第50話 蠢く陰謀
王宮の一角。
紅と黄金の極彩色で飾られた豪華な椅子に、大臣ピエール・サバンが不気味なほどゆったりと腰を下ろしていた。
重厚な室内に響き渡っていたのは、隠しきれない焦燥と苛立ちに満ちた耳障りな怒号だった。
「おい、クルシオ! タツヨが負けたじゃないか! どうするんだ!」
ピエールは机へ身を乗り出し、分厚い指でその表面を激しく叩きつける。
それに対して、側近の魔剣士クルシオは青白い顔色一つ変えず、冷ややかな笑みを浮かべたままだった。
「まあ、落ち着いて下さい、大臣。収益的には大成功だったじゃないですか?」
「……確かにそうだが。だが、あの小僧はどうする?」
「三英傑はあと二人いますし、それにオーガもいます。どちらが勝とうが、こちらには儲けになりますよ」
「タツヨの奴、負けた後にあいつの味方に付いたという話だが……」
「むしろ好都合じゃないですか?」
クルシオは薄く笑った。
「タツヨは扱いづらいところがありましたから。二人まとめて始末してしまえばいい」
「そんな簡単にいくか?」
「まずは闘技場の収益を考えましょうよ。それに、次の三英傑候補もいますし、オーガもいます」
クルシオの瞳が、冷たく細められる。
「徹底的に強者をぶつけ続けて、奴を削ればいい」
冷徹な提案に、ピエールは値踏みするような不気味な視線をじっと向けた。
「楽しんでるのか? クルシオ」
「一度戦ってますからね」
クルシオは迷いなく答えた。
「ええ、楽しんでますよ」
「わかった。お前に任せる」
ピエールは再び椅子の背もたれに深く体重を預けると、満足げに細い目をいやらしく細めた。
王宮でそんな腐った陰謀が密かに巡らされている一方で、街の空気は一変していた。
命を削り合ったあの死闘から、タツヨが二日に一回は当たり前のようにリュウジィの家を訪れるようになった。
かつて拳を交わした二人の男が並んで街を歩く姿は、いまやアズマリアの住人にとってお馴染みの日常の光景となっていた。
二人が一歩、街の通りへ出れば、そこはさながら祭りのパレードのような大騒ぎになる。
「おい、見ろよ! リュウジィとタツヨだぞ!」
「この前の試合、最高だったぜ!」
闘技場の頂点に君臨するスター選手である二人に、すれ違う至る所から歓声と指笛が飛ぶ。
無邪気にサインを求める子供たち。
憧れの眼差しを隠そうともしない若者たち。
記憶の奥底に眠る「現世」の有名人が浴びていた熱狂を、まったく勝手の違う異世界の街でそのまま受けているような、不思議な気恥ずかしさと居心地の良さがあった。
ふと隣を歩くタツヨに視線を向ける。
するとタツヨもまた、まんざらでもない様子で嬉しそうに笑いながら、周囲の群衆へ片手を軽く振り返していた。
「……有名人はツラいな」
「まあ、悪い気はしねえだろ?」
そんな他愛のない軽口をテンポ良く叩き合いながら、二人は熱気溢れる群衆の間をすり抜けていく。
かつての孤独で殺伐とした戦いの日々とは違う。
温かな、そしてどこか奇妙な「日常」が、そこには確かにあった。
ある日、俺はタツヨに連れられ、街外れにある静かな一軒の茶屋のテラス席へと腰を下ろしていた。
「ここは俺の隠れ家みたいなもんだからさ。余計な耳もないし、色々話せるだろ」
湯気の立つ茶を見つめながら、俺は単刀直入に切り出す。
「何かわかったのか? 俺のほうはさっぱりだよ」
「俺のほうが、この国にいるぶん長いからな。まず、お前を最初に襲ったのは影の組織『骸衆』だな」
「骸衆?」
「この国に昔から巣食う、暗殺を生業とする不気味な一族だよ。どうやらピエールとガッツリ繋がってるみたいだぞ」
