第4話:見えない鎖
気合を入れて、ショクアン扉を開けて外に飛び出た。
扉を抜けた瞬間、頬を撫でた外の空気に、俺は一度だけ足を止める。
その時になって、ようやく気づいた。
たった今まで付き添ってくれて、しかも飯まで食べさせてくれると言ってくれた親父さんを、俺は一瞬忘れていた。
自分のことで頭がいっぱいだった。
俺は慌てて振り返る。
「おい!お前いきなりどうした?飯は?」
ショクアンの入口から顔を出した親父さんが、心配そうな顔で俺を見ていた。
その顔を見た瞬間、胸の奥に申し訳なさが込み上げる。
「……ごめんなさい、親父さん。ちょっと考え事をしてて。結局、日雇いの土木作業か、ダンジョンのモンスターの『囮』くらいしか仕事がないみたいだね」
俺が苦笑すると、親父さんの表情から笑みが消えた。
一瞬だけ迷うように口を閉じ、それから、周囲を気にするように視線を巡らせる。
そして声を少し落とした。
「いいか、よく聞け。一番厄介なのはな、その『武道家』っていうスキル自体なんだ」
親父さんは声を潜めて、この世界の残酷なシステムを語り始めた。
スキルなしなら、どんな仕事でも、それなりに努力して経験を積めば、そこそこにはなれる。
だが、戦闘系のスキルを持ってしまうと話が違う。
体の使い方も、頭の回転も、そのスキルに合わせて固定されてしまう。
別の仕事に就こうとしても、思うように能力を発揮できない。
どれだけ本人が努力しても、スキルとの相性が悪ければ評価されない。
それはつまり、生まれ持った力によって、その人間の進める道が決められてしまうということだった。
さらに運が悪い事に、元々武道家スキル持ちは王宮の警護や傭兵の雇用があったが、60年前からこの国では雇用が禁止になったと言う。
理由は単純だった。
一部の人間を除いて、武道家は武器を持っていない。
戦闘になれば、剣を持つ者に比べて圧倒的に不利になる。
そして、いくら雇ったところで、戦場ではすぐに死んでしまう。
役に立たない。
それが、この世界で武道家に貼られたレッテルだった。
単なる職業の不向きではない。
生まれ持ったスキルによって、最初から選択肢を奪われる。
親父さんの話を聞いているうちに、俺にはそれがまるで、目には見えない鎖のように思えてきた。
それがこの世界の「見えない鎖」なのだという。
(……なるほど。スキルで能力が決まってしまうのか。異世界のシステムってのは、日本のハローワークよりよっぽど質が悪いってわけだ)
思わず苦笑が漏れそうになる。
異世界に来たというのに、結局は生まれ持ったカードで人生が決まる。
日本にいた頃だって、世の中は平等じゃなかった。
だが、こちらはもっと露骨だ。
親父さんの話は続く。
「例えば魔術士ならエリート街道。オックスオードやマサチューソッツといった魔法大学で英才教育を受け、落ちこぼれても回復魔法が使えれば食いっぱぐれない」
その話を聞けば聞くほど、この世界の仕組みが見えてくる。
才能がある者には道が用意される。
才能がなければ、それなりの場所へ押し込められる。
つまり、この世界の人間は、生まれた瞬間に引いたカード一枚で一生のランクが決まってしまう。
そんな仕組みが当たり前になっているのだ。
俺は手の中の羊皮紙を見る。
そこに書かれた『武道家』という文字が、妙に重く感じられた。
「親父さん。それじゃあ俺は、一生この『武道家スキル』のハンデと一緒に、このまま詰んだ状態で生きていくしかないってのか?」
自分でも驚くほど、声が低くなっていた。
親父さんはすぐには答えなかった。
「……普通なら、そうだ。だがな、リュウジィ。お前、さっき村の若衆に何をしたんだ?魔力が漏れるような反応が全くなかったぞ」
その言葉に、俺は顔を上げた。
そういえば、確かにそうだった。
この世界の住人は、スキルを使う時に独特の反応が身体に出るらしい。
魔力が動く。
身体に何らかの変化が現れる。
だが、俺が使ったのは形意拳の動き……ただの物理現象だ。
自分にとっては、二十七年間ひたすら繰り返してきた動き。
