第3話:適正検査(スキル・チェック)と、死んだ魚の目をした受付嬢
期待した俺が間抜けだった。
『ショクアン』の重い扉を開けた先にあったのは、異世界転生した人間が期待するような華やかな場所でも、冒険者たちが集う活気あるギルドでもなかった。
むしろ、どこか見覚えのある、沈んだ空気が漂っている。
どんよりとした空気が立ち込め、壁にはボロボロになった
「指名手配」の紙や、「急募:下水清掃」という貼り紙が雑に並んでいる。
紙の端はめくれ、古いものになると何枚もの紙が重なっていた。
順番待ちの長椅子には、どこか生きる気力を失ったような男たちが肩を並べている。
誰も楽しそうに話してはいない。
ただ黙って順番を待ち、自分の番号が呼ばれるのを待っていた。
その光景を眺めながら、俺は思わず遠い目になった。
(……これ、西新宿のハローワークの朝一番と全く同じだな。異世界に来てまで、こんな光景を見る羽目になるとは)
異世界。
魔法。
スキル。
そんな言葉から連想していたものとは、あまりにもかけ離れている。
転生して最初に見るのが、まさか職業安定所とは。
「……次の方、三番窓口へどうぞー」
受付嬢が、力ない声で俺を呼ぶ。
声だけで分かる。
この人、相当疲れている。
二十代半ばくらいだろうが、連勤続きなのか化粧は崩れ、目の下のクマが「私は今すぐ帰って寝たい」と語っている。
その顔を見た瞬間、俺の中に妙な既視感が湧いた。
キャバクラを経営していた頃、こういう顔の子は決まって売上が落ちる日の前兆だった。
笑顔を売る仕事をしている人間が、笑えなくなった時の顔。
客に見せるための笑顔を作る余裕すらなくなった時、人間の疲労は、目元に一番はっきり出る。
異世界に来てまで、こんな顔を見ることになるとは思わなかった。
「おやっさん、ここで俺の何がわかるんですか?」
隣にいた男へ尋ねる。
「ここは仕事を斡旋してくれる場所だが。その前にスキル判定をする。それで年齢、名前、スキルがわかるからだよ」
(記憶が所々消えてるから有難いが、転生して1時間ぐらいで、職安とかどんなファンタジーだよ。いや待てよ……どっちにしろ仕事しないと生きていけないじゃん)
冷静に考えてみれば、その通りだった。
異世界だろうが現代日本だろうが、腹は減る。
住む場所も必要だ。
金も必要になる。
夢にまで見た異世界生活の現実が、急に生々しくなってきた。
俺は小さく息を吐くと、三番窓口へ向かった。
「……あの、こんにちは。仕事を探してるんですけど」
「……はい、新規の方ですね。まずはあそこの水晶に手を置いてください。適正職種やスキルのチェックを行いますから」
受付嬢の淡々とした説明を聞きながら、俺は窓口の横に置かれた水晶へ目を向けた。
透明とも白ともつかない、不思議な光を宿した水晶。
いかにも異世界らしい。
ここに来て初めて、少しだけ胸が高鳴った。
期待半分、諦め半分で水晶に手を置く。
その瞬間だった。
水晶が、ガタガタと不気味に震え出した。
「……?」
周囲からも何人かの視線が集まる。
やがて水晶の内部に黒い影が生まれ、それは見る間に広がっていった。
光を失っていく。
まるで、どす黒い闇をそのまま吸い込んだかのように。
そして、水晶は完全に真っ黒へと変色した。
受付嬢の顔から、わずかに血の気が引いたように見えた。
だが、それも一瞬だった。
彼女はすぐに事務的な表情へ戻ると、表示された結果を確認する。
「……はい、出ました。あなたの固有能力スキルは『武道家』。十九歳。名前はリュウジィ。以上です」
「……あと備考に『忘れの呪い』とありますが、うちでは対応できません」
「……え、以上? はあ?それだけ?しかも名前がリュウジィって。リュウジ、じゃないのか?」
自分でも驚くほど素直な疑問だった。
記憶を失っている。
名前すら覚えていない。
それなのに、提示された答えは
あまりにも簡潔だった。
しかも、リュウジィ。
どこか間の抜けた響きに聞こえる。
「これが全てです。今のあなたのステータス表です」
受付嬢から差し出された羊皮紙を受け取る。
多分魔道具であろう器具によって印字された文字が、そこには並んでいた。
