第32話 白昼の代償と、六十年の禁忌
職人街の路地が重苦しい轟音とともに陥没し、白昼堂々、襲撃してきた刺客を粉砕したあの日から、三日が過ぎた。
俺は『ギャングスター』の裏手にある、いつもの小屋にいた。
三体式の構えを取り、静かに内功を練り上げる。
身に纏うファフニールのベロア地は、俺の呼吸に合わせるようにわずかに揺らぎ、その表面を金色の筋が走っていた。
その静寂を破るように、扉の向こうから声が飛んでくる。
「兄貴、またなんかやらかしたんですか?」
現れたのは、黒服姿のバッドだった。
『ギャングスター』の警備を一手に任せている男だ。
「王宮から正式な招待状が来てますよ」
バッドは呆れたように続けた。
「店の前に、あんな立派な馬車を横付けされたら、商売あがったりですよ」
差し出された純白の封筒には、王家の紋章が刻まれた白銀の封蝋が押されている。
俺はそれを受け取った。
「……バッド。店の方は任せたぞ」
「はいはい。兄貴は王様と喧嘩しないでくださいよ」
「しないよ」
俺は小屋を出ると、石畳の店先に待機していた近衛兵の馬車へ乗り込んだ。
やがて馬車が走り出す。
揺れる窓の外を眺めながら、俺は遠くに見える白亜の王宮へ目を向けた。
「――あの日以来だな。ここに来るのは」
一ヶ月前。
リブルとローザに連行され、なす術もなく叩き伏せられた場所。
あの時の俺には、奴らの動きが見えなかった。
だが今は違う。
胸元に触れれば、ファフニールの確かな感触が返ってくる。
俺は無意識に背筋を伸ばした。
王宮の門が開く。
重厚な扉の向こうへ馬車が進み、やがて広大な謁見の間へと通された。
玉座には国王。
その傍らには第二王女リリス。
そして手前には、調査兵団団長リブル・レナードと、S級魔術士ローザ・カイリが控えていた。
「リュウジィ殿」
リリスが一歩前へ出る。
純白のドレスが静かに揺れた。
「先日は、路地裏で私を救ってくださったこと、心より感謝申し上げます」
王女が深々と頭を下げる。
俺は少し驚いた。
王女が、市井の人間である俺に頭を下げている。
その事実だけで、ここへ呼ばれた理由の重さが伝わってきた。
「リリス」
国王が静かに声を掛ける。
リリスは顔を上げ、リブルとローザも一礼して退室した。
重厚な扉が閉まる。
広い謁見の間に残されたのは、俺と国王の二人だけだった。
国王が口を開く。
「リュウジィよ。単刀直入に言おう」
その声には、王としての威厳があった。
「あの日、リリスを襲った刺客について、東の国から送り込まれた者だという情報が入っておる」
俺は黙って聞いた。
「しかし、我が国の騎士や魔術士は顔が知られすぎておる」
国王は一度、言葉を切った。
「そこで頼みがある」
王が俺を真っ直ぐに見る。
「東の国へ行き、奴らの動向を探ってきてはくれぬか?」
俺はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……お引き受けしましょう」
国王の眉がわずかに動いた。
「ですが、一つ条件があります」
「申してみよ」
「この国で六十年前から続いている、『武道家スキル持ちの騎士や傭兵禁止』の法を改正してください」
謁見の間に沈黙が落ちた。
俺は一歩、前へ出る。
「実力があっても、スキルの種類だけで道を閉ざされる」
もう一歩。
「そんな理不尽な鎖を断ち切ってください」
国王はすぐには答えなかった。
長い沈黙の後、やがて深く息を吐く。
「……そなたは、なかなか大きな条件を出すものだな」
「俺にとっては、それだけの価値があります」
国王は俺を見つめた。
そして――。
「よかろう」
短い言葉だった。
「そなたが東の国で我が国の盾となることを証明せよ」
王の瞳が鋭くなる。
「それが成れば、私が法改正を全土に知らしめよう」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
国王との話を終え、謁見の間を出る。
重厚な扉が背後で閉じた。
長い回廊。
人気はない。
その大理石の柱に背を預け、何かを弄んでいる男がいた。
「……なんだ。もう帰るのか?」
顔を上げる。
リブル・レナード。
その腰には、あの日俺の横拳を受け流した『雷神の剣』が下がっている。
「せっかく王宮まで来たんだ。少しは遊んでいけよ」
リブルが笑う。
「あの日、あんまり手応えがなかったからよ。夜も眠れなくて困ってたんだわ」
男の身体から、微かな放電音が漏れた。
俺は歩みを止めない。
「……忙しいんだよ。他でやってくれ」
「そうかよ」
次の瞬間。
リブルの姿が消えた。
「――よそ見してんじゃねえよ!」
真横。
死角から、雷光を纏った刃が走る。
あの日なら、見えなかった。
首を刎ねられていてもおかしくない一撃。
だが――。
「見える」
俺は身体を沈めた。
刃が髪を掠める。
そのまま左手を伸ばし、刀身の側面を掌で叩いた。
「横拳」
パッキィィィン!
