第23話 静かなる強襲と、王宮の呼び声
カシムさんの警告から一夜明け、俺はいつになく重い足取りで店へと出勤した。
人生で培った「嫌な予感」というやつが、朝からずっと頭の隅で鳴り響いている。
その予感は、店の扉を開けた瞬間に確信へと変わった。
まだ開店前だというのに、店内の空気が妙に重い。
いつもなら準備に追われているスタッフたちも、今日はどこか落ち着かない。
誰もが二階を気にしているようだった。
「あ、兄貴……!」
奥から、バッドが駆け寄ってきた。
「どうした?」
「……二階に、ヤベえのが二人います」
バッドは、ちらりと階段へ視線を向けた。
「さっきから、そこで肉を食ってるんですけど……」
「肉を?」
「はい。営業前なんで、俺が用意しました」
バッドは苦笑しながら頭を掻いた。
「ただ……あの二人、普通じゃねえです」
雇ってから聞いた話だが、バッドは若いながらもスラムの半グレたちをまとめ上げ、傭兵として何度も戦場を経験している実戦派だ。
荒事には慣れている。
そんなバッドが、ここまで警戒している。
(……相当に厄介な連中が来たってことか)
「どんな感じなんだ?」
「男の方は、調査兵団団長のリブルと名乗ってました」
「リブル……」
「はい」
バッドは少しだけ声を落とした。
「俺、あの人とはやり合いたくねえです。強いとか弱いとか、そういう単純な話じゃねえ気がします」
そして、もう一人。
「女の方は、ローザとかいうS級魔術士です」
「S級魔術士……」
思わず言葉が漏れた。
「はい」
バッドは階段を見上げた。
「特に、あの女はヤバいです。ずっとニコニコしてるんですけど……何を考えてるのか、さっぱり分かりません」
(……なるほど)
(バッドがここまで警戒するなら、相当に厄介な連中らしいな)
俺が二階へ向かおうとした、その時だった。
階段からハクさんが降りてきた。
「リュウジィ様」
「ハクさん。何があったんです?」
ハクさんはいつもの穏やかな表情を浮かべていた。
ただ、普段より少しだけ目が鋭い。
「二階に、お客様がお二人いらっしゃっています」
「やっぱり、もう来てるんですね」
「ええ」
ハクさんは一度、二階へ視線を向けた。
「調査兵団団長のリブルと、S級魔術士のローザと名乗っていました」
「……S級魔術士」
「はい」
ハクさんは静かに頷く。
「営業前だというのに二階へ来られています。『キングオーグの肉を出せ』とのことでしたので、先ほどバッドに用意してもらいました」
「なるほど……」
「お二人とも、かなりの手練れです」
ハクさんは淡々と続けた。
「特に、あの女性には注意した方がよろしいかと」
「ハクさんでも、そう思います?」
「ええ。長く生きておりますと、相手を見ただけで分かることもございます」
ハクさんは小さく息を吐いた。
「ですが、私も店をお預かりする身です。何かあれば、すぐにお知らせいたします」
「お願いします」
俺は二人を見た。
バッドもハクさんも、逃げるつもりはない。
ただ、相手の力量を理解した上で警戒している。
それなら、俺も俺のやり方でいくしかない。
(前世で店をやっていた頃、面倒なヤクザの幹部連中を相手にしてきた時と同じだ)
煽てて。
調子のいいことを言って。
その気にさせる。
そして、こっちのペースに乗ってきたところで――。
『バーカ。こっちのペースだよ』
……くらいの余裕が必要だ。
もちろん、そんなことを口に出すつもりはない。
心の中で笑い飛ばしてやればいい。
俺は口角を無理やり引き上げた。
「……分かりました。俺が行きます」
「兄貴、俺も――」
「いや、いい」
俺はバッドを制した。
「今回は俺が話をする」
「……分かりました」
バッドは素直に頷いた。
「何かあったら、すぐ呼んでください。俺、下で待ってます」
「頼む」
「はい、兄貴」
俺はハクさんにも声をかける。
「ハクさん、一階から追加の肉を持ってきてもらえますか?」
「承知しました」
「俺が持って行きます」
「かしこまりました」
本来なら、一階で客が自分で焼いて食べる。
それが、この店のスタイルだ。
