第28話 黄金の夜、再生の儀式
(店内の喧騒の中、ツキノのルビーの瞳が俺を射抜いている)
「……ただ、この一皿を提供させた方の心根が、少し冷めてしまっているのが残念かしら」
(モノローグ)
――心根が冷めている。
正直、耳が痛い。だが、それを初対面の客に言われて「はい、その通りです」と頷くほど、俺は素直にできていない。俺もそれなりに経験して来たんだ。
(……何言ってんだ、この女。説教しに来たのか?)
内心の毒づきは、顔に出さない。そう振る舞うのが、俺の「当たり前」になっていた。
「……申し訳ありません。お客様にそう感じさせてしまったのなら、店主である私の修行不足です。以後、精進いたします」
俺は、若き店主として、当たり障りのない笑顔で頭を下げた。客を満足させて帰す。それが、俺がここでやっていくための、最低限のルールだ。
だが、ツキノは俺の「作り物」の笑顔を見透かすように、艶やかな唇を吊り上げた。
俺の目の奥を、真っ赤なルビーの瞳がじっと見つめる。
「……店主さん。気が向いたら、ロクメイカンへ遊びに来なさいよ」
その瞬間、こちらを伺っていた店内のお客たちが一斉にざわついた。
席に座っているツキノのお付きの二人が、信じられないものを見たかのように目を見開き、顔を見合わせた。
「……ツキノ様。自らお誘いになるなど、初めてではございませんか?」
「……ええ。しかも、これほどの若輩を。信じられません……」
「いえいえ、私なんかが行けるような店じゃないですよ」
(モノローグ)
(そもそもそんな気分じゃないし、この世の男は全て自分にひれ伏す、みたいな感じが気に入らないんだよ)
心の中で毒づいた、その瞬間だった。
彼女の白く細い五本の指先が、スウッと俺の頬に伸びてきた。
「ねぇ、張り詰めすぎよ、君は。……弱くたっていいんじゃない? 楽しみに待ってるわ」
あの「ロクメイカン」の頂点、王都のスーパースターが自分から男を誘い、あまつさえ頬に触れる。――あり得ない。夜の歴史がひっくり返るほどの異常事態だ。
ツキノは驚愕する周囲を尻目に、真紅のドレスをなびかせて颯爽と去っていった。
彼女の残り香が漂う中、二階のキャバクラフロアへ上がる階段の下に立っていたバッドが、足早に近づいてきた。
「
さすが兄貴、カッコいいっすねぇ! あのツキノ嬢を前に、顔色一つ変えないんだから」
「そうかな? けけっこうドキドキだったよ」
俺はおどけてみせた。
(モノローグ)
(……今はそれどころじゃないんだよ)
それから数日が経ったが、俺の心の霧は晴れないままだった。
二階のキャバクラフロアが開店すると同時に、カシムさんが姿を現した。
「いらっしゃいませ。今日はまた随分と早いお越しですね」
「おう! リュウジィ君、今日は忙しいかな?」
「今日は、私個人でやらなきゃいけない仕事は特にないですよ」
「なら一時間だけ飲んでいくから、その後私に付き合いなさい」
(この人がわざわざ誘ってくるなんて、一体なんだろうな……)
一時間後。
「……ちょっと、何するんですかカシムさん!」
「黙ってついてこい。これから『天国』に連れてってやる」
店を出るなり、俺は目隠しをされ、強引に馬車へ押し込まれた。
しばらく揺られた後、馬車が止まった。扉が開かれ、外へ促される。夜の風と共に、どこからか甘い香油のような匂いが漂ってきた。
「さあ、着いたぞ。外していい」
カシムさんの声に、俺は目隠しを解いた。
目隠しを外された俺の前に広がっていたのは、俺の店の三倍は魔石を使い、豪華絢爛な輝きを放つ金色の建物だった。
「ロクメイカンじゃよ」とカシムさんはニィッと笑う。
「……俺、娼館はちょっと」
「いやいや、ここは普通の娼館とは違う。選ばれた人間しか入れん社交場じゃ。リュウジィも、これから商売をやっていく上で経験しとくべき場所だ。……それにだな、普通は当日にツキノ嬢と遊ぶなんて不可能だが、さっきワシが伝えたら、『お待ちしてます』だってよ」
俺は渋々、カシムさんと共に黄金の門を潜った。
ロビーの革張りソファに座らされた俺の横で、一人の男が受付と激しく揉めていた。
「なんでだよ! 一ヶ月前から予約を入れてたんだぞ! なんでツキノは駄目なんだ!」
「申し訳ございません。ツキノは具合が悪くて寝込んでおりましてね。今日はお相手できないんですよ」
「チッ!」
舌打ちして去る男を見送りながら、俺は困惑していた。
(……寝込んでる? さっきカシムさんには『待ってる』って言ったんだよな。どういうことだ……?)
しばらくすると、大広間にツキノが現れた。
「……あら、やっぱり来てくれたのね」
「別に俺が望んで来たわけじゃ――」と言いかけた時、カシムさんにポン! と尻を叩かれた。
俺は促されるまま、ツキノの案内で社交広間へと足を踏み入れた。
広間にはひと目でお金持ちとわかる客たちが、お気に入りの女と楽しそうに酒を飲みながら会話している。さながら現世の銀座の高級クラブ、そんな雰囲気だった。
改めてツキノの接客を受けて、俺は驚愕した。
圧倒的なコミュ力、話し手と聞き手に回る絶妙なタイミング。表情の緩急。ミステリアスかと思えば、少女のように無邪気に笑う。
現世でもこれほどの女に出会ったことはない。
いつの間にか、俺はすっかりその場を楽しんでいた。
「ほらぁ! やっと笑った。お店に来た時は、親の敵みたいな目で睨むんだもの」
「緊張してたんです」
時は瞬く間に過ぎていった。
「今さら、帰らないよね?」
俺は誘われるまま、彼女のベッドルームへ。
「ツキノさん……なんで俺のこと気に入ってくれたの?」
「わからない。……だけどきっとね、貴方と私って多分、同じ人種だよ」
そう言うと、彼女は重厚なドレスを脱ぎ捨てた。
(モノローグ)
見透かされていた。俺の孤独も、強がりも。
ドレスの拘束から解き放たれた彼女の肩は、驚くほど華奢だった。その滑らかな肌の曲線を目にした瞬間、異世界という荒野で張り詰めていた俺の心は、すとんと腑に落ちた。
彼女は、俺に唯一の安らぎをくれたんだ。
異世界に来て、俺は初めて女を抱いた。
46歳の魂と19歳の肉体が、今、初めて真の意味でひとつに溶け合っていくのを感じていた。