雷神の剣が弾かれた。
リブルは衝撃を利用して身体を流し、後方へ跳ぶ。
「……おい」
着地したリブルの目が細くなる。
「おもしれえな、リュウジィ」
さっきまでの笑みとは違う。
獲物を見る目だった。
「ここじゃ狭いな」
俺は回廊を見渡す。
「場所を変えよう。ここで暴れたら、リリス王女に感謝されたばかりなのに台無しだ」
「ははっ。違いねえ」
リブルが笑った。
「こっちだ」
案内されたのは、王宮の中庭だった。
季節の花々が咲き、噴水から水音が静かに響いている。
その穏やかな空気が――次の瞬間、変わった。
リブルが剣を抜く。
「――いくぜ、リュウジィ」
剣の柄を右頬の高さまで掲げ、剣身を水平に保つ。
オクス。
あの日、俺に絶望を刻みつけた構え。
「今度は、すぐ終わらせんじゃねえぞ!」
足元の石畳が砕けた。
雷神の剣が青白い光を帯びる。
ブーン……ッ!
空気が震える。
「雷閃――ッ!」
一瞬だった。
リブルの身体が消え、突きが放たれる。
胸元へ迫る雷光。
熱だけで皮膚が焼けそうになる。
だが、俺は動きを見ていた。
オクスの死角。
そこへ身体を滑り込ませる。
雷光が横を通り抜けた。
ファフニールがその熱を弾く。
俺は懐へ入った。
リブルは即座に手首を返す。
剣が上から落ちてくる。
俺は半歩だけ下がった。
刃が鼻先を掠める。
続けざまに、蹴りが飛んできた。
あの時、鳩尾を打ち抜かれた回し蹴り。
「甘いよ!」
軸足を見る。
蹴り足が来る前に、掌を叩き込んだ。
「劈拳!」
バシィィィッ!
リブルの身体が吹き飛ぶ。
だが、空中で身体を捻り、着地。
止まらない。
リブルが踏み込んだ。
俺も踏み込む。
ファフニールの金色の筋が走った。
拳に内功を集める。
一点。
そこへ全てを叩き込む。
「崩拳!」
ドオオオオンッ!
リブルは雷神の剣を盾にした。
拳と剣が激突する。
衝撃で、リブルの身体が後方へ飛んだ。
今度こそ――。
追う。
逃がさない。
だが、リブルは空中で身体を反転させた。
噴水の縁を蹴る。
そのまま、こちらへ突っ込んできた。
「なめんなぁぁ、小僧!」
雷神の剣が振り下ろされる。
俺は踏み込んだ。
勁を斜めへ流す。
紙一重。
刃が頭上を通り抜けた。
俺の身体も勢いを殺しきれず、リブルの横を通り過ぎる。
互いに距離を取った。
リブルが振り返る。
額から、一筋の汗が流れていた。
「……へッ」
そして笑う。
「これだよ、これ」
その声には、隠しきれない喜びがあった。
「楽しいよな」
俺も振り返る。
だが――。
そこで初めて気付いた。
リブルのすぐ横。
わずか一メートルほどの場所に、男が立っていた。
いつからそこにいた?
大柄な身体。
背負っているのは、黒い鉄塊のような分厚い大剣。
ただ、それだけだった。
なのに――。
気配がない。
いや、違う。
気配を消しているのではない。
俺の感覚が、最初からその存在を捉えられていなかった。
背筋に、冷たいものが走る。
リブルの攻撃は見えた。
動きも読めた。
だが、この男には――。
「……誰だ?」
俺が問いかける。
男は答えない。
ただ、静かにこちらを見ていた。
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