だが今は、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。
俺は焼き上がったばかりの肉を大皿に盛り、それを手に取った。
そして、少しだけ緊張する足を動かし、二階のラウンジへ向かった。
階段を上る。
一段。
また一段。
上るにつれて、空気が変わっていく。
普段なら高級な香水の匂いが漂っているラウンジに、今日は一階から持ってきた焼肉の香ばしい匂いが充満していた。
その香ばしさすら押し潰すような、妙な重圧がそこにはあった。
テーブルに座っているのは、二人。
一人は、冷たい目をした男。
もう一人は、その隣で足をぶらぶらさせながら、紫色の髪をいじっている女だった。
女が、俺の持ってきた肉を見た瞬間、目を輝かせた。
「わあ!」
金色の瞳が大きく開く。
「これがキングオーグの焼肉?」
ローザは嬉しそうに身を乗り出した。
「すっごーい!」
そして、楽しそうに笑う。
「ジュウウウッて言った通りだね!」
「ローザ。勝手に食うな」
隣の男が淡々と言った。
「えー? いいじゃん」
「まだ許可していない」
「じゃあ、食べていい?」
「……好きにしろ」
「やった!」
ローザは嬉しそうに箸を取ると、肉を口へ運んだ。
「ん~!」
幸せそうな顔。
だが、その金色の瞳を見た瞬間、俺は背筋に薄い寒気を覚えた。
笑っている。
楽しそうにも見える。
なのに、どこか違う。
目の奥に、普通の人間とは違うものを感じる。
(……なるほど)
(この人がS級魔術士、ローザ・カイリか)
そして、その隣。
男はラウンジには少し不釣り合いな焼肉を黙々と食べていた。
こちらを見ている。
その目だけで、こちらの腹の内まで見透かされそうな気がした。
俺は緊張を押し殺し、二人のテーブルへ近づいていく。
そして、商売人として最高の笑顔を作った。
「いらっしゃいませ!」
「……」
「いやぁ、この度は有名なお二人に来ていただきまして、誠にありがとうございます!」
俺は軽く頭を下げる。
「主人のリュウジィです」
男はしばらく俺を見ていた。
そして、ようやく口を開く。
「調査兵団団長、リブルだ」
「これはこれは。リブル団長自ら、こんな店に来ていただけるとは光栄です」
「……なるほど」
リブルは俺をじっと見た。
「若いな」
「よく言われます」
「食事が終われば、王の元へ同行願おう」
「…………」
笑顔が、一瞬だけ固まった。
「陛下は、お前のアグニ村での件をすでにご存知だ」
(やばい)
心臓が、一気に跳ね上がった。
(あのこと、知ってんのか)
全身の血液が、サーッと引いていくような感覚。
だが、ここで怯えた顔を見せるわけにはいかない。
俺は必死に笑顔を維持した。
「いやぁ、そんなこともありましたかねぇ」
「…………」
リブルの目が細くなる。
「陛下から直々のお招きとは、これはこれは光栄の至りです」
俺は笑顔を崩さず、持ってきた肉をテーブルへ置いた。
「どうですか? うちの肉は」
「悪くない」
リブルは肉を一切れ口に運んだ。
「旨い」
「ありがとうございます!」
「……突っ立ってないで、座れよ」
「はい! 恐縮です!」
俺はすぐに返事をして、リブルの向かいに腰を下ろした。
その瞬間。
俺の脳内で、危険を知らせる警報が鳴り始めた。
この世界に来てから、いろんな人間と出会った。
強い奴もいた。
怖い奴もいた。
だが――。
目の前の男は、今まで会った誰とも違う。
余計な動きがない。
威圧しているわけでもない。
ただ静かに、こちらを見ている。
それだけなのに、肌が危険を感じ取っていた。
隣では、ローザが幸せそうに肉を頬張っている。
「おいしい!」
「……」
なんだ、この二人。
片方は何を考えているのか分からない。
もう片方は、考えていることが分からないどころか、そもそも考え方が俺たちと違う気がする。
引きつきそうになる頬を、俺は無理やり動かした。
そして、精一杯の愛想笑いを浮かべる。
(……さて)
(どうやって、この場をやり過ごそうか)
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