第41話 不遜な契約と夜会の毒
アズマリアの闘技場で十五日間で、五連勝。
最短の手数で敵を容赦なく沈める俺の冷徹な戦い方は、運営側にとっては扱いづらい代物だった。
だが、スリルを求める観客を呼び寄せるには、十分すぎるほどの極上の商品になっていた。
連勝街道を突き進み、どこか気分のいいまま試合をこなしていた日々。
だが、それが格好の呼び水となった。
目論見通り、俺は王宮へと引き摺り出されることになった。
華美に飾られた王宮の一室。
そこで俺を待っていたのは、二十二歳の王女ヒルデガルドだった。
見るからに金のかかっていそうな派手な装飾品を身に纏い、高価な香油の甘ったるい匂いを漂わせている。
その姿だけを見れば、いかにも特権階級の人間という印象だ。
彼女は俺を頭の先から足元まで値踏みするように眺め、冷ややかな声で言った。
「闘技場での活躍は見ていた。私のお抱えになりなさい、リュウジィ。それなりの待遇は約束するわ」
(よし、予定通りだ)
(てか、王族ってのはどいつもこいつも気に入らない。まるで現世の成り金客みたいだな。でも、今は我慢だ)
「お抱えにして頂くのは有難いですが、住居は結構です」
俺は一呼吸置いてから、はっきりと言った。
「下町に一緒に住んでいる弟分がいて、そいつの待つ家で過ごすのが一番落ち着くんですよ。仕事の時以外は、あっちで自由にさせてください。そちらのやり方に口を出すつもりはありませんから」
王宮での贅沢な暮らしを、さらりと断る。
ヒルデガルドは意外そうに目を瞬かせた。
やがて、ふふ、と喉を鳴らす。
「変わった人ね」
どこか面白がるような笑みを浮かべた彼女は、俺の申し出をあっさりと受け入れた。
次の日の夜。
俺は契約後の初仕事として、絢爛豪華な衣装をまとった貴族たちが集う、退廃的な夜会に同行していた。
きらびやかな大広間には、肥え太った金持ちたちの身勝手で醜い欲望が、これでもかと渦巻いている。
この夜会の目玉は、貴族たちがそれぞれ連れてきたお抱えの剣士を無理やり戦わせ、その優劣を競わせるという下劣な余興だった。
黄金のきらびやかな箱から番号の書かれた札を引き、運悪く当たった者同士が舞台へ引きずり出される。
それが、この場のルールらしい。
要するに、奴らにとって俺たちの命懸けの戦いなんて、優雅な暇つぶし。
退屈を紛らわせるための玩具にすぎないのだろう。
「おや、ヒルデガルド殿下。それが例の死神ですか?」
黄金の箱による抽選が進む中、上座に陣取る男の近くにいた貴族が、下卑た笑みを張り付けながらねっとりと近づいてきた。
「闘技場で随分と派手に暴れているそうですな」
「ええ」
ヒルデガルドが短く答える。
だが、残酷にも最後まで俺の番号が呼ばれることはなかった。
「おやおや、運がありませんでしたな」
貴族が肩をすくめる。
「殿下、あんな細身の若造が壊れるのが怖くて、裏で手を回されたのでは?」
「ハハハ! お人形さんは、観賞用としてお城に飾っておくのがお似合いですぞ」
周囲から下卑た笑い声が上がる。
ヒルデガルドの肩が、ほんのわずかに震えた。
悔しさを堪えているのか。
それとも、怒りを押し殺しているのか。
俺には分からなかった。
ただ――。
寄ってたかって、一人を笑いものにする。
その薄汚いやり方が、どうにも気に入らなかった。
俺は重厚な壁際から、音もなくゆっくりと歩み出た。
一歩。
また一歩。
硬質な革靴の音が、シャンデリアの輝くホールの床に冷たく響き渡る。
「……よしなさい、リュウジィ。彼らの相手をする必要はないわ」
ヒルデガルドが慌てて俺の袖を制そうとする。
俺はその手を振り切ることもなく、ただ静かに歩き続けた。
そして、勝ち誇った金持ちたちが円を作って囲む舞台へ、鋭い視線を投げる。
「いいよ。そこの二人とやるよ」
俺は顎で二人の剣士を示した。
「まさか逃げないよね」
一瞬にして、凍てつくような静寂が広大なホールを支配した。
面目を完全に潰された貴族の顔が、見る見るうちに真っ赤に染まる。
「貴様、無礼だぞ! こいつを殺せ!」
怒号とともに、貴族の背後に控えていた二人の士が、殺気をむき出しにして愛剣を抜いた。
次の瞬間、猛獣のように飛び掛かってくる。
双剣の男が影のように素早く肉薄した。
冷たい刃が、俺の視界を切り裂く。
その刹那。
俺は重心を落とした半身の構えで刃をかわし、ガラ空きになった懐へ左掌を真っ直ぐに突き出した。
(形意拳――『劈拳』)
パァァァン!!
ガラスが割れるような乾いた破裂音が、ホールを激しく劈いた。
掌底が男の顔面を捉える。
首が不自然な角度でぐんにゃりとのけぞり、その肉体が数メートル後方へ吹き飛んだ。
男は頑丈な飾り柱に背中から激突し、そのままぐったりと崩れ落ちる。
「貴様ぁぁ!」
相棒が一瞬で沈められたことに逆上した大斧の巨漢が、血走った目を剥きながら巨大な斧を振り下ろす。
だが、その初動の揺らぎを俺は見逃さない。
斧の重い質量がこちらに届くよりも早く、一歩深く踏み込んだ。
研ぎ澄ました右拳を、男の鳩尾へ最短距離で突き刺す。
(内功を一点に凝縮した、形意拳――『崩拳』)
ドスゥッ!!
鈍い衝撃音。
巨漢の動きが止まった。
次の瞬間、身体がくの字に折れ曲がる。
そのまま男は背後の豪勢なテーブルへ盛大になだれ込んだ。
グラスや高価な銀食器が、シャラランと床へ散らばる。
広大な会場に、信じられないものを見た者たちの引きつった息遣いだけが重く残った。
(どうだ! 見たか!)
俺は息一つ乱さず、その場に立っていた。
痺れた腕の力を抜くように、手首を軽く回す。
この肉体は、俺が思い描くイメージに思った以上に忠実に応えてくれる。
「……殿下、こんなもんでいいですか」
目の前の光景に呆然と立ち尽くすヒルデガルドへ、俺は肩越しに短く声をかけた。
ヒルデガルドの美しい顔に、どこか救われたような、隠しきれない嬉しそうな笑みがふっと浮かぶ。
その静まり返ったホールの中で、ただ一人。
上座の特等席に座る男が、余裕の笑みを崩した。
そして――。
「くく……はははは! 実にいい。殿下、いい拾い物をなさいましたな」
男は満足げに目を細め、ゆっくりと優雅な拍手を送る。
周囲の貴族たちは、その笑い声に弾かれたように顔を見合わせ、おずおずとそれに追随していった。
俺はその鬱陶しい拍手を背中で無造作に受け流しながら、冷め切った足取りで舞台を降りた。
やっぱり俺には、こういう着飾っただけの場所は居心地が悪い。
だけど――。
計画通りだ。
この王宮の闇を暴き、リリス王女暗殺の真実を、この手で必ず掴まなければならないのだから。
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