第38話 蒼き拳の残光
闘技場を出ると、断崖に突き出したアズマリアの街が夕日に照らされ、燃えるように赤く染まっていた。
フロドは抱えた二つの革袋を一度強く抱え直し、興奮を抑えきれない様子で俺に向き直った。
「兄さん、俺、一度家に戻ってプリカを連れてくるよ! せっかくの御馳走なんだ、プリカ抜きじゃ食べれないよ。……店で待ち合わせでもいいかな?」
「ああ直で行く。適当に座ってる」
「分かった! すぐ戻るから、絶対先に始めないでよ!」
フロドはそう言い残すと、金貨の詰まった袋の重さも忘れたような猛スピードで、街外れにある家の方へと駆けていった。
俺は一人、潮風の吹く崖沿いの道を歩き出し、フロドに教えてもらった目的の店『飛龍の翼亭』へと向かった。
断崖の絶壁にせり出したテラス席からは、夕日に照らされた海が水平線まで見渡せる。
「……一人だ。連れが後から二人来る」
入り口で給仕に告げ、俺はテラスの隅の席に腰を下ろした。運ばれてきた冷えた水を口に含み、暮れゆく海を眺める。
しばらくして、入り口の方が騒がしくなった。息を切らしたフロドが、プリカの手を引いて現れた。
「リュウジィ、勝ったんだって!? お疲れさま!」
パッと顔を輝かせて駆け寄ってきたプリカに短く頷き、俺たちはそのまま席に着いた。
並べられた豪華な料理も、興奮冷めやらぬ二人の手にかかれば一瞬だった。慣れない贅沢と一日の緊張が切れたのか、プリカは最後の一口を飲み込むと、椅子に座ったまま船を漕ぎ始めた。
「……ふわぁ。兄さん、俺、もう一歩も動けないよ。プリカも限界みたいだ」
満足げに腹を叩くフロドを促し、俺たちは夜の帳が下りた街を、いつもの家へと引き上げた。
翌日、アズマリアの街は朝から妙に騒がしかった。
石畳を叩く馬車の音と、行き交う人々の話し声が、朝の冷気と共に狭い路地裏まで入り込んできている。
俺は、隣を歩くフロドと共に、その雑踏の中を歩いていた。
歩くたびに、しなやかな黒い生地に金色の筋が浮かぶ。フロドは「兄さんの服、相変わらず洒落てんなぁ」と能天気に笑いながら、せわしなく辺りを見渡していた。
「なあ、兄さん。今日の街の空気、普通じゃねえと思わないか?」
「……何かあるのか」
「あるのか、なんてレベルじゃねえよ! 今日は闘技場の『三英傑』の一人、あのタツヨ・ジョージの試合があるんだ!」
フロドがその名を口にすると、周囲の通行人たちも一瞬、足を止めて期待に満ちた表情を浮かべた。
「『アトラスの双拳』――あいつのガントレットに殴られたら、どんな鉄壁の魔法も紙クズみたいに弾け飛ぶんだぜ。あいつ、武器も魔法も使わねえで、両手の拳だけで戦う変なスタイルなんだけど、それがとんでもなく強いんだ。チケットはもう売り切れだろうけど、広場の巨大な投影魔石ならまだ見えるはずだ。目に焼き付けに行こうぜ!」
フロドに急かされるまま、俺たちは街の中央広場へと足を向けた。
そこにはすでに黒山の人だかりができていた。皆の視線の先、広場に設置された巨大な魔石が鈍く光り、闘技場の熱気を鮮明な映像として空中に映し出している。
砂埃の舞うリングに、一人の男がゆっくりと姿を現した。
上半身は裸。隆起した筋肉は無駄がなく、野生動物のようなしなやかさを感じさせる。
男が取った構えを見た瞬間、俺の脳裏に前世の記憶が鮮烈に蘇った。
(ボクシング……?)
この世界では「変なスタイル」と呼ばれているらしいその動きは、紛れもなく俺の知る拳闘そのものだった。
だが、俺の視線はすぐにその両拳に釘付けになった。メタリックブルーのガントレット。
観客たちはあれをただの『名前の付いた名品』だと思っているだろう。だが、俺にはわかる。
『ファフニールの鎧』と同じ類の武具――。
試合開始の合図と共に、タツヨが動いた。
速い。だが、もっと驚くべきはその無慈悲さだった。
対戦相手の巨漢が振り下ろす大剣を、タツヨは紙一重のステップでかわすと、左でボディーを撃ち抜く!
ドン!
男の顔が下がった所で、ジャブ!
バン!
巨漢の男が後に弾かれる、だけど追撃しない。 大剣できりつけて来るタイミングで左ボディーでカウンター! そしてジャブ。
1発、2発、3発、4発。
ドン!バン!ドン!バン!
一撃で沈められる実力がありながら、あえて致命傷を避け――。
「……こいつ遊んでる。左だけで倒す気か」
俺は無意識にそう呟いていた。
目の前の魔石に映る男は、湧き上がる歓声を餌に、ただ純粋な暴力を楽しんでいるようだった。
巨漢の男がフラフラになったその瞬間!
一気に踏み込んで、右ストレート。
男は衝突事故にでもあったように、地面を回転しながら吹き飛んだ。
広場を埋め尽くす観衆から、地鳴りのような歓声が上がる。
「見たかよ兄さん! あの踏み込み、一撃でぶち抜いちまった……! あれが三英傑、タツヨ・ジョージだ!」
フロドが興奮して叫ぶ声を背に、俺は無言で広場を後にした。
あの右。あのメタリックブルーの輝き。
遠からず、あの「三英傑」という壁を意識せざるを得ないことを、本能が理解していた。