拳を出す。
体重を乗せる。
力を伝える。
ただ、それだけだ。
なのに、この世界ではそれが異質なものとして映っている。
「お前が持ってるその『妙な動き』。それが、どうにかしてくれるかもしれねぇぞ」
その言葉が、胸の奥に小さな火を灯した。
俺は自分の拳を見つめる。
まだ、この身体のことは何も分からない。
自分の力がどこまで通用するのかも分からない。
それでも。
一つだけ、確かなものがある。
俺の身体には、二十七年間積み重ねてきたものが残っている。
「……親父さん。ちょっと待ってくれ。闘技場ってのは、すぐ申し込めるのか?」
「本気か!申し込めるが、勧められんぞ。運が悪く剣士との対戦が決まったら、終わりだぞ。剣士スキルの奴らは、スキルの補正で『腕力』と『速度』が異常なんだよ。まともにやり合えば、一瞬で真っ二つだぞ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
真っ二つ。
冗談ではない。
これは試合ではなく、命を賭けた戦いだ。
頭では分かっている。
それでも、不思議と足は引かなかった。
(……真っ二つか。でも1回死んでるから、開きなおるしかない。転生して二度目の人生なのに、現世と同じゃ意味ないよな。賭けてみよう。自分の運を)
そうだ。
一度、死んだ。
空港の床に倒れ、焼きそばを一口も食べられないまま、四十六年の人生を終えた。
だったら、今さら命が惜しいと言って何になる。
どうせ二度目の人生だ。
何もせずに、また誰かに決められた道を歩くなんて、そんな人生はもう御免だった。
「闘技場で剣士に勝てば、報酬は通常の十倍だ。だが、剣士に勝った武道家なんて見たことはないぞ」
親父が言い終わる前に、俺の体は動いていた。
考えるより先に足が動く。
気がつけば、ショクアンの扉へ向かっていた。
「わかった。親父さん、ちょっと待っててよ!」
俺はショクアンに逆戻りした。
さっきまでいた受付へ駆け込み、受付嬢に羊皮紙を突き出す。
「あの、すみません。さっきの闘技場、申し込みたいんですけど。備考欄に『剣士との対戦希望』って書いてもらえますか?」
受付嬢の手が止まった。
羊皮紙。
そして俺の顔。
その二つを何度か見比べる。
「……本気ですか?次の闘技場の開催は三日後になりますが、お勧め出来ませんよ」
その言葉に、俺は何も答えなかった。
ただ、申し込みを済ませる。
受付嬢の冷たい視線を背に、俺はショクアンを後にした。
外へ出ると、待っていた親父さんが呆然とした表情で俺を見る。
「リュウジィ、本当に申し込んだのか……」
「ああ。……でも親父さん、これ、一応公営なんだよね? 三日もあれば、少しは動けるようになるだろうし……やるしかないでしょ」
自分でも、無茶苦茶なことを言っていると思う。
三日。
それだけの時間で、剣士スキルを持つ相手に勝てるようになる保証なんて、どこにもない。
むしろ、勝てる可能性の方が低い。
それでも、俺は笑っていた。
いや。
笑おうとしていた。
(はっきり言って怖い。現世で武道家だった訳じゃないし。当然殺し合いなんてしたこともない。しかし趣味の枠を超えたレベルで形意拳にのめり込んでたのは事実だ。それにさっき村人の棒切れを吹き飛ばした勁力。試してみたい)
俺は震えながら拳を握りしめた。
指先が微かに震えている。
怖い。
当たり前だ。
相手は剣を持っている。
一歩間違えば、死ぬ。
けれど、その恐怖の奥には、別の感情があった。
確かめたい。
二十七年間、ただの趣味だと思っていたものが、この世界でどこまで通用するのか。
自分の身体に染み付いた形意拳が、ただの「武道家スキル」として片付けられる程度のものなのか。
それとも——。
俺の拳には、まだ自分でも知らない何かがあるのか。
握り締めた拳を見つめる。
震えは、まだ止まらない。
それでも俺は、その拳を開かなかった。
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