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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第28話 黄金の夜、再生の儀式




(店内の喧騒の中、ツキノのルビーの瞳が俺を射抜いている)


「……ただ、この一皿を提供させた方の心根が、少し冷めてしまっているのが残念かしら」


――心根が冷めている。


正直、耳が痛い。


王宮から帰ってきてから、ずっと自分でも分かっていた。


何をしていても、心のどこかにぽっかりと穴が空いている。


客に笑顔を向けても、肉を焼いていても、キャストたちと話していても、以前のように心から楽しめない。


ローザの言葉が、頭の中にこびりついているからだ。


『今の貴方じゃ、何一つ守れやしないよ!』


だからといって、それを初対面の客に言われて、


「はい、その通りです」


と素直に頷くほど、俺は出来た人間じゃない。


(……何言ってんだ、この女。説教しに来たのか?)


内心では毒づいていた。


だが、そんなことを顔に出すほど子供でもない。


俺は店主としての笑顔を作った。


「……申し訳ありません。お客様にそう感じさせてしまったのなら、店主である私の修行不足です。以後、精進いたします」


若き店主らしい、当たり障りのない返答。


頭も下げる。


言葉遣いも間違っていない。


客商売としては百点満点の対応だ。


――だが。


ツキノは、そんな俺を見ていた。


まるで、その笑顔の奥にあるものまで見透かしているように。


艶やかな唇が、ほんの少しだけ吊り上がる。


俺の目の奥を、真っ赤なルビーの瞳がじっと見つめていた。


「……ふふ」


「何か?」


「いいえ。店主さんって、随分と器用なのね」


「商売をしていますからね」


「そういうところよ」


「……?」


ツキノは、それ以上は何も言わなかった。


ただ、楽しそうに笑っている。


俺には、その笑顔の意味が分からなかった。


そして彼女は、席を立つ前に俺へ視線を向けた。


「……店主さん」


「はい」


「気が向いたら、ロクメイカンへ遊びに来なさいよ」


その瞬間だった。


こちらを伺っていた店内の客たちが、一斉にざわついた。


「え?」


「今、ツキノ嬢が……?」


「ロクメイカンへ誘ったのか?」


二階へ続く階段から顔を覗かせていたキャストたちも、驚いたように目を見開いている。


だが、それ以上に驚いていたのは、ツキノのお付きの二人だった。


彼女たちは信じられないものを見たように顔を見合わせる。


「……ツキノ様」


「なに?」


「自らお誘いになるなど、初めてではございませんか?」


「そうだったかしら?」


「そうですよ!」


もう一人も慌てて口を挟んだ。


「しかも、これほどの若輩を……。信じられません」


「若輩って言い方、ひどくない?」


思わず俺が口を挟むと、二人がこちらを見る。


ツキノは楽しそうに笑った。


「ほら。面白いでしょう?」


「……何がです?」


「貴方よ」


「俺?」


「ええ」


彼女は俺をじっと見る。


「もっと怖い人かと思っていたのに」


「怖い?」


「だって、さっきからずっと、世界中の何もかもが気に入らないって顔をしていたもの」


「……」


図星だった。


俺は何も言えなくなる。


ツキノはそんな俺を見て、また小さく笑った。


「じゃあ、待ってるわね」


「いやいや、私なんかが行けるような店じゃないですよ」


俺は軽く手を振った。


そもそも、今はそんな気分じゃない。


それに――。


(この世の男は全て自分にひれ伏す、みたいな感じが気に入らないんだよな)