【職業:武道家】
【適性:肉体労働・ダンジョンのモンスターの囮・闘技場】
【特記事項:不器用(※繊細な作業に大幅なマイナス補正)】
【備考:忘れの呪い】
(……は? 武道家? まさに俺のやってきたことだ。しかしなんだ、この『不器用』ってのは)
武道家。
その文字だけなら、悪くない。
むしろ、俺にとってはこれ以上ないほど馴染み深い職業だった。
二十七年間。
形意拳を続けてきた。
若い頃から、何度も何度も拳を繰り返し、身体に動きを刻み込んできた。
それが、この世界では『武道家』という形で認識された。
そこまではいい。
問題は、その下だ。
『不器用』
一体、何を基準に判定している。
俺は羊皮紙をもう一度見直した。
「あの、お姉さん。この武道家ってのは、この世界じゃどういう扱いなんです?」
「最悪ですよ」
即答だった。
受付嬢は、事務的に書類を整理しながら言った。
「剣も魔法も使えない。腕力があるから力加減が下手で、飯を食う量だけは多い、体力馬鹿。
それが『武道家』です。商売をやろうとしても、スキルのせいで商売には向かない。
……正直、紹介できるのは『日雇いの土木作業』か『引っ越し作業』くらいですね」
「……」
言葉が出なかった。
期待していた。
もしかしたら、この世界では自分の形意拳が特別な力として認められるのではないか。
そんな淡い期待くらいはあった。
それが蓋を開けてみれば、日雇いの土木作業。
引っ越し作業。
現実的すぎる。
「あ、一応闘技場もありますけど、お勧めしません。だいたい三ヶ月で死ぬか、廃人になるので」
受付嬢は、まるで天気の話でもするような口調だった。
絶句した。
若返って、夢にまで見た形意拳が自由に打てる体を手に入れた。
なのに、この世界での評価は、
「使い勝手の悪い肉体労働者」か「使い捨ての囮」か。
空港の警備員の方が、まだ「資格手当」があっただけマシだった。
思わず、遠い目になる。
せっかく二度目の人生を手に入れたというのに、待っていたのは、まさかの異世界就職難だった。
(……待てよ。この『不器用』って評価、本当か?)
ふと、先ほどのことを思い出す。
あの村で、若衆が振り下ろした棒。
それに反応した自分の身体。
そして——。
さっきの劈拳は、確かに使えた。
しかも、ただ使えただけではない。
以前の自分の身体とは明らかに違っていた。
だが、この世界のシステムが判定する「動き」と、俺がただ繰り返してきた「動き」は、たぶん根本的に別のルールで動いてる。
俺が勝手に体に染み込ませたものが、この世界の『スキル』なんて枠に収まりきるのか?
……いや、今はまだ分からない。
単に俺がこの新しい体に慣れてないだけの「不器用」って可能性も十分ある。
そう考えれば、まだ諦める必要はない。
そもそも、転生してからまだ一時間程度だ。
この身体のことも、この世界のことも、何一つ分かっていない。
だったら、判定結果だけで自分の可能性を決めつける必要なんてない。
「……取り敢えず飯でも食うか。俺の店で食わせやる」
おやっさんがそう言いながら、俺の肩を叩いた。
その一言で、腹の虫が存在を主張する。
(店をやってるのか?確かに腹減った)
こういう時だけは、身体は正直だ。
それにしても、さっきから腹が減って仕方がない。
若返ったせいなのか。
それとも、死んで転生したばかりだからなのか。
理由は分からない。
ただ、腹が減っていることだけは間違いなかった。
(ああ、クソッ。こんな時に思い出すのは、あの新宿のクマちゃんラーメンの、体に悪い真っ白な背脂だ。あの不健康な脂を胃袋に流し込んで、この負のオーラを中和してぇ……!)
俺は、俺は受付嬢に背を向け、活気のないショクアンを後にした。
背中に、受付嬢の事務的な視線を感じる。
振り返る気にはならなかった。
今は、とにかく腹が減っている。
そして——。
この世界で、自分が何者なのか。
それを決めるのは、こんな紙切れ一枚じゃない。
(……どうせ二度目の人生だ。その最悪スキルにしつこく抗ってやる)
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