第36話 運営委員会の接触と初陣
翌朝、俺はフロドを連れて再び街をブラブラと歩いていた。
この国は、どこに行っても闘技場の話題でもちきりだ。昨夜の酒場での一件も、すでに尾ひれがついて広まっているらしく、すれ違う奴らが時折俺を見てはヒソヒソと話している。
「……やっぱり目立つな」
俺が着ている『黒竜ファフニールの鎧(チャイナ服)』は、一見すると漆黒の布地を重ねただけの軽装に見えるが、この国では見かけないデザインな上に、動くたびに金の筋が走る。昨日あんな騒ぎを起こしたばかりだ。これでは目印にしてくださいと言っているようなものだった。
案の定、前からガタイのいい男たちが四人、道を塞ぐように立ちはだかった。全員が統一された意匠の革鎧を着ている。
「おい、あんた。ちょっといいか」
中心にいた、口髭の男が俺を指差した。
「あんただろ。昨日の夜、酒場でダイナマイトキッドをボコボコにしたのは」
「ああ。向こうが突っかかってきたから、少しやり返しただけだ」
「『少し』だと? あいつは今、医者から二度と武器は握れないと言われて寝込んでるぞ。……俺たちは闘技場運営委員会の者だ」
背後にいたフロドが、俺の服の裾を掴んで震え出した。
「に、兄さん……まずいよ、運営委員会の逆鱗に触れたら、この国じゃまともに生きていけない……」
「あいつは今日からの大会で、貴族たちが前もって大金を注ぎ込んでいた注目選手の一人だったんだ。直前にカードに穴が開けば運営の信用に関わる。その責任、どう取ってくれるんだ」
髭の男が、俺のを値踏みするように見た。
「見たことのない服だな。昨日の立ち回りも聞いた。……あんた、キッドの代わりに出ろ。リザーバー(補欠)枠だ」
「断ると言ったら?」
「キッドに賭けていた貴族たちが黙っちゃいないぞ。この国で運営と貴族を敵に回して、無事でいられると思うな。……だが、もし代わりに出て連勝でもしてみろ。賞金も出るし、あんたの名前はこの国中に売れる。連勝を重ねれば、王宮に呼ばれることもあるんだぞ」
王宮。
その言葉に、俺は考えを変えた。 東の国が王女を狙った証拠を掴むのが今回の目的だ。正面から潜り込むのは難しいと思っていたが、闘技場で勝ち進めば、王宮の連中に近づくチャンスがあるというわけか。
俺は隣で顔を真っ青にして俺の背中に隠れているフロドを見た。それから、目の前の髭の男に視線を戻す。
「……王宮に呼ばれるってのは、本当か?」
「ああ、勝てば勝つほどな」
髭の男が自信たっぷりに頷いた。
「特に今は、王女殿下が強い戦士を求めておられる。闘技場で実力を示せば、すぐに声がかかるはずだ」
王女ヒルデガルド。昨日、あの高い場所から冷めた目で死体を見下ろしていた女か。あいつの近くに行ければ、何かわかるかもしれない。
「わかった。その枠、俺が埋めてやる」
「話が早くて助かる。名前は?」
「リュウジィだ」
「よし。リュウジィ、今すぐ準備しろ。今日の午後には、あんたの初戦を組んでやる。逃げようとするなよ」
連れて行かれたのは、昨日見上げたあの巨大なコロッセオの地下だった。
石壁に染み付いた独特の匂い。かつて立ち寄ったアグニ村の闘技場でも嗅いだ、あの血と汗の混じった臭気だ。
控え室に入ると、そこは世界最大の闘技場にふさわしく、重厚な石造りの壁に囲まれ、分厚い革が張られた長椅子が並んでいた。
俺は壁際の長椅子に深く腰を下ろす。
(……アグニ村の時は、ひどいもんだったな)
あの時は、採掘作業員の服をミーナちゃんが急いで仕立て直してくれた代物だった。
恐怖を押し殺すように呼吸を整えていた、あの頃。
あれから、何回かの死線を潜り抜けてきた。
今はもう、あの時ほど恐怖に震えることもない。