そんなことを心の中で毒づいた、その瞬間だった。


ツキノの白く細い五本の指が、すうっと俺の頬へ伸びてきた。


「……っ」


指先が、頬に触れる。


驚いて身を引こうとしたが、なぜか動けなかった。


ツキノは俺の目を覗き込んだ。


「ねぇ」


「……何です?」


「張り詰めすぎよ、君は」


その声からは、先ほどまでの妖艶さが少し消えていた。


代わりに、妙に優しい響きがあった。


「……弱くたっていいんじゃない?」


「……」


「無理して強がらなくてもいいのよ」


一瞬、ローザの顔が頭をよぎった。


――今の貴方じゃ、何一つ守れやしない。


胸の奥が、ズキリと痛んだ。


そんな俺を知っているはずもないツキノが、静かに笑う。


「楽しみに待ってるわ」


そう言って、彼女は俺の頬から指を離した。


あのロクメイカンの頂点。


王都中の男たちが憧れるスーパースターが、自分から男を誘った。


それどころか、頬に触れた。


――あり得ない。


夜の歴史がひっくり返るほどの異常事態だ。


店内の誰もが呆然としている。


そんな周囲を尻目に、ツキノは真紅のドレスを翻し、颯爽と店を後にしていった。


しばらくの間、店内には妙な沈黙が残った。


やがて、二階のキャバクラフロアへ上がる階段の下に立っていたバッドが、足早に俺のところへやってくる。


「さすが兄貴、カッコいいっすねぇ!」


「何が?」


「あのツキノ嬢を前に、顔色一つ変えないんだから!」


「そうかな?」


俺は肩をすくめた。


「けっこうドキドキだったよ」


「ええっ!?」


バッドが目を丸くする。


「全然そんな風に見えなかったっすよ!」


「まあ、店主だからな」


俺はおどけてみせた。


だが――。


(……今は、それどころじゃないんだよ)


ツキノの言葉が、頭から離れなかった。


――弱くたっていいんじゃない?


その言葉が、妙に胸に残っていた。


それから数日が経った。


相変わらず、俺の心の霧は晴れない。


店は順調だ。


客も来る。


キャストたちも笑っている。


俺も笑っている。


それなのに、心の奥だけが取り残されている。


そんなある日のことだった。


二階のキャバクラフロアが開店すると同時に、カシムさんが姿を現した。


「いらっしゃいませ。今日はまた随分と早いお越しですね」


「おう! リュウジィ君、今日は忙しいかな?」


「今日は、私個人でやらなきゃいけない仕事は特にないですよ」


「なら、一時間だけ飲んでいくから、その後ワシに付き合いなさい」


「……私がですか?」


「そうだ」


カシムさんはニヤリと笑った。


(この人がわざわざ俺を誘ってくるなんて、一体なんだろうな……)


嫌な予感しかしない。


だが、断る理由もなかった。


結局、俺はカシムさんと一緒に酒を飲むことになった。


そして――一時間後。


「……ちょっと、何するんですかカシムさん!」


「黙ってついてこい」


「いや、どこへ行くんです?」


「これから『天国』に連れてってやる」


「天国?」


その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感がさらに強くなった。


だが、聞き返すより先に、俺は目隠しをされた。


「ちょ、ちょっと!」


そのまま強引に馬車へ押し込まれる。


「カシムさん!」


「大丈夫じゃ。取って食われたりはせん」


「その台詞を言われて安心できる人間がどこにいるんですか!」


馬車が動き出した。


車輪が石畳を叩く音。


身体に伝わる振動。


目隠しをされているせいで、どこへ向かっているのかまったく分からない。


しばらく揺られた後、ようやく馬車が止まった。


扉が開く。


夜の風が頬を撫でた。


その風に混じって、どこからか甘い香油のような匂いが漂ってくる。


「さあ、着いたぞ。外していい」


カシムさんの声に従い、俺は目隠しを解いた。


そして――絶句した。


目の前に広がっていたのは、黄金色に輝く巨大な建物だった。


外壁には大量の魔石が埋め込まれている。


俺の店でもかなりの数の魔石を使っているが、比較にならない。


その数は、俺の店の三倍どころではないように見えた。


夜の闇の中で、建物そのものが光を放っている。


豪華絢爛。


その言葉が、これほど似合う建物を俺は知らない。


カシムさんが、ニィッと笑った。


「ロクメイカンじゃよ」


「……」


俺は建物を見上げた。


数日前、ツキノに誘われた場所。


まさか、こんなに早く来ることになるとは思わなかった。


「……俺、娼館はちょっと」


「いやいや」


カシムさんが笑う。


「ここは普通の娼館とは違う」


「でも、娼館ですよね?」


「そうじゃが、ただ女を買うだけの場所ではない」


カシムさんは黄金の門を見上げた。


「ここは、選ばれた人間しか入れん社交場じゃ」


「社交場?」


「王都の貴族、商人、騎士、金持ち――そういう連中が集まる場所じゃ」


なるほど。


確かに、ただの娼館ではなさそうだ。


「リュウジィも、これから商売をやっていく上で経験しておくべき場所だ」


「……」


「それにだな」


カシムさんが意味ありげに笑った。


「普通は当日にツキノ嬢と遊ぶなんて不可能なんじゃが」


「でしょうね」


「さっきワシが来ると伝えたらな」


カシムさんが俺の肩を叩いた。


「『お待ちしてます』だってよ」


「……」


俺は無言になった。


どういうことだ?


