第30話 死の品定め
カシムさんと話した翌朝。俺は出発を前に、支配人であるハクさんのもとへ向かった。
ハクさんは開店前の静かな店内で、いつものように一点の曇りもなくグラスを磨いていた。その洗練された所作は、ただ立っているだけで『ギャングスター』という店の格を一段引き上げている。俺より年上で、この店を切り盛りする上では欠かせない、全幅の信頼を寄せる人だ。
「ハクさん、少しの間、店を空けます。南のサウスチェケラッチョまで『仕入れ』に行ってきます」
ハクさんは手を止め、穏やかな、しかし全てを見透かすような眼差しを俺に向けた。1,500人が死んだ呪いの鎧のことなど、従業員たちは知らない。余計な心配をかけたくない。
「左様でございますか。……リュウジィ様がそのようにお決めになったのであれば、私はただ、この場所を守り抜くだけでございます。ご心配なく。バッドやカエデにも、私から伝えておきましょう」
「助かります、ハクさん。……後のことは、すべて任せました」
ハクさんは静かに一礼した。その気品と、不動の信頼感。彼に預ければ、店は鉄壁だ。俺は後ろ髪を引かれることなく、一人、馬車乗り場へと向かった。
ガタガタと揺れる車内。俺は窓の外、変わりゆく景色を眺めながら、あの屈辱の日を反芻していた。
調査兵団団長、リブル。剣士スキルなランクAというその称号に、俺は手も足も出なかった。形意拳という『チート』に溺れていた俺の鼻柱は、あの日、完膚なきまでに叩き折られた。
さらにその上には、まだ見ぬ剣士ランクSの騎士団長がいると言う話だ。地を這う俺を見下ろし、魔導士ローザ・カイリが吐き捨てた言葉が、今も耳の奥で疼いている。
(『……何も守れないわね』、か。笑わせんな)
二日間の強行軍の末、俺はサウスチェケラッチョ国営武具屋の地下室にいた。案内役が逃げるように去った後、開かれた、鉄格子の向こうの台座に置かれた黒い鎧は頭部以外は驚くほどシンプルな造形だった。
「これか……さて、品定めといこうか」
俺は迷わず、その重厚なパーツを一つずつ手に取り、身体に当てた。驚いたことに、鎧は俺の体型に吸い付くように収まっていく。最後に、黒竜の頭部を模した兜を被り、首のジョイントがガチリと噛み合った。
その瞬間、目の前に巨大な黒竜の頭部が具現化した。
「呼びだしたのは貴様か! 我こそはファフニール」
(げっ! 本当に龍じゃねえかよ)
着用した瞬間、鎧から流し込まれる圧倒的な圧に耐えながら、俺はなんとか言葉を返した。
「どうもファフニールさん、初めまして。リュウジィです」
黒竜が真っ赤な目で俺を睨み据える。
「リュウジィよ。何故力が欲しいのか! 正直にもうせ、嘘はつくな」
俺は迷わず言った。
「楽しく生きたいからですよ。金がなければ楽しくない、力がなければ踏みにじられる、この世界じゃ普通でしょ? 俺はムカつく奴はぶっ飛ばして、仲間を守って楽しくやりたい。それだけですよ。頼みますよ、俺に力貸して下さいよ」
黒竜が突然、地響きのような声で笑いだした。
「わっはははは! お前は夢が小さいな。普通は世界を変えたいとか、国を作るとかあるだろ」
「国とか世界とかどうでもいいですよ。別に正義の味方になりたいとも思ってないし」
「どうやら、嘘ではないらしい。良かろう、二百年ぶりに我がお主に力を貸そう」
思わず聞き返した。「本当に! 今までの死んだ人達はなんで駄目だったんですか?」
「お前風に言うならムカつくからだよ。いきなり下僕になれだの、力を貸せだの、頭を下げる事を知らん馬鹿ばかりでな。……それと、我を手に入れるには決まりがあるぞ。寝る時、風呂、女を抱く時以外は脱げんぞ」
「でもそれってずっと着てるって事ですよね。山手線一両を全滅させる人間兵器みたいな臭いホームレスみたいにならないの?」
「臭くならん! 常に浄化効果が発動しておる。山手線? ホームレス? よく分からんがな」
黒竜は不敵に笑い、俺の意識へと潜り込んできた。
「主が思った形にもなるぞ。お前の心が読めるからな……お主好みのな。このファフニール、お主の命が尽きるまで主と認めよう」
次の瞬間、闇に包まれ、俺の意識は飛んだ。
どれだけ時間が経ったのか。目を開けると、地下室の天井が見えた。身体を起こしてふと自分を見ると、そこには漆黒のベロア調チャイナ服を纏った俺がいた。黒豹のような艶があり、腕や足を曲げると、金色の筋が流れるように走る。
「こっ、これは! カッコいいいい!」
俺は叫んだ。正直、死ぬかもしれないという不安で一杯だったのだ。
「うおおおおおお! ゴォォォォォォォル!!」
ワールドカップのロスタイム、残り三十秒で逆転弾を叩き込んだ時のように、俺は一人、地下室で拳を突き上げた。一か八かの大博打に勝った。俺は一千五百一回目の犠牲者にはならなかった。
立ち上がり、全身を巡る内功の鋭さを確かめる。この「器」があれば、もう誰も俺を、俺の仲間を、安っぽく否定することはできない。
「ありがとう、ファフニール。……仲良くやろうぜ」
俺は地下室の扉を蹴るようにして開けた。サウスチェケラッチョの乾いた風が、今は最高に心地よかった。




