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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第2話 忘れの呪いと、異世界のショクアン



腹を撃ち抜かれ、コンクリートに沈んでいく意識の中で、俺が最後に願ったのは、あの焼きそばのソースの匂いだった。


そんなちっぽけなことだった。


それが最後に浮かんだことだと思うと、我ながら情けなくなる。


けれど、不思議と悔いはなかった。


いや。


本当は、もう一口だけ食いたかった。


視界が真っ白に染まっていく。


遠くで誰かが叫んでいる気がした。


心臓の音が、少しずつ遠ざかっていく。


ドクン。


ドクン。


やがて、その音すら聞こえなくなった。


死ぬ。


そう思った。


なのに。


次に俺の意識を浮上させたのは、冷たい死の感触ではなかった。


鼻を突く、生臭い薬草の臭い。


そこに埃っぽい獣の脂が混じっている。


むせ返るような、ひどい臭いだった。


「……なんだ、これ」


声に出したつもりだった。


だが、喉から漏れたのは、掠れた息だけだった。


ゆっくりと目を開ける。


見慣れた病院の白い天井を想像していた。


だが。


そこにあったのは、見たこともない木造のボロ小屋だった。


天井の板は隙間だらけ。


そこから細い光が差し込んでいる。


壁には乾燥した草束がいくつも吊るされていた。


どうやら、あの強烈な臭いの正体はこいつらしい。


視線を下へ向ける。


布団と呼べるかどうかも怪しい。


藁を詰めただけのようなものの上に、俺は寝かされていた。


身体を動かそうとすると、全身に鈍い感覚が返ってくる。


生きている。


その事実に気づいた瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。


俺は、死んだはずじゃなかったのか?


「……お、気がついたか。しぶとい男だねぇ」


声のした方へ顔を向ける。


「あれ?ここは……どこですか?」


仰向けに寝かされた俺の視界に、一人の老婆が入り込んでくる。


皺だらけの顔。


だが、その目だけは妙に鋭かった。


まるで、こちらの奥底まで覗き込もうとしているような目だ。


「ここは『アグニの村』だよ。あんた、森で倒れてたんだ。……名前は言えるかい?」


名前。


そう聞かれて、俺は反射的に答えようとした。


だが。


そこで、思考が止まった。


(えーっと、俺の名前は……。……あれ? 出てこない。撃たれた瞬間のソースへの未練ははっきり覚えてるのに、肝心の自分の名前が霧に包まれやがる)


記憶を手繰り寄せる。


だが、掴めない。


まるで頭の中にあったはずの名前だけが、霧の向こうへ消えてしまったようだった。


「……すみません。思い出せないんです」


とりあえず愛想笑いを浮かべる。


笑って誤魔化すしかなかった。


だが。


老婆の表情が変わった。


血の気が引いていく。


皺だらけの顔が、引き攣った。


「……ひっ! 『忘れの呪い』だ! 魂が腐り始めた『空っぽ』が運ばれてきたぞ!」


悲鳴が小屋の外へ響き渡る。


すぐだった。


足音がいくつも近づいてくる。


扉が開き、村の男たちが次々と小屋へ押し寄せてきた。


「呪いが広がる前に追い出せ!」


男たちは棒切れを手にしていた。


さっきまでの老婆と同じように、誰もが怯えている。


だが、その怯えはすぐに殺気へと変わっていった。


俺を囲む。


逃げ道がない。


「いやいや、ちょっと待ってくれ」


説明してくれ。


そう言いたかった。


だが、そんなこちらの事情など関係ないらしい。


俺はゆっくりとベッドから足を下ろした。


その瞬間。


妙な違和感を覚えた。


足が軽い。


あまりにも軽い。


(……なんだ、この足の軽さは)


おそるおそる立ち上がる。


膝を曲げる。


伸ばす。


もう一度、曲げる。


痛くない。


思わず眉を寄せた。


四十六年間、俺を苦しめてきた右膝の古傷。


階段を上るたびに痛み。


長時間立っていれば鈍く疼き。


朝起きた時ですら、まず膝の具合を確かめるのが習慣になっていた。


それが。


跡形もなく消えている。


肩を回してみる。


ゴリゴリという音がしない。


鈍い痛みもない。


もう一度、肩を回す。


やはり何もない。


深く息を吸った。


空気が肺の底まで入ってくる。


苦しくない。


息が詰まらない。


身体のどこにも、四十六年間付きまとっていた重さがない。


(何だこれ。体が、新品みたいだ)