ツキノは、本当に俺を待っているのか?


俺は渋々、カシムさんと共に黄金の門を潜った。


中へ入ると、外観以上の豪華さに圧倒された。


広いロビー。


磨き上げられた床。


壁には高価そうな絵画。


天井から吊り下げられた巨大な照明には、無数の魔石が使われている。


そして、俺たちが通り過ぎるたびに、周囲の客たちがこちらへ視線を向ける。


俺はカシムさんに促され、ロビーの革張りソファへ腰を下ろした。


すると、すぐ近くで一人の男が受付と激しく揉めているのが目に入った。


「なんでだよ!」


男は顔を真っ赤にしている。


「一ヶ月前から予約を入れてたんだぞ! なんでツキノは駄目なんだ!」


受付の男は困ったように頭を下げた。


「申し訳ございません。ツキノは具合が悪くて寝込んでおりましてね。今日はお相手できないんですよ」


「チッ!」


男は舌打ちすると、そのまま立ち去っていった。


俺は、その背中を見送りながら眉をひそめた。


(……寝込んでる?)


さっきカシムさんには、


『お待ちしてます』


と言ったはずだ。


どういうことだ?


俺が首を傾げていると、カシムさんが何食わぬ顔で言った。


「さて、行くぞ」


「え?」


「ツキノ嬢のところじゃ」


「いや、でも今――」


その時だった。


大広間の奥から、こちらへ向かって歩いてくる人影が見えた。


深い真紅のドレス。


艶やかな黒髪。


そして、あのルビーの瞳。


ツキノだった。


「……あら」


彼女は俺を見つけると、嬉しそうに微笑んだ。


「やっぱり来てくれたのね」


俺は思わず立ち止まった。


「……いや、別に俺が望んで来たわけじゃ――」


そこまで言ったところで、


ポン!


