第44話 アズマリアの影
闘技場を後にした。
だが、カミラが振るっていた、あの不自然に曲がる武器の軌道が、どうしても頭から離れない。
一度放たれたはずの刃が、まるで意思を持っているかのように標的を追い、あり得ない角度へと軌道を変えた。
あれがこの世界の強者たちが使う「力」なのだとしたら――俺の知っている武術の常識は、まだこの世界のほんの一部でしかない。
「フロド。先に帰っててくれ」
「え? 兄さんは?」
「ちょっと、この辺を歩いてから帰る」
そう言って、俺はフロドを先に家へと帰した。
一人になった俺は、あえて目的もなくアズマリアの街を歩き始める。
理由は一つ。
今朝から感じていた、あの視線だ。
家を出てからずっと、気配は消えていない。
俺が歩けば、一定の距離を保ってついてくる。
人混みに紛れても、角を曲がっても――消えない。
(……やっぱり、ついてきてるな)
賑やかな大通りを外れ、入り組んだ石畳の路地へと入り込む。
適当に角を曲がり、狭い通路を抜け、さらに別の路地へ。
そうして人の気配が薄れていくにつれて、背後の気配がはっきりと浮かび上がってきた。
一人。
いや――正確には、一人ではない。
周囲にも、いくつか気配が潜んでいる。
俺は足を止めた。
曲がり角の先へ進み、そのまま姿を消す。
数秒後。
俺を見失った影が、急ぎ足で角を曲がってきた。
その瞬間。
俺は影の背後へ回り込み、逃げ道を塞ぐように姿を現した。
「……何の用だよ」
男が、ぴたりと足を止める。
逃げ場のない袋小路。
頭上の屋根に二人。
そして路地の入り口側にも、さらに二人。
計四人。
全員が黒装束に身を包み、両手には短いダガーを握っていた。
「まあ、待ってください。こちらに戦う意思はありませんよ」
黒装束で口元を隠した、手足の長い男が静かに言った。
「ただ、あなたについて少し調べたいことがありましてね」
「何の調査か知らないけど、俺に構うな」
「そう言われましても……こちらにも事情がありまして」
男の声には、妙な余裕があった。
「お前ら何者だ。何故俺につきまとう」
「それは、お答えできません」
「なら――力ずくで聞くまでだ」
次の瞬間、俺は一気に距離を詰めた。
踏み込みで生じた風圧が、足元の砂塵を巻き上げる。
漆黒のチャイナ服が翻り、迸る金色の筋が宙を切り裂いた。
「劈拳――!!」
ブォッ!!
空気を割るような重い一撃。
完璧な間合いとタイミングで放った掌打が、男の胸元へ迫る。
だが――。
男は紙一重で身体を滑らせた。
まるで踊るように上体を捻り、俺の掌をかわす。
(速い……!)
しかし、俺は掌を止めなかった。
かわされた勢いをそのまま利用し、身体を回転させる。
遠心力を殺さず、横薙ぎの掌打へと繋げた。
「――ッ!」
バチィィィィッ!!
裂帛の気合と共に放たれた掌が、男の身体を横から捉える。
だが、男は衝撃が加わる瞬間、肘を鋭く曲げた。
腕だけで受けるのではない。
身体ごと後方へ飛ぶ。
俺の掌打の威力を、自分の移動へと逃がしたのだ。
(当たる瞬間、自ら飛んだか……!)
男は数メートル先へ着地すると、地面を蹴って軽く距離を取った。
その動きに、先ほどまでの余裕とは違う鋭さが宿っている。
「なるほど……」
男が口元を歪めた。
「これは久しぶりに、スリリングな相手ですね」
その瞬間。
男の気配が変わった。
俺は深く、静かに息を吸う。
体内を巡る熱量を意識的に制御し、内功の出力を引き上げていく。
最近になって分かった。
身体強化は、ただ力を高めればいいわけじゃない。
自分の身体を、最後まで思い通りに動かせる範囲で高める。
力を持て余せば、逆に動きが鈍る。
(このくらいが、今の俺には丁度いい)
対する男が、両手のダガーを構えた。
そして――その刃を不規則に揺らし始める。
右へ。
左へ。
上下へ。
まるで腕そのものが何本にも増えていくように、刃の残像が重なっていく。
(何だ……? 魔法か……!?)
「行きますよ」
男が、低く身を沈めた。
「はぁっ!」
甲高い気合と共に、一気に踏み込んでくる。
視界を埋め尽くす無数の腕。
その隙間から、幾重ものダガーが閃いた。
正面だけではない。
左右。
上下。
逃げ道そのものを塞ぐように、刃が連続して襲いかかってくる。
俺は咄嗟に身体を反らした。
流水のように身体を捌きながら、両手を連続して繰り出す。
迫る刃を一つ。
また一つ。
正確に叩き落としていく。
ババババババババッ!!
金属同士が激しくぶつかり合い、火花が視界の端で散った。
だが――。
多すぎる。
すべてを捌き切ることができない。
「――ッ!」
肉を抉るような鋭い感触。
次の瞬間、腹部に強烈な衝撃が突き刺さった。
「うぐっ……!」
息が詰まる。
俺は弾かれるように後方へ下がり、距離を取った。
腹の奥に、鈍い痛みが残っている。
(今のはヤバかった……)
衣服には大きな傷こそない。
だが、内功による防御がなければ、今の一撃は致命傷になっていた。
男はダガーを構えたまま、ゆらりと身体を揺らしている。
「あなたも、ハズレの武術家スキルですか?」
「……何?」
「私も同じですよ」
男は自嘲するように笑った。
「魔剣士というスキルでしてね」
両手のダガーが、再び不規則に揺れる。
「魔術も二流。剣士としても二流にしかなれない。……ですが」
男の目が細くなる。
「だからといって、弱いわけじゃない」
再び、男が踏み込んできた。
今度は迷いがない。
低い姿勢から放たれる鋭い斬撃が、次々と急所を狙って飛んでくる。
俺は紙一重で身体を捻り、襲い来る刃を捌き続ける。
だが――。
(このままじゃジリ貧だ……!)
