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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第43話 漆黒と純白の処刑人




 朝の冷たい空気が肌を刺す中、家を出てすぐに妙な違和感を覚えた。


 向かいの建物の一角。


 古びた窓枠の隙間から、背筋が粟立つような鋭い視線が向けられている。


 反射的に足を止め、目を凝らす。


 だが――そこには誰もいなかった。


 窓の奥にあるのは、薄暗い室内と積み上げられた古びた木箱だけ。


 それでも、さっきまで確かに感じていた視線の残滓(ざんし)が、肌にまとわりついて離れない。


「……何か、見張られてるような感じがしたんだけど」


 俺が呟くと、隣を歩いていたフロドが、きょとんと小首を傾げた。


「え、そう? ……なんだろ、リュウジィ兄さん。また闘技場の関係者かな」


「……まあ、そうかもな」


 俺はそれ以上追及することなく、朝日に染まる大通りへと歩き出した。


 気のせいなら、それでいい。


 だが――もし気のせいではなかったとしたら。


 そんな俺の様子などどこ吹く風と、フロドはぱっと顔を輝かせ、楽しそうに身を乗り出してくる。


「ねえ、それならさ! これから闘技場に行こうよ! 今日はカミラ・ヴァン・クロムの試合があるんだよ!」


「カミラ・ヴァン・クロムか」


 以前、フロドから聞いた名前が、頭の中に蘇る。


 タツヨ・ジョージ。


 ムサシ・ミヤモト。


 そして、カミラ・ヴァン・クロム。


 三英傑と呼ばれる三人のうち、俺がまだ実際の戦いを見たことがないのは、この女だけだった。


「そう! 兄さん、カミラの戦いはまだ見たことないでしょ? 一番いい席で見れるんだ。どんな戦い方するのか、実際に見といた方がいいって!」


「……そうだな。見ておくか」


 フロドの弾んだ声に促され、俺たちは街の中心にそびえる巨大な闘技場へと向かった。


 近づくにつれて、地面を揺るがすような大歓声が、鼓膜を激しく叩いてくる。


 重厚な石造りの門をくぐり抜けた瞬間、むせ返るような熱気が全身を包み込んだ。


 頭上には抜けるような青空が広がり、その下には壮大なコロッセオ形式の観客席が広がっている。


 俺たちは闘技場の全景を見下ろせる中段の席に腰を下ろした。


「……まだ始まらないのか?」


「三英傑は最後だよ。直前までは普通の試合が続くんだ」


 フロドの言葉通り、眼下の舞台では数組の剣闘士たちによる泥臭い試合が続いていた。


 大男が重い剣をがむしゃらに振り回し、若い挑戦者が取っ組み合って砂塵を巻き上げては転げ回る。


 現世で長年、形意拳を修練してきた俺の目から見れば、どれもこれもパワー任せの粗削りな動きだった。


(……あんな大振りじゃ、俺でも避けられそうだな)