「そっか。じゃあ、俺の正体はもうあいつらにバレてるんだな」
「だろうな」
タツヨは頷く。
「だったら、王女のヒルデガルド様に直接会って事情を話し、味方につけるしかないだろうな」
「お前はお抱えの剣闘士として王宮に出入りしてるんだから、直接話すチャンスはいくらでもあるだろ?」
「味方になってくれるかな?」
「なってくれるさ」
タツヨは迷いなく答えた。
「まともな連中なら、国どうしで無謀な戦争なんて本気で望んじゃいない。それに何より、あのクソ大臣を失脚させるための決定的な材料になるからな」
タツヨは香り高い茶を一口ゆっくりと啜ると、鋭く真剣な眼差しでこちらをじっと見据えた。
「それに、あの王女様は腐っちゃいねえ」
その声には確信があった。
「ピエールの強引なやり方に反感を抱いてる奴らは、王宮の内部にも結構多いらしいぜ」
「お前が動けば、淀んだ風向きは一気に変わるはずだ」
背筋が凍るような骸衆の影。
そして、黒幕であるピエールの顔。
敵の正体は、少しずつ明確になってきた。
この平和で華やかな街の裏側で、想像以上に危険な破滅の計画が着々と進行している。
その事実を改めて突きつけられ、俺は拳を強く握り締め、気を引き締めた。
「わかった。ちょうど明日、王宮に呼ばれることになってる。二人きりで話せるはずだ」
「ああ。その時は俺も王宮の周辺まで行って、外で見張っててやるよ」
タツヨは不敵に笑う。
「厄介な骸衆の連中が嗅ぎ回ってねえか。俺のボクサーとしての勘が役に立つだろ」
そして、次の日の夜。
アズマリアの街は、昼間の華やかな喧騒とは打って変わって、重く静かな夜気に包まれていた。
南国特有の湿り気を帯びた夜風が、朱塗りの伝統的な建物が立ち並ぶ大通りを静かに吹き抜けていく。
俺は単身、丘の上に厳かに鎮座する巨大な王宮へと足を進めていた。
重厚な石造りの城壁が、等間隔に並ぶ松明の揺らめく炎に照らされ、夜闇の中に不気味な輪郭を浮かび上がらせている。
「……準備はいいか、リュウジィ」
不意に、隣に立つタツヨが低く、鋭く研ぎ澄まされた声で問いかけてきた。
「ああ。さっさと用事を済ませて、すぐに戻ってくるよ」
緩やかな傾斜の石段を上り、厳重な王宮の正門をくぐれば、そこはもう逃げ場のない危険な敷地内だ。
鮮やかな朱塗りの丸柱が規則正しく並ぶ長い回廊。
その先、一段と高くそびえる大広間の窓からは、盛大な宴の喧騒と明るい灯りが夜空へ漏れていた。
「……じゃあ、行ってくるぜ、タツヨ」
俺は歩みをピタリと止め、暗がりから見守る相棒を振り返った。
「ああ。俺は予定通り、この外周で見張っててやるよ。何かあったらすぐ合図しろ」
タツヨは不敵に口角を吊り上げると、音もなく闇夜の影へとその姿を溶かすように消えていった。
「こんな時間に、有名なタツヨジョージさんが何をしてるんですか?」
暗い回廊の影から、冷ややかな声が降ってきた。
「あっ? 誰だお前は?」
「次の三英傑候補と言われてますよ。双牙のマリスです」
「知らねえな。雑魚は」
タツヨは鼻で笑った。
「自分で言ってて恥ずかしくないか?」
冷笑を返すタツヨの前に立ちはだかった男は、音もなく両の拳を固く握りしめた。
そして、その拳を顔の前で不気味に交差させる。
拳の先からは、腕の延長線を描くように、青白く冷たい鋼の刃が二本。
不吉なまでの直線を引きながら、真っ直ぐに突き出していた。
左右の拳を分厚い支柱で完全に固定したその異形の武器は、人間の拳そのものを殺戮のための刃へと変える、残酷な殺具だった。
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