第40話 門番
闘技場に踏み出した瞬間、地響きのような歓声が降ってきた。
貴賓席を見上げれば、着飾った貴族たちが退屈を紛らわせる余興を品定めするようにこちらを見下ろしている。
対面に立つのは、三英傑への門番。
無駄に膨れ上がった筋肉に、巨大な鉄球。……力任せに振り回すだけの、よくあるタイプだ。
(……。……。まあ、やれることをやるだけだ。ここで勝たないと先へ進めないんだからな)
「おい、新入り! その涼しい顔を、俺の鉄球でグチャグチャにしてやるよ!」
男の咆哮と共に、鉄球が唸りを上げて回り始めた。
俺は鉄球が描く軌道の際どい場所に踏み込む。鼻先を掠める風の音は怖いが、自分の感覚を信じるなら、この間合いが一番確実だ。観客席から悲鳴のような歓声が上がった。
鉄球の遠心力が最大になる直前、俺は『践歩』で前へ進む。
斜めに滑り込み、敵の死角へ。
重心を低く保ち、地を捉えてジグザグの軌跡を描く。鉄球が描く「円」の軌道に対し、鋭角の歩法でその隙間を縫うように突き進んだ。
「なっ……!? どこへ……!?」
男の驚愕を余所に、俺は懐へと吸い込まれるように入り込んだ。
男の胸元、吐息が届くほどの至近距離で足を止める。
指先で男の肩を軽く突き、すぐに距離を戻す。
「ふ, ふざけるな!」
門番がなりふり構わず鉄球を振り回し始める。
俺は再び『践歩』で前へ進み、鏡合わせのように男の死角へ回り込み続けた。貴賓席の連中が身を乗り出すのがわかる。
一気に後ろに下がって距離を取った。それまでの前進を止め、間合いを切る。
男は突然の撤退に一瞬呆然とし、すぐに勝機を見出したと言わんばかりに叫んだ。
「逃げるかァッ!!」
門番が全身の力を込め、鉄球を真正面から叩きつける。
距離が空いた分、鉄球は加速を得て、一直線に飛来した。
目前に迫る巨大な鉄の質量。俺は身体の軸を固定し、最短距離を射抜く軌道を描いた。
(形意拳――『劈拳』)
ただのストレートの掌打だ。だが、そこには歩法が生む推進力のすべてを乗せている。
俺の掌が、飛来する鉄球の中心を真っ直ぐに突いた。
パァァァァァァァン!!!!!!!
鼓膜を揺さぶる衝撃音が響く。
掌が当たった瞬間、逃げ場を失った衝撃が鉄の塊へと貫通した。
鉄球は物理法則を無視したような凄まじい勢いで、あらぬ方向へと弾き飛ばされた。跳ね返った鉄球は、保持していた男の手から鎖を引きちぎり、闘技場の壁に深々と突き刺さった。
「……次、いくぞ」
「おのれ小僧!」
太い腕からの力まかせの、大振りのテレフォンパンチ。それをあえて避けず、両手で下から外回しの軌道で跳ね上げる。
ズザザザザッ!
バランスを崩して後に下がったその巨体に一気に距離を詰め、外回転した両手の掌が左右の上腹部を襲う。
(十二形拳――『駘形拳』)
スパッアァァァァン!
巨体がくの字に折れてそのまま吹き飛んだ。
門番と言われた男は、起き上がれなかった。
(正直、東の国に潜入とか陰謀を暴くと、どうでもいいし、面倒くさいと思ってた。だけど現世で店を潰して、落ちぶれて生きてた時に、馬鹿な俺でもわかった事が1つある。人生にとって大事な事は大体面倒くさい)
俺は一瞥もくれず、門番を残して闘技場を後にした。
控え室に戻ると、そこにはまだ出番を待つムサシ・ミヤモトがいた。二本の刀を傍らに、彫像のように動かない。先ほどの俺の試合の音は聞こえていたはずだが、視線を向けてくることすらなかった。
それから暫くして、メインイベントの開始を告げる鐘が鳴り響いた。
「……出番だ」
ムサシが低く呟き、二本の湾曲した剣――村雨ブレードを手に取って立ち上がる。その背中が通路の光に消えていくのを、俺は静かに見送った。
「兄さん、おいらたちも見に行こうぜ! ムサシの試合は、立ち見でもいいから見とかないと損だ!」
フロドに促され、俺は軽く頷いた。
「そうだな。あいつの実力、見ておくか」
俺たちは控え室を抜け、熱気で膨れ上がる観客席の端へと向かった。人混みをかき分け、視界が開けた先には、再び静まり返った闘技場。
そこには、二本の刀を抜き放ち、月明かりのような冷たい光を放つ『村雨ブレード』を構えたムサシ・ミヤモトが立っていた。
(宮本武蔵のパクリかよ……と突っ込みたいところだが、あの構え、隙がないな)
対面に立つのは、ツヴァイハンダーを構えたギルベルトだ。
「……遅い」
ムサシの口がわずかに動いた。
激突の瞬間、ムサシの『村雨ブレード』が青白い火花を散らした。二つの剣がまるで別々の生き物みたいに動き、大剣の勢いを逃がす。
ムサシの振るう二本の刀は、もはや人の手による制御を離れているように見えた。一太刀浴びせるごとに、村雨ブレードが血を吸って赤黒く変色していく。
血を吸いつくすまで攻撃は止まらない。
左の剣が外回しの軌道で、厚いプレートアーマーごとギルベルトの右膝下を滑らかに斬り飛ばした。
「ガ、アアアァァァッ!!」
ギルベルトが絶叫し、バランスを崩して前のめりに崩れ落ちる。その無防備な首筋に、右の剣が吸い込まれた。抵抗なく皮肉を断ち切り、男の首が虚空を舞う。
剣がムサシを突き動かし、斬撃の雨を降らせ続ける。胴体だけになった男が闘技場に崩れ落ちても、四肢を細切れに刻み、血を啜るために踊らせているのだ。
「兄さん、あれが三英傑の本気だよ。一度刀を抜いたら、相手が死ぬまで止まらないんだ……」
隣でフロドが震えている。
闘技場では、血を吸い尽くした村雨ブレードが妖しく光り、原型を留めないギルベルトの残骸が転がっていた。
地響きのような歓声の中、俺は静かにその場を離れた。
(……あんなのを、これから相手にするのか。さっきの自分の試合が、まるでおままごとに思えてくる。あいつの剣に、俺の拳は届くのか。喉の奥が引き攣るような感覚が消えない)
(後何回勝てば貴族たちの目に止まるのか? もたもたしてられない)