カシムさんに尻を叩かれた。


「余計なことを言うな」


「痛いですよ!」


「行ってこい」


「ちょっと!」


俺は渋々、ツキノのところへ歩いていく。


「こんばんは、店主さん」


「……こんばんは」


「来てくれて嬉しいわ」


その笑顔は、店で見たものとは少し違っていた。


客に向ける営業用の笑顔ではない。


ほんの少しだけ、素の表情が混じっているように見えた。


俺は促されるまま、ツキノと共に社交広間へ足を踏み入れた。


広間には、一目で金持ちだと分かる客たちが大勢いた。


身なりの良い男たち。


煌びやかなドレスを纏った女たち。


お気に入りのキャストと酒を飲みながら、楽しそうに会話をしている。


その光景は、さながら現世の銀座にある高級クラブのようだった。


俺が前世で見てきた夜の世界とは、似ているようでまるで違う。


ここでは、金だけではなく、人脈そのものが価値を持っている。


誰が誰と飲んでいるのか。


誰と繋がっているのか。


それだけで、その人間の価値が決まるような世界だ。


そして――。


その中心にツキノがいた。


「こちらへどうぞ」


彼女に案内され、席につく。


最初は、正直なところ気が重かった。


どうせ有名人の接客なんて、客を持ち上げて気分よくさせるだけだろう。


そう思っていた。


だが――。


「店主さんって、普段はどんなお酒を飲むの?」


「特に決めてないですよ」


「じゃあ、今日は私が選んでもいい?」


「どうぞ」


「ふふ。じゃあ、これ」


彼女が酒を選ぶ。


一口飲んだ俺を見て、


「どう?」


「悪くないですね」


「その顔、全然美味しそうじゃないわ」


「そんなことないですよ」


「嘘」


即答だった。


「……分かります?」


「ええ」


ツキノは笑った。


「私、人の顔を見るのが仕事だもの」


そこからだった。


俺は少しずつ、彼女との会話に引き込まれていった。


圧倒的なコミュ力。


話し手と聞き手に回る絶妙なタイミング。


相手が話したくなるような質問。


そして、相手が踏み込まれたくない場所には決して踏み込まない距離感。


表情の緩急も凄かった。


妖艶でミステリアスな女かと思えば、次の瞬間には少女のように無邪気に笑う。


相手が笑えば、一緒に笑う。


相手が真剣になれば、彼女も静かに耳を傾ける。


俺が話したくだらない話にも、まるで昔から知っていた友人のように笑ってくれた。


現世でも、これほどの女に出会ったことはない。


気がつけば、俺自身が驚くほど自然に話していた。


店のこと。


この世界に来てからのこと。


食材のこと。


形意拳のこと。


もちろん、異世界から来たことだけは話せない。


それでも、いつの間にか俺は笑っていた。


心の奥に溜まっていた重たいものが、少しずつ薄れていく。


ツキノが突然、俺の顔を覗き込んだ。


「ほらぁ!」


「え?」


「やっと笑った」


「……」


「お店に来た時は、親の敵みたいな目で睨むんだもの」


「そんな顔してました?」


「してたわよ」


「……緊張してたんだよ」


「ふふっ」


ツキノが笑う。


「そういうことにしておいてあげる」


気がつけば、時間は驚くほど早く過ぎていた。


酒を飲み、話をして、笑って。


ただ、それだけだった。


それだけなのに――。


王宮から帰ってきて以来、初めて頭の中からローザの言葉が消えていた。


「……もう、こんな時間か」


俺が時計代わりの魔石を見ると、ツキノが少し寂しそうに笑った。


「もう帰るの?」


「まあ、店もありますから」


「そう」


彼女は少し考えるように俺を見る。


そして、いたずらっぽく笑った。


「今さら、帰らないよね?」


「……え?」


その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。


俺はツキノに誘われるまま、彼女の私室へ向かった。


扉が閉じる。


それまで賑やかだった外の喧騒が、嘘のように遠ざかった。


静かな部屋だった。


豪華ではある。


だが、どこか落ち着く。


ツキノは俺の方を振り返った。


「ねぇ」


「はい?」


「どうして、そんなに自分を追い込むの?」


「……」


まただ。


この女は、どうしてこうも簡単に俺の内側へ入ってくるんだ。


「別に、追い込んでなんか」


「嘘」


「……」


「店主さん」


ツキノは優しく俺を見る。


「あなた、ずっと何かと戦ってるでしょう?」


胸の奥を掴まれたような気がした。


俺は答えられなかった。


「ツキノさん……」


「なに?」


「なんで俺のこと、そんなに気に入ってくれたんです?」


彼女は少し考えた。


「分からない」


「分からない?」


「ええ」


そして、静かに笑った。


「だけど、きっとね」


彼女は俺の目を見る。


「貴方と私って、多分、同じ人種なのよ」


「……同じ人種?」


「ええ」


ツキノは、それ以上は説明しなかった。


ただ、俺を見つめていた。


その瞳を見ていると、不思議とそれ以上聞く気にはなれなかった。


俺たちは、何かが似ている。


それが何なのかは、まだ分からない。


ただ――。


この女には、俺が無理に笑っていることも。


強がっていることも。


寂しさを隠していることも。


全部、見えている。


ツキノはゆっくりと、重厚な真紅のドレスを脱ぎ捨てた。


ドレスの拘束から解き放たれた彼女の肩は、驚くほど華奢だった。


それまで完璧な「ツキノ」という女を演じていた彼女が、目の前で少しずつその鎧を脱いでいく。


その姿を見て、俺は思った。


――この女も、俺と同じなのかもしれない。


強く見せているだけで、本当はずっと何かを抱えている。


俺はそっと彼女を抱き寄せた。


その瞬間だった。


異世界という荒野で、ずっと張り詰めていた俺の心から、何かがすとんと抜け落ちた。


安心する。


不思議なくらい、何も考えなくていい。


ローザの言葉も。


リブルに敗れた悔しさも。


自分の弱さへの苛立ちも。


今だけは、全部忘れていい。


異世界に来てから、俺はずっと戦っていた。


生きるために。


店を守るために。


仲間を守るために。


そして、自分が強い人間であることを証明するために。


だが今だけは――。


何も証明しなくていい。


ただ、一人の男としてここにいればいい。


ツキノは、そんな俺を何も言わずに受け止めてくれた。


異世界に来て、俺は初めて女を抱いた。


それは、単なる欲望を満たすためのものではなかった。


前世で生きてきた四十六年。


そして、異世界で生き始めた十九歳の肉体。


二つに分かれていたように感じていた自分という存在が、今、初めて一つに繋がっていく。


四十六歳の魂と、十九歳の肉体。


その二つが今、初めて本当の意味で一つになったような気がした。



お読みいただきありがとうございました。

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