を埋めたままだ。
「……すごい。二人とも、本当に強いんだね」
「当たり前だろ。俺は兄貴に鍛えられてんだ」
バッドは不敵な笑みを浮かべると、敵の血を綺麗に払ったミスリル製の美しいロングソードをガチャリと鞘へ収めた。
その顔には、先ほどまでの凄惨な戦いなどなかったかのような、いつもの明るさが戻っていた。
夕闇が深まる中、馬車は再び車輪を回し始める。
フロドとプリカを乗せた馬車は、二人を待つ安全な街、キングスフォーンへ向けて、ひたすらに走り去っていった。
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