第46話 「あいつは……」
リュウジィの全身から立ち上る激しい熱気が、周囲の朝霧を白く吹き飛ばしていた。掌を返し、ゆっくりと息を吐き出す。
内功が身体の隅々まで行き渡り、神経が研ぎ澄まされている。
その静寂を、無遠慮な靴音が踏みにじった。
庭の入り口に現れたのは、闘技場の紋章が入った法衣を纏った管理官だ。後ろには、これ見よがしに剣の柄に手をかけた二人の護衛兵が控えている。
「朝からご苦労なことだ、リュウジィ。……週末のカードが下りたぞ」
管理官は、手元の羊皮紙に目を落かしながら鼻で笑った。
「メインイベントだ。相手は三英傑のタツヨ・ジョージ。……異論は認めん。これは事務局の決定だ」
「……お前が勝手に決めたわけじゃないんだろ」
リュウジィは再び三体式の構えへと意識を戻し、管理官を視界から外す。
「伝令なら、その紙を置いてさっさと帰れよ」
「な……貴様ッ……!」
思わず声を荒らげた管理官に、リュウジィが視線だけで応える。
「は?」
低く、突き放すような一言。その瞳に宿る鋭い殺気に押され、管理官はそれ以上言葉を継げなかった。
「……覚えていろよ!」
管理官は吐き捨てるように言い残すと、逃げるようにその場を後にした。
庭に残されたのは、地面に放り出された一枚の羊皮紙だけだ。
リュウジィは足元の紙を拾い上げた。そこに記された「三英傑・タツヨ・ジョージ」の名を、指先でなぞる。
(……やってやろうじゃねえか!)
腹の底から突き上げる熱い衝動が全身を駆け巡る。
未完成だからこそ、実戦で叩き上げて強くなってやる。そんな前向きなワクワク感に、リュウジィの口角が自然と上がった。
─── アズマリア王宮 ───
回廊に、鋭い靴音が硬く響き渡る。先頭を歩くヒルデガルド王女の背中からは、隠しきれない怒りが立ち上っていた。
制止しようとする文官を、ヒルデガルドは一瞥だにせず歩みを止めない。大臣室の重厚な扉の前まで辿り着くと、彼女は一切の躊躇なくその扉を押し開いた。
「ピエール。話があります」
部屋の奥、窓際で優雅に茶を啜っていたピエール・サバンが、ゆっくりと顔を上げた。
「これは、ヒルデガルド王女。朝から随分とお急ぎのご様子で」
「しらばっくれないで! 私の『お抱え』であるリュウジィに、なぜ一言の相談もなく三英傑をぶつけたのですか。あれは私の剣闘士ですよ!」
ピエールは一度カップを置くと、三日月のような細い目で王女を見据えた。
「……相談? 勘違いなさいませんよう。これは公的な『国営興行』です。私物化されては困りますな」
「彼を死なせるつもり!? そう言っているのです!」
「彼は今や負け無しの人気者。その彼が伝説の三英傑に挑む……これほど数字が跳ね上がるカードを、みすみす見逃せと? 負ければそれまで、勝てば莫大な収益だ」
ピエールの喉の奥で鳴るような笑い声が、豪華な執務室に冷たく響いた。
「決定は覆りません。……彼は戦う。そして、この街の連中は、彼が血を流す姿に酔いしれて金を落とす。それがこの国の、それこそが闘技場の『正義』です」
─── 闘技場・地下練武場 ───
地下に、乾いた打撃音が響いていた。
吊るされた重い皮袋を、一人の男が高速のステップを踏みながら黙々と叩いている。
タツヨ・ジョージ。
拳が沈み込むたびに、重い中身が芯から揺れる鈍い音が漏れる。
「……次の相手が決まったぞ、タツヨ」
背後から声をかけた男に、タツヨは振り返りもせず最後の一撃を放った。正確に中心を打ち抜かれた皮袋が、短く震えて止まる。
タツヨはゆっくりと拳を引き、拳に巻いた縄の緩みを確かめるように拳を握り直した。
「誰だ」
「リュウジィだ。……例の『死神』だよ」
「リュウジィ……」
その名を聞いて、タツヨは初めて動きを止めた。
無機質な視線を男に向けた。
「あの小僧か。……いいだろう」
「中々強いぞリュウジィは」
「わかってるよ。並の奴じゃ勝てないだろな。だけど俺は並じゃないんでね」
そう言い放つと今度はシャドーボクシングを始めた。
余りのスピードにパンチが見えない。
(俺の勘に間違いがなければあいつは……)




