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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第46話 「あいつは……」



リュウジィの全身から立ち上る激しい熱気が、周囲の朝霧を白く吹き飛ばしていた。


 掌(てのひら)を返し、ゆっくりと息を吐き出す。


 内功(ないこう)が身体の隅々まで行き渡り、神経の一本一本まで研ぎ澄まされている。


 その静寂を、無遠慮な靴音が踏みにじった。


 練習場となっている路地裏へ姿を現したのは、闘技場の紋章が入った法衣を纏(まと)った管理官だった。


 その後ろには、これ見よがしに剣の柄へ手をかけた二人の護衛兵が控えている。


「朝からご苦労なことだ、リュウジィ。……週末のカードが下りたぞ」


 管理官は手元の羊皮紙に目を落としながら、鼻で笑った。


「メインイベントだ。相手は三英傑、タツヨ・ジョージ。……異論は認めん。これは事務局の決定だ」


「……お前が勝手に決めたわけじゃないんだろ」


 リュウジィは、再び三体式(さんたいしき)の構えへと意識を戻した。


 管理官を視界から外し、まるで目の前に誰もいないかのように静かに立つ。


「伝令なら、その紙を置いてさっさと帰れよ」


「な……貴様ッ……!」


 思わず声を荒らげた管理官に、リュウジィはゆっくりと視線だけを向けた。


「……は?」


 低く、突き放すような一言。


 その瞳に宿った鋭い殺気に、管理官の喉が詰まった。


 護衛兵たちでさえ、反射的に剣の柄を握り直す。


 だが、リュウジィはそれ以上何も言わない。


 ただ、三体式の構えを崩さず、静かに相手を見ている。


 先に視線を逸らしたのは管理官だった。


「……覚えていろよ!」


 吐き捨てるように言い残し、管理官は二人の護衛兵を連れて、その場を後にした。


 足音が遠ざかっていく。


 やがて、庭に残されたのは地面に放り出された一枚の羊皮紙だけだった。


 リュウジィは足元の紙を拾い上げる。


 そこに記された名前へ、指先を滑らせた。


 ――三英傑・タツヨ・ジョージ。


「……タツヨ、か」


 あの男の姿が脳裏に蘇る。


 以前、広場で見た圧倒的な一撃。


 そして、拳を構えただけで周囲の空気を変えてしまう、あの異様な存在感。


 すでに一度、この目で見ている。


 だからこそ、次は興味があった。


 あの男と、実際に拳を交えたらどうなるのか。


「……やってやろうじゃねえか」


 腹の底から、熱い衝動が込み上げてくる。


 昨日の魔剣士との戦いで思い知らされた。


 自分は強い。


 だが、まだ足りない。


 形意拳も、内功も、ファフニールも。


 この世界へ来てから手に入れた力に頼るだけでは、いつか必ず限界が来る。


 ならば、実戦で叩き上げればいい。


 強敵と戦い、足りないものを知り、それをまた鍛える。


 その繰り返しで、さらに上へ行く。


 未完成だからこそ、まだ強くなれる。


 そう思うと、自然に口角が上がった。


 リュウジィは羊皮紙を握り締める。


「……楽しみになってきたな」


 その呟きは、朝霧の向こうへ静かに消えていった。



 ――アズマリア王宮。



 回廊に、鋭い靴音が硬く響き渡っていた。


 先頭を歩くヒルデガルド王女の背中からは、隠しきれない怒りが立ち上っている。


 制止しようとする文官たちを、ヒルデガルドは一瞥(いちべつ)だにしない。


 そのまま大臣室の重厚な扉の前まで辿り着くと、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく扉を押し開いた。