 周囲の観客たちが熱狂の渦に飲まれている中、俺だけは冷ややかな目でその試合を見届けていた。


 やがて、いくつかの凡戦が終わり、舞台の上が綺麗に片付けられる。


 ――その瞬間だった。


 会場の空気が、ピタリと変わった。


 観客席の天井付近に設置された巨大な反射板が、ガタリと音を立てて動く。


 燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光が一点へと収束し、舞台の中央を眩く照らし出した。


 その圧倒的な光の柱の中に、一人の女が歩み出てくる。


『――お待たせいたしました! 三英傑が一人、カミラ・ヴァン・クロム!!』


 劇場が割れんばかりの爆発的な歓声が巻き起こった。


 その熱狂の只中を、カミラはまるで周囲など見えていないかのように、静かで淀みのない足取りで歩いてくる。


 艶やかな漆黒の長い三つ編み。


 そして、氷のように冷たく、気高く輝く純白の軍礼服。


 白磁のような肌と整った顔立ちは、黒と白の強烈なコントラストを描き出し、先ほどまでの剣闘士たちとは比べ物にならないほどの異質な存在感を放っていた。


 彼女が闘技場の中央へ歩みを進める。


 それだけで、数万人の観客が息を呑んだ。


 さっきまでの熱狂が嘘のように消え、会場は水を打ったように静まり返る。


 対峙するのは、分厚い鉄の鎧に身を固めた二人の巨漢。


 彼らは磨き上げられた武器を構えているというのに、まるで獰猛な猛獣を目の前にした小動物のように、その巨体を小刻みに震わせていた。


『さあ、本日のメインイベント! 挑むは連勝中の狂戦士コンビ! 果たして彼女の牙城(がじょう)を崩せるかぁ!』


 実況席からの絶叫が、静寂を切り裂く合図だった。


 男たちは恐怖をかき消すように野太い咆哮を上げながら、一斉に突進していく。


 対するカミラは、肩に預けていた自分の背丈ほどもある長いグレイブを、まるで羽のように軽やかに、だが一切の無駄のない流麗な所作で旋回させた。


 ――ヒュンッ。


 放たれた一撃目は、空気を切り裂く鋭い水平の一閃。


 対戦相手の巨漢が、死に物狂いで上体を大きく逸らす。


 刃が鼻先を掠める。


 完全に避けた。


 俺には、そう見えた。


 だが――。


 ――カクン。


「……は?」


 思わず声が漏れた。


 空中を走っていたグレイブの刃が、不自然な角度で折れ曲がった。


 まるで見えない何かに引っ張られたように、軌道そのものを変える。


 そして――避けたはずの男へ向かって飛んだ。


「――がはっ!?」


 刃が、がら空きになった脇腹へ深々と食い込む。


 男の巨体が吹き飛び、砂地を転がった。


「な、なんだ、今の……ッ!」


 もう一人の男が恐怖に顔を引きつらせ、必死に後退する。


 だが、カミラは表情一つ変えない。


 ただ、グレイブを振り抜いた。


 ――ヒュッ。


 放たれた刃は、男の正面を通り過ぎる。


「避けた……!」


 男がそう思った、その直後だった。


 刃が視界から消えた。


「――なっ!?」


 次の瞬間。


 背後から回り込んだ刃が、男の足首を深く、容赦なく切り裂いた。


「ぎ、ぎゃああああっ! 足が、俺の足がぁぁ!!」


 男が砂地へ倒れ込む。


 観客席から悲鳴交じりのどよめきが沸き起こった。


 俺は無意識に身を乗り出していた。


(……どういう軌道だ?)


 見えないわけじゃない。


 むしろ、はっきり見えている。


 だからこそ、おかしい。


 一度振り抜かれたはずの刃が、空中で軌道を変えている。


 しかも――狙った相手を追っている。


(……ありえねえ)


 どんなに鋭く踏み込もうとも。


 どんなに完璧なタイミングで受け流そうとも。


 攻撃そのものが、避けた方向へ曲がってくるのなら――。


(今までの俺の理屈じゃ、対処できない)


 それは、俺がこれまで積み上げてきた武術の常識とは、まるで別物だった。


 カミラは、絶望に染まり、砂塵の中で這いつくばる男たちの首筋へ、冷たくグレイブの先端をピタリと突きつけた。


 その整った表情には、勝利の余韻や高揚感など微塵もない。


 ただ淡々と。


 作業を終えた人間のように、結果を確認しているだけだった。


 ようやく審判の情けない笛が鳴り響く。


 ――試合終了。


 直後、闘技場が地鳴りのような歓声に包まれた。


 だが、俺の胸中だけは冷たいざわつきに支配されていた。


(……なるほどな)


 以前、フロドが言っていた意味が、ようやく分かった。


 タツヨも、ムサシも、そしてこのカミラも――。


 三英傑と呼ばれるだけのことはある。


 だが、カミラのあの刃は、タツヨの拳とも、ムサシの二刀ともまるで違う。


(あの『曲がって追ってくる』刃……どう対処すればいい?)


 俺がこれまで積み上げてきた武術の理屈では、あの攻撃に答えが出ない。


 なら――。


 別の答えを探すしかない。


「兄さん! すごかったね!」


 興奮冷めやらぬ様子で、フロドが何度も俺の服を引っ張る。


「ねえ、もう帰ろうよ!」


「ああ……そうだな」


 俺は重い腰を上げた。


 フロドに促されるまま、俺たちは闘技場を後にする。


 外へ出ると、空はすでに西日に染まっていた。


 振り返れば、闘技場の巨大な影が地面へ長く伸びている。


 その姿はまるで――得体の知れない怪物のようだった。


 伸び広がった黒い影が、俺たちの足元をゆっくりと、そして不気味に飲み込んでいった。


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