第5話オークの煮込みと、深夜食堂の静寂
(モノローグ)
親父さんの店に着いた。
ボロい暖簾を掲げると同時に、親父さんは慣れた手つきで看板に明かりを灯す。
(夕方から営業か。異世界版の『深夜食堂』ってわけか……)
「今日は手伝わなくていいよ。そこに座ってな。今、旨いのを作るからよ」
親父さんの言葉に甘えて、カウンターの端に腰を下ろす。と、そこへ黒髪の、地味だがやけに目の綺麗な娘が入ってきた。親父さんの娘さんらしい。
しばらくしてから「どうぞ。お熱いうちに」
娘さんが、俺の目の前に一皿の料理を置く。
「……あ、ありがとうございます。いただきます」
皿の上には、茶色くてドロドロした物体。匂いは……悪くない。
「オークの煮込みじゃよ」
(味は薄味……だが、この脂のパンチ。野郎ラーメンのチャーシューのようなジャンクさがあるな。ハズレ職探しで擦り切れた胃袋に、オークの脂が染み渡っていく……)
だが、その至福の時を乱暴に切り裂く音が響いた。
――ガシャァァァン!
蹴破られるようにして開いた扉。騎士団の紋章をつけた四人の男たちが踏み込んできた。
「一番いい席を空けろ。それと、とびきりの酒と女を用意しな!」
親父さんは営業スマイルを作って前に出たが、男の無造作な蹴りが親父さんの腹にめり込んだ。
「ぐはっ……!」
(……あーあ)
俺の中で、何かがパチンと切れた。
せっかくの飯が、台無しだ。
「……飯が不味くなるから、他所でやってくれよ」
俺はパンで皿の汁を拭い、口に放り込んでから立ち上がった。
「なんだと、貴様……」
(……待て、本当にやるのか? 相手は剣士だぞ)
一瞬、冷たい汗が背中を伝った。
ただ武術愛好家として形意拳をやってただけだ、道場でせいぜい散打(中国武術の対人組手)程度だ。実戦なんて経験なんて一度もない。
俺がやってきたものが、この世界の連中に通用するのか。
自信なんて、どこにもなかった。ただ、深く呼吸をすると、全身が熱くなるような不可解な感覚だけがあった。
「死ね、このガキが!」
リーダー格の男が、剣を抜こうと肩を上げる。
(……あれ? 全部、視えるぞ)
気づいた時には、右拳が吸い込まれるように、男の鳩尾へ突き出されていた。
形意拳・崩拳。
ズドォォォォン!
鉄槌が岩を砕いたような重低音が店内に響く。
(……あれ? 今、凄い力が拳を通り抜けるのがわかったぞ。やはりこの世界ではチートなのか?)
男の巨体は壁まで吹き飛び、泡を吹いて白目を剥いた。
「な、なんだと……!? 隊長を一撃で……!?」
俺は自分の右拳を見つめ、戦慄した。若返った肉体のバネ。そこに、これまで費やしてきた時間、最短距離の推進力、そしてあの妙に体が熱くなる奇妙な感覚が乗ったのだ。
「貴様ぁ!」
残りの二人が剣を抜いて襲いかかる。
俺は最短距離を加速し、スッと前に出た。形意拳の歩法――『跟歩』。
振り下ろされた剣を紙一重でかわすと同時に懐へ。身体を沈み込ませ、相手の腹へと掌打を叩き込んだ。そのまま、相手の真横を通り抜けるほどの勢いで側面に食い込む。
「十二形拳――蛇形拳!」
沈み込んで縮まった身体を、とぐろを巻いた蛇が襲いかかる勢いで一気に解き放つ。開いた身体のエネルギーをすべて肩に乗せ、相手の側面を打ち抜いた。
「がはっ!?」
衝撃で騎士が吹き飛ぶ。続いて左の奴。剣を握る手首を掴み、関節の動きに沿ってクイッと捻り上げた。
「あ、ぎ、ぎゃああああっ!?」
そのまま顔面を掌で突き放し、黙らせる。
「……ひっ、ひぃぃ……! 化け物か……!」
最後の一人は、もはや腰を抜かしていた。俺はそいつを無機質に見下ろす。
「……邪魔。早く連れてってよ」
「は、はいぃぃ!」
逃げ出す騎士たち。
(……やっちまった。隠居生活どころか、これ、指名手配まっしぐらじゃねぇか?)
俺は震える拳を、そっとズボンのポケットに隠した。




