第49話 和光のロースカツと大豚ダブル
あれから、三日が過ぎた。
「……これ、夢じゃないよな。本当に、本当にこんなにいっぱいゴルド金貨があるなんてさ……っ!」
フロドは机の上に無造作に置かれた革袋を、まるで壊れ物どころか神仏でも扱うような震える手つきで、何度も何度も撫で回していた。
ずっしりとした金貨同士が擦れ合う鈍い音が、静かな室内に心地よく響く。
「なあ、プリカ。これだけあったら、今のこんな狭い家どころか、街に一軒家を丸ごと買えるんだぞ。それでもまだ、買い物するくらいじゃ使い切れないほど残るんだ……っ!」
フロドは椅子の上で小刻みに身を乗り出し、あふれ出る興奮をどうしても隠しきれない様子で、潤んだ瞳をキラキラと輝かせていた。
「兄さん、これ、本当に僕たちのお金なんだよね……?」
「ああ。間違いなく、お前たちのだ」
「……すごいね、フロドお兄ちゃん。本当に、新しいお家を買っちゃうの……?」
プリカは胸いっぱいに期待を膨らませ、愛らしい小首をかしげながら兄の顔をじっと覗き込んだ。
その微笑ましいやり取りに、温かな空気が流れた――まさに、その時だった。
コン、コン――。
乾いたノックの音とともに、木製の扉がひとりでに開いた。
そして、見覚えのある男がひょっこりと顔を覗かせる。
「――俺だ、タツヨだ。入っても構わないか?」
――ありえない。
全身の血が一瞬で冷たくなるような感覚が走った。
たった三日前、俺は確かにあの男を、この手で戦闘不能に追い込んだはずだった。
全身全霊の炎を纏った拳で肉体を打ち抜き、闘技場の頑丈な壁ごと吹き飛ばした。
瓦礫の下に埋もれた姿を、俺は確かに見ている。
それなのに。
今、目の前に立っているタツヨの身体には、目立った怪我ひとつ見当たらなかった。
「そんな顔するなよ。生きてるぞ」
俺の視線に気づいたのか、タツヨは苦笑いを浮かべる。
「てか、もうやらねえよ。そんな殺気出すなって。来た理由、分かるだろ? ここで話すか?」
「……外で話そう」
俺は喉の奥に詰まった驚きを押し殺し、短く答えた。
不気味なほど余裕を浮かべるタツヨを促すように、小屋の扉へと向かう。
その背中に、不安そうなプリカがフロドの衣服の裾をギュッと掴む気配を感じた。
俺は扉を開け、冷たい外気の中へ一歩を踏み出した。
人通りの途絶えた小さな広場へ向かう途中、俺はすぐ隣を当たり前のように歩く男へ、抑えきれない疑問をぶつけた。
「何で、怪我一つしてないんだよ?」
「あっ? 俺か? 運営が用意してる魔術士上がりの治癒師が、綺麗に治してくれたのよ。それでも丸一日はベッドから動けなかったぞ」
タツヨは肩をすくめる。
「まあ、俺、この街じゃ人気選手だからな」
ざらついた砂を踏みしめ、広場の中央で足を止める。
俺は背筋を正し、タツヨへと真正面から向き直った。
「お前、中身何歳だよ。リュウジィ。転生者だろ?」
「……46歳。お前は?」
「げっ! マジかよ。年上じゃねえか。どうりで落ち着きすぎてて、見た目の割にジジ臭い訳だわ。ちなみに俺は中身34歳だ」
「俺、ジジ臭いかな?」
「見た目の割に立ち振る舞いがこう……妙にしみったれてるだろ」
失礼なことを言いやがる。
俺が眉をひそめると、タツヨはニヤリと笑った。
「ところでさ。お前もしかして、転生前の記憶が所々スッポリ消えてたりするか?」
「……お前もか?」
「やっぱりそうか!」
タツヨの表情が変わった。
「俺もさ、どうでもいい日常のくだらないことはハッキリ覚えてるんだけどな……現世での自分の本名とか、両親の名前とか、肝心なところが全然思い出せねえんだよ」
「俺もまったく同じだよ」
思わず苦笑する。
「ごっつ盛りのカップ焼きそばの味とか、和光のロースカツのジューシーさとかは、やけにはっきり覚えてるけどな」
「わかるよ、それ! 死ぬほど懐かしいな!」
タツヨが勢いよく食いついた。
「減量明けの過酷な時期に食ったラーメン二郎の大豚ダブルとか、脳裏にこびりついて離れないんだよ」
そして、どこか懐かしそうに笑う。
「ちなみに俺は、現世ではプロのファイター……プロボクサーだったんだ。一応、日本チャンピオンまで登り詰めて、五回防衛したんだけどよ」
その声が、少しだけ沈む。
「そこから連敗して落ち目になってさ。引退しろ、引退しろって周囲から散々言われた」
一度、遠くを見るように視線を逸らした。
「やけになって歩いてたら、不意の交通事故に巻き込まれてな。気がついたら、この世界にいたんだよ」
「日本チャンピオンなんて、途方もない経歴だな……」