「ピエール。話があります」


 部屋の奥。


 窓際で優雅に茶を啜っていたピエール・サバンが、ゆっくりと顔を上げる。


「これは、ヒルデガルド王女。朝から随分とお急ぎのご様子で」


「しらばっくれないで!」


 ヒルデガルドは真っ直ぐにピエールを睨みつけた。


「私の『お抱え』であるリュウジィに、なぜ一言の相談もなく三英傑をぶつけたのですか! あれは私の剣闘士ですよ!」


 ピエールは手にしていたカップを、ことりとテーブルへ置いた。


 三日月のように細められた目が、静かに王女を見据える。


「……相談?」


 その声音には、薄い嘲笑が滲んでいた。


「勘違いなさいませんよう。これは公的な『国営興行』です。特定の剣闘士を私物化されては困りますな」


「彼を死なせるつもりなの!? 私はそう言っているのです!」


 ヒルデガルドの声が室内に響く。


 だが、ピエールは眉一つ動かさなかった。


「彼は今や負け無しの人気者。その彼が伝説の三英傑に挑む……」


 ピエールはゆっくりと立ち上がる。


「これほど数字が跳ね上がるカードを、みすみす見逃せと?」


「数字……?」


「ええ、数字です」


 ピエールの口元が歪む。


「負ければ、それまで。勝てば莫大な収益。どちらに転んでも国営興行としては成功です」


「あなたは……」


 ヒルデガルドの拳が小さく震える。


 それを見ても、ピエールは涼しい顔を崩さなかった。


「決定は覆りません」


 冷たい声が、室内に落ちる。


「彼は戦う。そして、この街の連中は、彼が血を流す姿に酔いしれて金を落とす」


 ピエールは再びカップを手に取る。


「それがこの国の――いえ。それこそが、闘技場の『正義』です」


 ヒルデガルドは唇を噛み締めた。


 反論したい言葉はいくらでもある。


 だが、ここで何を言っても、この男の決定を覆すことができないことも理解していた。


「……絶対に、許しませんから」


 それだけを吐き捨てると、ヒルデガルドは踵を返した。


 重い扉が閉じる。


 その直後。


 ピエールの口元に、薄い笑みが浮かんだ。



 ――闘技場・地下練武場。



 地下深く。


 乾いた打撃音が一定の間隔で響いていた。


 吊るされた重い皮袋を、一人の男が高速のステップを踏みながら黙々と叩いている。


 タツヨ・ジョージ。


 拳が皮袋へ沈み込むたび、重い中身が芯から揺さぶられ、鈍い音が地下練武場へ響き渡る。


「……次の相手が決まったぞ、タツヨ」


 背後から声をかけられても、タツヨは振り返らない。


 最後の一撃を放つ。


 拳は正確に皮袋の中心を打ち抜き、巨大な袋が大きく揺れてから、ゆっくりと静止した。


 タツヨは拳を引く。


 拳に巻いた縄の緩みを確かめるように、ゆっくりと手を握り直した。


「誰だ」


「リュウジィだ。……例の『死神』だよ」


「……リュウジィ」


 その名を聞いた瞬間、タツヨの動きが止まった。


 無機質な視線が、初めて男へ向けられる。


「あの小僧か」


 ほんの僅かに、タツヨの口元が上がった。


「……いいだろう」


「中々強いぞ、リュウジィは」


「分かってるよ」


 タツヨは再び拳を構える。


「並の奴じゃ、勝てないだろうな」


 一歩踏み込む。


 次の瞬間、拳が猛烈な速度で空を切った。


「だけど――」


 さらに一発。


 二発。


 三発。


 余りの速さに、その拳の軌道すら目で追うことができない。


「俺は並じゃないんでね」


 そう言い放つと、タツヨは再びシャドーボクシングを始めた。


 無数の拳が、空気を切り裂いていく。


 その瞳には、先ほどまでの無機質な光とは違う、鋭い闘志が宿っていた。


 タツヨは、ふと拳を止める。


 脳裏に蘇るのは、数日前に見たリュウジィの姿。


 ただの剣闘士とは思えない、異様な身のこなし。


 そして――拳を放った瞬間に感じた、あの圧力。


「……俺の勘に間違いがなければ、あいつは、多分……」


 その先の言葉を、タツヨは口にしなかった。


 ただ、ゆっくりと拳を握り直す。


 地下練武場に、再び乾いた打撃音が響き始めた。





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