そこで、ふと壁に張られた鏡が目に入った。


何気なく視線を向ける。


そして。


俺は固まった。


鏡の中に映っていたのは、知らない男だった。


驚くほどツヤツヤした肌。


張りのある頬。


力のある目。


十代後半か、二十代前半そこらの男。


四十六年分のくたびれが、跡形もなく消えている。


口が、わずかに開いた。


鏡へ近づく。


右手を上げる。


鏡の中の男も、同じように手を上げた。


頬に触れる。


柔らかい。


張りがある。


俺の顔じゃない。


いや。


俺の顔のはずなのに、俺が知っている俺ではない。


(はぁ……? 俺か、これ。死んで若返ったのか)


頭が追いつかない。


撃たれた。


死んだ。


なのに。


今、俺はここにいる。


しかも二十歳そこらの身体になって。


(待て待て待て。腹に弾丸食らって、空港の床に沈んだよな。なのに今、鏡の中に二十歳そこらの若造が映ってる。しかも体が嘘みたいに軽い。四十六年間、肩こりと膝の痛みと戦ってきた俺の体が)


身体を動かす。


拳を握る。


開く。


肩を回す。


軽い。


あまりにも軽い。


状況を整理しようとした、その時だった。


驚きで固まっている俺の横から、一人の若衆が棒切れを振り上げた。


「出てけっ!」


(……っ、危ねえ!)


考えるより先に、身体が動いた。


右足が踏み込む。


腰が落ちる。


腕が勝手に反応する。


二十七年やってきた形意拳。


何千回。


何万回と繰り返してきた動き。


頭で考えるよりも先に、身体が覚えていた。


棒切れに掌を当てた瞬間——


バキィッ!!


乾いた音が小屋に響き渡った。


棒が折れた。


そう思った。


だが、違った。


木の棒が根元から弾け飛んでいた。


破片が壁に叩きつけられる。


その勢いに、男たちが一斉に後ずさった。


誰も声を上げない。


棒切れを持ったまま固まっている男。


口を半開きにしている男。


そして。


俺から目を離せずにいる男。


さっきまで俺を囲んでいた連中が、今は誰一人として近づいてこない。


小屋の中が、しんと静まり返った。


俺自身も、自分の掌を見つめていた。


痛みはない。


衝撃もほとんど感じなかった。


ただ、軽く触れただけ。


それなのに。


(……え? 軽く当てただけなのに)


自分の掌を握る。


開く。


もう一度握る。


まるで、別人の手だった。


(勁力、えらいことになってるぞ、俺)


「皆、落ち着け」


沈黙を破ったのは、人垣の後ろに立っていた恰幅のいい男だった。


野次馬を手で制しながら、ゆっくりと前に出てくる。


男の目には、周囲の者たちほどの怯えはなかった。


少なくとも、表面上は。


「取り敢えず。この先の街に、お前の正体がわかるかもしれん場所がある。俺が連れて行ってやる。だから皆も落ち着け。スキル判定して貰えば名前はわかるだろ?」


スキル判定。


その言葉に、俺は思わず瞬きをした。


(スキル判定?……もしかしてファンタジーの定番か?選ばれた勇者とかなって世界を救うとか?)


まさか。


そんな都合のいい話があるのか。


いや。


俺はもう、腹を撃たれて死んだはずなんだ。


だったら。


今さら何が起きても不思議じゃない。


男に連れられて村を出る。


目の前に広がった景色を見て、俺は思わず足を止めそうになった。


土と石を積み上げただけの素朴な家。


舗装された道などない。


石畳すらない。


行き交う人々の服は粗末だった。


遠くから、馬車の音が聞こえる。


一台の馬車が、泥道をゆっくりと進んでいく。


見慣れたはずの世界とは、何もかもが違っていた。


(……本当に異世界だ。夢じゃない)


夢なら、そろそろ覚めてほしい。


だが。


頬を撫でる風も。


足元の土の感触も。


馬車の音も。


全部、本物だった。


しばらく歩いて辿り着いたのは、街の中央にある大きな建物だった。


周囲の粗末な建物とは明らかに違う。


人の出入りも多い。


男に促されるまま、足を踏み入れる。


そして——。


入り口の看板を見た瞬間。


ここまで膨らんでいた淡い期待が、音を立てて崩れ去った。


看板には、見慣れない文字。


その下に並んでいたのは。


『職業安定所ショクアン』


俺は、しばらく動けなかった。


目を疑う。


もう一度見る。


やっぱり同じだ。


『職業安定所ショクアン』


……マジか。


(……は? ショクアン? 異世界に来てまで、ハローワークかよ!)





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