控え室の隅で、フロドが手にした対戦表の書き付けを見ながらガタガタ震えていた。
「……に、兄さん。相手が決まったみたいだけど、これ, まずいよ」
「誰だ?」
「『砂漠の断罪者』ガッザ。この闘技場で十連勝してる、運営売り出し中の剣闘士だよ。あの人の大曲刀から逃げ切れた奴は一人もいないんだよ。運営は最初から兄さんを殺す気なんだ!」
俺はゆっくりと立ち上がり、フロドを呼び寄せた。
「……フロド」
「ひ、ひゃいっ!」
俺は懐から、今回の旅の軍資金として用意してきた金貨がぎっしり詰まった革袋を二つ、フロドの手に押し付けた。
「これを持って、今すぐ賭けの窓口へ行け。締め切られる前にな」
「えっ!? あ、兄さん、これ……軍資金の全部じゃないか! 何に、何に賭けるのさ」
「俺に決まってるだろ。全額ベットだ。相手がそんな有名人なら、俺の倍率は相当ついてるはずだ」
「む、無理だよ! ガッザだよ!? 負けたら一文無しに……」
「倍率がつく今のうちに全部突っ込め。負けるつもりはない。……いいな、全部だぞ」
フロドは俺の眼光に押され、革袋を抱えて転びそうになりながら控え室を飛び出していった。
鼻を抜ける血生臭さも、地鳴りのような歓声も、結局はあの時と同じだ。
俺は静かに、オイルのような「気」を丹田に落とした。
ダラダラと積み重ねてきた「趣味」の蓄積。
最新の装備と、研ぎ澄まされた今の自分の動きが、どこまで通用するか。自分でも少しだけ興味があった。
「おい、次だ。リザーバーのリュウジィ、準備しろ」
運営の男の声が響く。
俺は立ち上がり、ファフニールの袖を整えた。
鉄格子の先、砂舞台へと続く眩しい通路へと、俺は迷いなく歩き出した。
通路を抜けた瞬間、全方位から降り注ぐ大歓声に視界が白く爆ぜた。
頭上に浮かぶ魔道具の掲示板には、血のように赤い数字が躍っている。
『ガッザ:1.05』
『リュウジィ:12.5』
数百人のまばらな観衆にとって、俺はガッザの強さを際立たせるための使い捨ての資材でしかなかった。砂舞台の中央に立つガッザは、右肩に大曲刀を担ぎ、左腕に鈍色の鎖を巻いた、まさにプロの体現者だった。
「おい、運営。この寝巻きみたいな服のガキが相手か?」
ガッザが退屈そうに吐き捨てた。
「武器も持たずに、踊りにでも来たつもりか。ここは勝つための技術が支配する場所だ」
俺は静かに砂を踏みしめた。
勝つための技術、か。俺がやってきたのは、そんな大層なものじゃない。ゲーマーがレベル上げを繰り返すように、俺はただ形を練り、歩いてきた。ただの趣味。ただのオタク。だが、頼れる武器は趣味の枠を超えた形意拳がこの瞬間に身体を支えている。
「……始め!」
審判の手が振り下ろされた刹那、ガッザの左腕がしなり、鋭い鎖の切っ先が俺の眼球をめがけて伸びる。
俺は構え半身で右手右足が前。
両手は水落ち(みぞおち)の高さで、中心に寄せて、脇は軽く締める。
手はやや大きめのボールを掴んでいるぐらいの開掌。
俺には一番戦いやすい構えだ。
ガッザの鎖をかわして、その鎖が戻るスピードで践歩によるジグザグの高速移動で一気に距離を詰める。
距離を詰められて、焦ったガッザが大曲刀を振ってくる。
その剣先にすでに俺はいない。
側面から一気に外回転した掌で右上腹部を迎撃する。
形意拳――『横拳』(おうけん)。
バンッ!
横に弾け飛ぶその身体をさらに追いかけ、両掌で身体ごと吹き飛ばす!
形意拳――『虎形拳』(こけいけん)。
パァァァァァン!!!
砂ぼこり上げながら、回転して吹き飛ばされたガッザは、二度と動かなかった。
掲示板のオッズが狂ったように明滅する中、俺は静かに拳を引き、ファフニールの袖を整えた。
俺は倒れた男には目もくれず、高くそびえる王宮の方向を、静かに見据えた。