俺は素直に感嘆した。
「俺なんて、歌舞伎町でキャバクラの経営に失敗して、そのあと空港の警備員をやってたら、よりによって狂った男の改造拳銃で撃たれて死んだんだ」
思い出すだけでも気分が悪い。
「めちゃくちゃ痛かったし、本当に最悪だったよ」
「そっか……」
タツヨは短く息を吐いた。
「お互い、ロクでもねえ最期だったな」
その言葉に、思わず苦笑が漏れた。
ほんの数分前まで、俺たちは殺気をぶつけ合っていた。
それなのに今は、前世のジャンクフードや死に方の話をしている。
同じ日本という故郷。
誰にも通じなかった言葉。
誰にも話せなかった記憶。
警戒心が消えたわけではない。
それでも、この世界で初めて出会った「同じ場所から来た人間」という存在が、胸の奥に不思議な連帯感を生み始めていた。
「ところでさ」
タツヨが俺を見る。
「お前、このキナ臭い王国に一体何しに来たんだよ。まさか、こんな命懸けの剣闘士をやりに来たなんて言わないよな?」
どうしようか、わずかに迷った。
だが。
ここまで話してもいいのではないか――そんな気がした。
同じ転生者であること。
そして何より、この男が俺と同じ日本を知っていること。
俺は意を決し、この街で掴んだすべての真実を包み隠さず話した。
「なるほどねえ……」
すべてを聞き終えたタツヨは、腕を組みながら低く唸った。
「あくまで俺の推測に過ぎないけどさ。この一連の黒幕として一番怪しいのは、あの肥え太った大臣――ピエールだろうな」
「やっぱり、お前もそう思うか」
「王宮のパーティーで一度だけ遠目から見たことがある」
タツヨは顔をしかめた。
「この国じゃ有名な話だが、あの大臣は若い頃から権力欲の塊みたいな筋金入りの野心家らしい。今じゃ世界一とまで謳われる、この巨大な闘技場を築き上げた中心人物でもある」
「国家への功績は確かに大きい。だがその分、裏じゃ黒い噂が山ほどある」
「でもさ」
俺は疑問を口にした。
「何でわざわざ、他国であるキングスフォーンの王女を、こんな方法で狙わせたんだ?」
「決まってんだろ」
タツヨの表情が険しくなる。
「戦争の火種作りさ」
「戦争……?」
「俺の知る限り、国力で言えばアズマリアの軍事力はキングスフォーンを上回ってる」
タツヨは指を一本立てた。
「そこでキングスフォーンの王女を、自国の土地で暗殺する」
さらに一本。
「そして、その犯行がアズマリアの仕業だと向こうに信じ込ませる」
俺の背筋を、冷たいものが走った。
「自国の王女が他国の陰謀によって命を狙われたと知れば、キングスフォーンが激昂して報復の軍を起こす可能性は高い」
「……それを口実にするのか」
「そういうことだ」
タツヨは唇を歪めた。
「相手に先に動かせれば、今度は『自国を守るための戦争だ』と大義名分を掲げられる。一気に全面戦争へ持ち込むこともできる」
そして、吐き捨てるように言った。
「あのタヌキ親父なら、平然とそんな計算をしてもおかしくねえ」
そこまで一気にまくし立てると、タツヨはふっと険しい表情を緩めた。
そして、どこか肩の力を抜くように笑う。
「……まあ、詳しい話はまた今度、うまい酒でも飲みながらゆっくりしようぜ」
「それよりさ」
タツヨは笑った。
「こうして久しぶりに『あっち』の共通の話題や馬鹿げた話ができる奴に会えて、なんだか凝り固まっていた毒気がすっかり抜けたよ」
「和光のカツだの二郎だのって話を、こっちの異世界の連中にどれだけ熱く語っても、ぽかんとされるだけで一切通じねえからな」
「ああ……本当にそうだな」
俺も笑った。
「ようやく、まともに話の通じる本当の仲間に出会えた気分だ」
「よし、決めた!」
タツヨが突然、力強く声を上げた。
「リュウジィ。お前が単身でその陰謀の真相を暴きにいくつもりならさ、俺も全面的に協力してやるよ」
「本気か?」
「ああ」
タツヨは即答した。
「あの大臣のクソ野郎が裏で何か企んでやがるなら、俺も黙って見てる気はねえ」
そして、ニヤリと口元を吊り上げる。
「それにさ。元日本チャンピオンの俺と、謎の東洋武術を使うお前が組むんだぞ?」
「これ以上なくワクワクする最高の展開じゃねえか」
タツヨは照れ隠しのように、ガシガシと短髪の頭を乱暴に掻いた。
そして、からからと明るく笑う。
思いがけず現れた、同じ故郷を持つ心強い協力者。
冷え切っていた俺の胸の奥に、確かな熱が灯るのを感じながら。
俺は小さく、しかし力強く頷き返した。
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