第22話 王宮の影と、動き出す牙
ハクさんが支配人になり、おやっさんの『深夜食堂』も開店した。
俺の経営する『ギャングスター』も、ようやくこの街の夜の空気の中に、自分たちの居場所を確保できそうな気がしてきた。
ここまでは順調だった。
だからこそ、俺は今度こそ失敗したくなかった。
現世のような失敗は、もう二度と繰り返さない。
そう心に決めて、俺は毎日の営業に身を削るように励んでいた。
店が忙しくなればなるほど、やることは増えていく。
それでも、この忙しさが嬉しかった。
店が少しずつ大きくなっている。
俺の居場所が、この世界に少しずつ出来上がっている。
そう思えていたからだ。
――その矢先だった。
馴染みの客であるカシムさんが、店内の空気を凍らせるような知らせを持って現れたのは。
その日の店は、いつも通り熱気に包まれていた。
グラスがぶつかる音。
女の子たちの笑い声。
客たちの楽しそうな話し声。
店内には、夜の街らしい喧騒が満ちている。
だが、そのフロアから少し離れたボックス席に座るカシムさんは、いつもと様子が違っていた。
顔が、やたらと青白い。
背筋もガチガチに強張っている。
おまけに、テーブルクロスの端を指でつまんだまま、落ち着かない様子で何度もいじっていた。
普段のカシムさんを知っているだけに、余計に気になる。
この人は魔術士ランクB。
王宮直属の考古学者でもある。
普段は古びた羊皮紙や、埃っぽい出土品に囲まれて暮らしている変わり者だ。
魔術という強大な力を持っているにもかかわらず、それを暴力として振るうことを頑なに嫌っている。
その代わり、古代文明や遺跡の解析には並々ならぬ情熱を注いでいる。
王宮直属の考古学者という、かなり立派な肩書きを持っているのに、本人はそんなことを鼻にかける様子もない。
いつも穏やかで、知性を感じさせる柔らかな笑みを浮かべている。
普段なら、歴史のロマンや遺跡の構造について、嬉しそうに何時間でも語っているような人だ。
そんなカシムさんが――。
今日は、まるで別人だった。
「……リュウジィ君」
「はい?」
カシムさんが、周囲を気にするように声を落とす。
「近々、王宮から呼び出しがあるぞ」
「……王宮?」
嫌な汗が背中を伝った。
俺はそれを悟られないように、サイドテーブルへ歩き、いつもの酒を無造作に置く。
「カシムさん? 何で俺が呼ばれるんですか?」
「……それがな」
カシムさんは乾いた唇を舐める。
そして、しばらく迷ったあとに口を開いた。
「若くして成功した君も、君のお店も……ちょっと目立ちすぎたらしい」
「…………」
「王は君が、この国に忠誠を誓える人間なのか。今のうちに見ておこうと思っているらしい」
「……なんだそれ」
思わず心の中で呟いた。
(商人の俺に、何の用があるんだ?)
(税金をもっと納めろとか?)
(まあ、適当に愛想よくして、やり過ごすしかないか)
王宮からの呼び出し。
聞くだけなら大事に思える。
だが、俺はまだ、この国の王様がどんな人間なのかすら知らない。
下手なことをしなければ大丈夫だろう。
たぶん。
「……教えていただき、ありがとうございます、カシムさん」
俺は動揺を押し隠しながら、カウンターへ戻った。
そして、店にある酒の中でも一番いいものを一杯注ぐ。
「どうぞ」
「……ありがとう」
カシムさんはグラスを受け取ると、喉の奥へ一気に酒を流し込んだ。
ゴクッ。
ゴクッ。
そして――。
「では、私はこれで」
「え?」
カシムさんは立ち上がった。
「ちょっと、カシムさん?」
「失礼します!」
そのまま足早に店を出ていく。
まるで、背後から化け物に追われているかのような逃げ足だった。
俺は、店の外へ消えていくその背中を見つめた。
「…………」
嫌な予感しかしない。
その時の俺は、まだ知らなかった。
翌日。
俺の店に、とんでもない二人がやって来ることを。
――同じ頃。
王宮の深部。
冷え切った石造りの壁に囲まれた、重厚な玉座の間。
そこには、人の温もりなど一切感じられないような空気が漂っていた。
その中央にある玉座に、王が深々と腰を下ろしている。
そして、その前には一人の男が跪いていた。
「おい、リブル」
「はっ」
カサリ、と鎧の擦れる音が響く。
そこに跪いているのは、調査兵団長リブル・レナード。
スキル剣士ランクA。
その冷酷無比な生き様から、裏社会では『人斬りリブル』と恐れられる男だ。
そんな男の額から、一筋の汗が流れていた。
「ちょっと頼まれ事をしてくれんか」
王が、まるで簡単な用事でも頼むような口調で言う。
「王都の北にある『ギャングスター』という店の主人を、ここに連れてきてほしいのじゃ」
「……ギャングスター」
リブルの眉がわずかに動いた。
王は、さらに続ける。
「アグニ村の騎士団を、たった一人で無力化したという、その腕前な」
「…………」
「わしも直に見てみたいものだ」
その言葉を聞いた瞬間。
リブルの背筋を、冷たいものが走った。
(……っ!)
