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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第27話 魔性の女来る


王宮から帰ってきて、三日が経った。


俺の心には、ぽっかりと穴が空いていた。


「今の貴方じゃ、何一つ守れやしないよ!」


頭の中で、ローザの言葉がしつこく鳴り止まない。


異世界に転生して、店の経営者になった。


ちょっと形意拳が異世界ではチートで使えて、何度か危機を乗り越えてきた。


いつの間にか俺は、自分がこの世界で特別な存在になったような気になっていた。


まるで物語の最強の主人公にでもなったつもりでいた。


――だが、違った。


結局、俺は何も分かっていないガキそのものだった。


リブルにやられて、そのことを思い知らされた。


自分の力がどこまで通用するのか。


どんな相手なら勝てて、どんな相手には通用しないのか。


そんなことすら、俺は理解していなかった。


ただ、形意拳がこの世界では珍しく、強力だったというだけ。


それを自分自身の強さだと勘違いしていた。


その事実が、今はただただ恥ずかしくて、情けない。


店はいつも通り、客の熱気と肉を焼く煙で溢れかえっている。


笑い声が聞こえ、食器のぶつかる音が響き、厨房からは注文を確認する声が飛び交っている。


何も変わっていない。


変わっていないのに――俺だけが変わってしまったような気がした。


店に出れば、いつものように振る舞うことはできる。


客に笑顔を向けることもできる。


だが、それはただの演技だった。


心から笑うことができない。


そんな俺の変化に、カエデとバッドは気づいていた。


その日の夕方。


二階の見回りを終えて下へ降りてきたバッドが、カウンターにいるカエデへ小声で話しかけていた。


「……カエデ姉さん」


「なに?」


「兄貴、あんな感じでさ。何とかならない?」


バッドは俺がいる事務所の方をちらりと見る。


「俺、馬鹿だからさ。こういう時、何て言えばいいのか分かんねえんだよ」


いつものバッドなら、こんな弱音を吐くことはない。


カエデは帳簿から目を離さず、静かに答えた。


「……人間の心だけは、計算できないから」


「そっか……」


「ごめんね」


カエデはそれだけ言うと、再び帳簿へ目を落とした。


バッドも何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに厨房へ戻っていった。


それから、さらに三日が過ぎた。


俺が店へ出勤してくると、店内の空気が明らかにいつもと違っていた。


「……なんだ?」


いつもの騒がしさとは違う。


客たちは食事の手を止め、一点を凝視している。


ひそひそと交わされる声。


興奮を隠しきれない視線。


二階の階段からは、営業中だというのにキャストたちが鈴なりになって身を乗り出し、一目だけでも拝もうと色めき立っていた。


「ちょっと、みんな仕事は?」


俺が声をかけると、キャストたちは慌てて引っ込んだ。


だが、それでも気になるらしく、階段の隙間からこちらを覗いている。


俺はため息をついた。


一体、何がそんなに珍しいんだ?


その視線の先――。


店内の特等席には、一人の女がすでに座っていた。


圧倒的な「華」を纏った女だった。


大声を出しているわけでもない。


周囲に愛想を振りまいているわけでもない。


ただ、そこに座って食事をしているだけ。


それなのに、店中の視線を独占している。


かつての江戸で、花魁道中を一目見ようと群衆が集まったという。


俺は実際に見たことはないが、もし本当にそんなものがあったのなら、きっと今の光景に近いのだろう。


まるでスーパースターが突然、場違いな場所へ現れたようだった。


俺は階段にいるキャストたちへ手で上に戻れと合図し、近くにいたバッドへ声をかけた。


「誰なの? あのお客は」


「兄貴、知らないんですか?」


バッドが驚いた顔をする。


「王都のロクメイカンのナンバーワンですよ」


「ロクメイカン?」


「王都の高級娼館(しょうかん)のロクメイカン。そのナンバーワン――ツキノ嬢ですよ」


「娼館か」


値踏みするような視線を一度だけ向け、俺は興味なさげに視線を切った。


今の俺には、そんなことはどうでもいい。


「ただの娼婦じゃないんですよ」


バッドが興奮気味に耳打ちしてくる。


「いくら金を積んでも、ツキノ嬢が気に入らないと一晩過ごせないんです」


「へぇ」


「しかも、ツキノ嬢と一晩過ごすと運が上がるって話で」


「……」


「いいなぁ。俺も一度でいいから、やりてぇ」


「仕事しろ」


「はい」


バッドは素直に返事をした。


俺はもう一度だけ、ツキノという女を見た。


確かに綺麗だ。


いや――綺麗という言葉だけでは足りない。


客たちが食事そっちのけで見入ってしまうのも分からなくはない。


だが、今の俺にはどうでもいいことだった。


凹んでいて、何をするにもかったるい。


そんな俺にとって、眩しいものはむしろ鬱陶しかった。


(現世の座敷わらしかよ)


俺はその姿をチラッと横目で見ただけで、そのまま裏の事務所へ入った。


――だが、数分後。


コンコン。


執務室のドアが叩かれた。


「兄貴、います?」


「……何だ?」


ドアを開けると、バッドが立っていた。


「ツキノ嬢が、兄貴に会いたいって」


「……俺に?」


「店主の顔が見たいそうです」


「お前が行けよ」


「俺じゃダメなんです」


「なんで?」


「さっき、わざわざ『店主さんは、どちらにいらっしゃるの?』って聞かれたんですよ!」


バッドは困ったような顔をする。


「オーナーが挨拶もしないんじゃ、格好がつかないでしょ。来てください」


「……面倒くせぇな」


「お願いしますよ、兄貴」


しつこいバッドを黙らせる方が楽だと思い、俺は渋々立ち上がった。


鏡を見る気にもなれない。


それでも、客の前に出る以上、最低限の愛想は必要だ。


俺は顔に剥がれかけの「愛想笑い」を貼り付け、彼女の席へ向かった。


「ご来店ありがとうございます。店主のリュウジィです」


俺は営業用の声を出した。


「うちの肉は、どうでしょうか?」


ツキノはすぐには答えなかった。


フォークで肉を切り分け、ゆっくりと口へ運ぶ。


そして、しばらく味わってから静かに言った。


「……いいお肉ね」


その声は、思っていたよりもずっと落ち着いていた。


「この肉を選んだ方の『目』は、確かなようだわ」


真夜中の闇を溶かし込んだような、艶やかな黒髪のウェーブ。


見る者を射抜く、深紅のルビーのような瞳。


目尻がわずかに跳ね上がっており、その視線には獲物を捕らえる蛇のような危うい熱がある。


体のラインを大胆に強調する、深い真紅のベルベットドレス。


スリットから覗く脚は、雪のように白い。


だが――。


俺が気になったのは、彼女の美貌ではなかった。


その瞳だった。


まるで、俺の内側を覗き込んでいるような目。


俺が作った営業用の笑顔も。


心ここにあらずの状態で接客していることも。


最初から全部見透かされているような気がした。


ツキノは肉を見て、それから俺を見る。


そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「ただ――」


その一言で、空気が変わった。


「この一皿を客に出した方の心が、少し冷めてしまっているのが残念かしら」


俺は、黙った。


貼り付けた笑顔が、わずかに引きつる。


偶然だ。


そう思おうとした。


だが、彼女のルビーの瞳から、どうしても視線を外せなかった。


まるで、肉ではなく――俺自身を見透かしているような目だった。


俺はそんな彼女を、じっと見つめた。




お読みいただきありがとうございました。

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