攻撃の数が多すぎる。
すべてを捌き切ることはできない。
(捌けないなら――)
迫る刃の隙間から、男の利き腕を狙う。
(この手で打ち抜くッ!!)
無数のダガーが迫る中、俺は一瞬だけ踏み込んだ。
外回転の掌を、男の右腕へ叩き込む。
「横拳――!!」
バシィィィッ!!
炸裂する衝撃。
男の右腕が、あり得ない方向へ弾かれた。
「ぐっ……!」
その身体が大きく崩れる。
勝機。
俺は逃さない。
吹き飛びかけた男との距離を、一気に詰める。
踏み込みは、先ほど男が吹き飛んだ速度すら上回った。
「崩拳――!!」
がら空きになった胸元へ、渾身の一撃を叩き込む。
――だが。
男は宙に浮いたまま、身体を捻った。
そして、両足の裏を俺の拳へ向ける。
「――ッ!?」
ドンッ!!
拳と両足がぶつかった。
男はその瞬間、足を引くのではなく――逆に蹴り返した。
俺の拳の威力と自分の蹴りの勢い。
二つを合わせるようにして、さらに後方へ飛ぶ。
致命的な衝撃が、空中へ逃がされていった。
(こいつ……!)
男は地面へ転がる寸前、身体を捻って着地する。
右腕は明らかに痛めている。
それでも、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「っ……強烈ですね」
男は右腕をかばうようにしながら、肩をすくめる。
「右手は、しばらく使い物にならなそうだ」
そして、周囲へ視線を送った。
「今日はこれぐらいにしておきましょう」
その言葉を合図に、屋根の上にいた二人が身を翻す。
路地の入り口にいた二人も、音もなく後退していく。
「待て!」
俺が踏み出した瞬間には――。
四人の姿は、路地の深い影へと溶け込むように消えていた。
(……調査、か)
男が去り際に残した言葉が、耳の奥に冷たくこびりついて離れない。
俺の家が監視されていたのは、今朝からだ。
つまり、カミラの試合を見に行く前から――俺の行動は、何者かに監視されていた。
(魔剣士、ね……)
腕が増えたように見えた、あの変則的な動き。
初見では完全に見切ることができなかった。
現に、腹にはまだ鈍い痛みが残っている。
そして何より――。
(確かに、あの横拳で右手を潰した感触はあった)
だが、その直後。
あの間合いから俺の崩拳を両足で受け止め、すべての衝撃を逃がした。
(あれだけの状況で、あんな判断ができるのか……)
最後は鮮やかに逃げられた。
その引き際の速さも含めて、俺は改めて思い知らされていた。
この世界には、俺の知らない技術を持った「プロ」がいる。
そして――そいつらは、俺を調べるために動いている。
(この街、アズマリア……)
ただ平和で穏やかな街ってわけじゃなさそうだ。
一体、誰が。
何の目的で。
この街の裏で糸を引いている?
俺は疼く腹をそっと押さえながら、路地の出口へと歩き出した。
衣服には、一粒の塵すら付いていない。
だが、内功による強固な防御をわずかに抜いて響いた腹の奥の鈍い痛みは、まだ消えずにくすぶっていた。
(……一度、薬でも買って治しておくか)
アズマリアの賑やかな表通りから一本外れた、薄暗い裏通り。
そこにある小さな薬師の店へと足を踏み入れた。
「……腹の打ち身に効く薬はあるか」
カウンターの奥にいた無愛想な老薬師が、うらぶれた目で俺をちらりと一瞥する。
そして何も言わず、棚から小さなガラス瓶を取り出した。
「打ち身か。十五ゴルドだよ」
俺は銀貨を一枚カウンターに置き、小瓶を受け取った。
その場で雑に栓を抜き、苦味の強い液体を一気に喉へ流し込む。
(……一応、聞いてみるか)
店を出ようとしたところで足を止め、カウンターの老薬師を振り返った。
「おい。この街には、黒装束の集団がうろついてるのか?」
老薬師が、ちらりとこちらを見る。
「さっき、近くの路地で不意打ちに襲われたんだが」
老人は面倒くさそうに鼻を鳴らし、気だるげに首を横に振った。
「……さあねえ。そんな物騒な話が知りたきゃ、あそこの門の衛兵にでも聞きな」
そして、ぶっきらぼうに続ける。
「うちはただ、薬を売るだけの店だからね」
老人はすでに次の作業へと意識を戻していた。
俺の話など、もう興味の範疇外らしい。
「……そうかよ」
吐き捨てるように呟き、俺は店を出た。
たまたま立ち寄った小さな店で、都合よく有力な情報が手に入るほど、現実の世の中は甘くないらしい。
だが――。
表通りの喧騒が、今の俺の耳には妙に苛立たしい余計なノイズに聞こえた。
家には、何も知らずに待っているフロドがいる。
俺はジクジクと痛む腹を片手で押さえながら、家路へと急ぎ足を早めた。
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