(じじい、知ってたのか!?)
アグニ村の件は、リブルが部下から極秘で小耳に挟んだばかりの話だ。
それを、この王はすでに知っている。
(ちっ……相変わらず抜かりがねえ)
(この慎重さと耳の早さが、この国を長年守ってきたコツってわけか)
(食えねえジジイだぜ……)
血の気が引くのを必死に隠しながら、リブルは頭を垂れた。
「……御意」
「相当に若いと聞いていますが、陛下のお耳に届いているのであれば話は早いですな」
リブルはゆっくりと顔を上げる。
「その『小僧』が我が国に忠誠を誓える男なのか、見定めて参ります」
「うむ。頼んだぞ」
リブルが返事をした。
――その瞬間だった。
パチンッ!
静まり返った広大な玉座の間に、乾いた指鳴らしの音が響き渡った。
「ただいま、王様!」
「…………」
リブルの顔が引きつる。
空間が、ぐにゃりと歪んだ。
その裂け目から、一人の女が姿を現した。
眩暈がするほど長い紫色の髪。
魔術師特有のマント。
そして、その場にいるだけで周囲の空気がピリピリと痺れるような圧力。
魔術士ランクS。
この国が隠し持つ、理不尽の化身。
最強の魔術士、ローザ・カイリ。
その唇には、底抜けに明るい笑みが浮かんでいる。
「その話、面白そうだから私も行っていいかな?」
「……ローザ」
「ちゃんと仕事してきたよ?」
ローザは嬉しそうに笑った。
「王様の暗殺部隊と、その家族もまとめてバーベキューみたいに焼いてきたんだから」
「…………」
リブルの表情が固まる。
「ジュウウウッて」
ローザは楽しそうに両手をパチパチと叩いた。
「だから、ご褒美!」
その笑顔は、子供が甘いお菓子をねだる時のように無邪気だった。
「私もキングオーグ食べたい!」
「…………」
リブルは何も言えなかった。
ついさっきまで、この女が何をしてきたのか。
王の暗殺部隊。
その家族。
それをまとめて焼いた。
その直後に、キングオーグが食べたいと言っている。
意味が分からない。
いや。
意味は分かる。
分かるからこそ、怖い。
王はローザを見て、気味の悪いものを見るような顔をした。
だが、どこか面倒くさそうでもある。
「しかたないのう」
王が片手をひらりと振る。
「わかった。明日、二人で行け」
「やった!」
ローザが嬉しそうに飛び跳ねる。
「はーい!」
「……はっ」
リブルは短く返事をした。
冷酷な命令と、底知れない狂気。
二つが交差する玉座の間。
こうして――。
俺のささやかな平穏に、どうしようもないほど巨大な暗雲が立ち込めることになった。
王宮の深い闇から放たれた、二つの巨大な『厄介事』。
一人は、人斬りと恐れられる剣士。
もう一人は、この国最強の魔術士。
そして二人が向かう先は――。
俺の愛する店。
『ギャングスター』。
本当の意味での『招かれざる客』が、明日、俺の店にやってくる。
その残酷な運命の足音は、もうすぐそこまで迫っていた。
……まあ、普通にしてれば何事もないだろ?
俺は、そう自分に言い聞かせた。
けれど。
その夜、俺の心臓は恐怖で早鐘のように鳴り続けていた。
お読みいただきありがとうございました。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




