第24話 王宮への回廊
食事を終えたリブルが、無造作に立ち上がった。
テーブルの上に金貨を数枚放り投げる。
「釣りはいらん。……残った連中で、好きに分けるがいい」
それだけ言うと、リブルは何事もなかったように出口へ向かった。
俺は作り笑顔を浮かべたまま、スタッフたちに声をかける。
「ちょっと王宮まで打ち合わせに行ってくる。ハクさん、店をよろしくお願いします。バッド、留守中に酒飲むなよ」
「……はい、兄貴」
返事はしたものの、バッドの表情は硬い。
一階へ降りると、スタッフたちも皆、どこか不安そうな顔で俺を見ていた。
さっきまで普通に働いていた店内が、まるで別の場所になったように静まり返っている。
俺はそんな空気を吹き飛ばすように、わざと明るい声を出した。
「そんな顔するなって。ちょっと王様に呼ばれただけだろ?」
もちろん、自分でも無理を言っているのは分かっている。
それでも、今ここで俺まで不安そうな顔をしたら、みんなの不安はもっと大きくなる。
俺は大げさに肩をすくめ、いつもの調子で笑った。
「じゃあ、行ってくる」
そう言って、スタッフたちに手を振る。
最後に店を出る瞬間、背中にみんなの視線が集まっているのが分かった。
まるで家族を送り出すような、心配そうな視線。
俺はそれを振り切るように、ゆっくりと扉を閉めた。
店の外に出ると、夜の闇の中に一台の豪華な馬車が停まっていた。
黒く磨き上げられた車体。
そこには金色の装飾が施されている。
見るからに、一般庶民が乗るような代物じゃない。
俺、リブル、ローザの順番で馬車へ乗り込む。
ふかふかのシートに身体が沈み込む。
普段なら感動するところだが、今の俺には座り心地を楽しむ余裕なんてなかった。
馬車がゆっくりと走り出す。
窓の外では、道行く人々がリブルの姿を見つけるたびに道を開けていく。
中には、深々と頭を下げる者までいた。
(……やっぱり、有名人なんだな)
王都の人間にとって、調査兵団団長リブルという男は、それだけの存在らしい。
馬車の車輪が石畳を叩く音だけが、静かな夜の街に響いている。
俺は座席に深く腰掛け、誰にも気づかれないようにゆっくりと息を整えた。
――逆腹式呼吸。
息を吸う。
その時、腹をゆっくりと凹ませる。
そして吐く時に、腹を膨らませる。
意識を呼吸だけに集中させる。
一つ。
二つ。
三つ。
心臓の鼓動が少しずつ落ち着いていく。
丹田の奥に、小さな熱が生まれる。
それが少しずつ広がり、身体の芯へ染み込んでいくような感覚。
この世界の魔力とは違う。
俺が前世から積み上げてきた、俺自身の力だ。
最近は、この呼吸を続けていると、身体の奥から力が湧き上がってくるのをはっきり感じるようになっていた。
身体の芯が安定する。
余計な力が抜ける。
そして、周囲の音が妙にはっきりと聞こえてくる。
馬車の車輪。
馬の蹄。
リブルの呼吸。
ローザが指先で髪を弄ぶ小さな音。
そして――。
「……あれ?」
隣から、ローザの声がした。
「なんか変じゃない?」
俺は呼吸を乱さず、視線だけを向ける。
ローザが、こちらをじっと見ていた。
さっきまで退屈そうに弄んでいた髪から手を離し、少しだけ首を傾げている。
「君さ、さっきから何してるの?」
「何って……」
「なんだか、空気がピリピリするんだけど」
(……気づいたか)
さすがS級魔術士。
誤魔化せるか?
俺は一瞬だけ考え、すぐに笑顔を作った。
「いや、まさか……緊張しすぎて、深呼吸してただけですよ」
俺は、いかにも王様に呼び出されてビビっている若い店主を演じる。
「ほら。俺、こう見えて小心者なんで」
「ふ~ん」
ローザは俺の顔を覗き込む。
その金色の瞳が、まっすぐ俺を捉える。
「まあ、いいや」
意外にも、あっさり引き下がった。
「王様に会う前に死なれちゃったら、寝覚めが悪いしね」
「……はは。お気遣い、ありがとうございます」
笑いながら答えたものの、内心では別のことを考えていた。
(……この女、やっぱり油断ならない)
外見だけなら、ただの明るい女に見える。
だが、その奥には底の見えない何かがある。
俺は呼吸を続けながら、二人の様子を注意深く観察した。
外見は十九歳の若い店主。
だが、その内側には、これまで積み上げてきた人生経験と、前世で趣味の域を超えるほど鍛え続けた形意拳がある。
この世界に来てから、何度も思った。
自分が特別な人間になったわけじゃない。
ただ、前世で積み上げてきたものが、この世界で生き残るための武器になっている。
だからこそ、今はそれを最大限に使う。
相手の呼吸。
視線。
身体の向き。
ほんのわずかな動き。
できる限り見逃さない。
向かいに座るリブルは、相変わらず目を閉じている。
だが、完全に気を抜いているわけではない。
静かすぎる。
それが逆に怖い。
(……この人も、相当な化け物だ)
馬車はそのまま夜の王都を進んでいく。
しばらくすると、車輪が叩く音が変わった。
石畳の感触が、先ほどまでとは明らかに違う。
窓の外へ目を向ける。
そこに見えたのは、夜空を突き刺すようにそびえ立つ巨大な城壁だった。
その向こうには、いくつもの尖塔が夜空へ伸びている。
(……あれが王宮か)
これまで自分が暮らしてきた王都とは、まるで別世界だった。
馬車が巨大な門へ近づいていく。
門番たちがこちらへ敬礼する。
重厚な門が、ゆっくりと開いていく。
俺は無意識に拳を握った。
ここから先に、何が待っているのか。
王は、俺に何をさせようとしているのか。
そして――。
俺が今まで積み上げてきたものは、この王宮という場所で通用するのか。
答えは、もうすぐ分かる。
馬車がゆっくりと、王宮の門をくぐっていった。
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