第21話 不夜城の門番と、静かなる盾
『ギャングスター』がオープンして、早くも三ヶ月が過ぎた。
店は順調に売上を維持していた。
一ヶ月目は、ただ店を軌道に乗せることだけで精一杯だった。
二ヶ月目に入る頃には、ようやく日々の営業にも余裕が生まれ始めた。
そして三ヶ月目。
売上も客足も安定し、店は完全に王都の夜に根を張り始めていた。
だが――。
上手くいけばいくほど、新しい課題もはっきりしてきた。
二階のラウンジは、落ち着いた大人の社交場でありたい。
仕事を終えた商人が酒を飲みながら愚痴をこぼす。
役人が肩の力を抜いて笑う。
客同士が酒を酌み交わし、女の子たちとの会話を楽しむ。
そんな、日常から少しだけ離れられる場所。
俺が作りたかったのは、そういう店だった。
ところが最近、少し金を持った成金や、素行の悪い衛兵崩れが、我が物顔で階段を上がろうとするのが目についていた。
「俺は金を払ってるんだぞ!」
「女の子が酒を作るんだから、俺の言うことを聞くのが当然だろ?」
「ここは俺たちみたいな客が来る店なんだよ!」
そんな連中が増えれば、店の空気は一気に悪くなる。
他の客に絡む。
女の子にしつこく迫る。
断られれば怒鳴る。
そして、金を持っていることを理由に、何をしても許されると思っている。
売上だけを考えれば、追い返すのは惜しい客かもしれない。
だが、それ以上に大切なものがある。
そろそろ、客を選ばなきゃいけない時期だ。
店の格を上げつつ、女の子たちも安心して働ける環境を作る。
そのためには、入り口で睨みを利かせる絶対的な門番が必要だった。
(バッドはすぐに手を出しそうだからな。さすがに客を傷つけるのはマズい)
あいつに任せたら、注意する前に相手を壁まで吹っ飛ばしかねない。
腕っぷしは申し分ない。
むしろ申し分がありすぎる。
だからこそ、今回の役目には向いていない。
俺はしばらく考えた。
そして、一人だけ心当たりがあった。
俺は王都の片隅にある、小さな茶屋の暖簾をくぐった。
店内には、香ばしい茶葉の香りが漂っている。
昼下がりの店内に客は少なく、窓から差し込む柔らかな日差しが、古びた木の床を照らしていた。
ここを営んでいるのは、二十年ほど前、知り合いのツテを頼って他国から流れ着き、静かに隠居生活を送っている男だ。
名前は、ハク。
俺がこの人と知り合ったのは、王都の右も左もわからない頃だった。
女の子をスカウトして街を歩き回っていた俺が、偶然この茶屋へふらりと立ち寄った。
そこで出された茶を飲みながら、何気なく話をしているうちに、俺はこの老人の過去を知ることになった。
「……お久しぶりです、ハクさん。お元気そうで」
カウンターの奥に立つ、背筋の伸びた白髪の老人に、俺は深く頭を下げた。
「これはこれは、リュウジィさん。お久しぶりですね」
穏やかな笑顔。
静かな物腰。
年齢を感じさせる白髪と皺。
どこから見ても、ただの気のいい老人にしか見えない。
だが――。
この人は、かつて他国の戦場を渡り歩いた武道家傭兵団の生き残りだ。
この国では六十年も前に、「武道家スキル」の軍事利用が禁じられた。
今では、武器を持った相手に素手で挑んでも、真っ先に死ぬだけだと馬鹿にされる。
典型的な『ハズレスキル』。
それが、この国での武道家スキルに対する評価だった。
だが、他国では違った。
つい二十年前まで、その圧倒的な身体能力と技術は、戦場の華だったという。
武器を持つ兵士たちの間を縫い、素手で敵を倒していく武道家。
その中でも、ハクさんは特に足技に秀でていた。
この二十年の差は大きい。
ハクさんは、その禁止令が出る直前まで、圧倒的な足技で戦い抜いてきたという。
この話を知ったのは、この店の常連と、スカウト中にばったり会ったことがきっかけだった。
「……なるほど。それで今日は、私に何か頼み事がある、と」
ハクさんが湯呑みに茶を注ぎながら、穏やかに笑う。
「はい」
俺は一度、息を整えた。
「……ハクさん。不躾なお願いですが、力を貸していただけないでしょうか」
「力、ですか?」
「俺の店の、支配人として働いてくれませんか?」
ハクさんの手が止まった。
しばらくの沈黙。
やがて、老人は小さく笑った。
「……リュウジィさん。私はもう、人を蹴るのには飽きましてね」
「え?」
「他国で嫌というほど積み上げてきましたから。もう十分ですよ」
そう言って、ハクさんは自分の足元へ視線を落とす。
その表情には、ほんの少しだけ疲れが滲んでいた。
「そんなことはお願いしてません」
俺は苦笑した。
「ただ、店の入り口で、相応しくない連中を弾いていただきたいんです」
「ほう」
「若い奴らや女の子たちが、安心して仕事ができる。客も落ち着いて酒を飲める。そんな場所の盾になってくれませんか」
俺はハクさんの目をまっすぐ見つめた。
「ハクさん以外の適任が、どうしても思い浮かばないんです」
俺がもう一度、深々と頭を下げる。
店の中が静まり返った。
しばらくして、ハクさんが小さく息を吐く。
「……困りましたね」
顔を上げると、老人はどこか照れくさそうに笑っていた。
「こんな老骨でも必要として頂けるなら、有難いと思うしかありませんね」
「……!」
「それに、毎日茶を淹れているだけというのも、少々退屈していたところです」
こうして、ハクさんは『ギャングスター』の支配人として働くことになった。
数日後。
ハクさんの初出勤の日。
二階へと続く階段の踊り場で、早速ひと悶着が起きていた。
剣を帯びた荒くれ者の一団が、ハクさんに遮られている。
「おい、そこをどけ!」
先頭に立つ男が怒鳴り声を上げた。
「金なら持ってるんだよ! 俺たちは客だぞ!」
「……申し訳ございません」
ハクさんは静かに頭を下げる。
「他のお客様のご迷惑になります。今日は引き返してください」
「ふざけんな!」
男の顔が赤くなる。
「誰に向かって言ってやがる!」
「俺たちを誰だと思ってる!」
後ろの男たちも口々に怒鳴り始めた。
それでも、ハクさんは動かない。
ただ静かに、彼らを見ている。
「……お願いです。お引き取りください」
「このジジイが!」
逆上した男が、腰の剣に手を伸ばした。
その瞬間だった。
瞬き、一つ。
男が剣を抜くより早く、ハクさんの姿が消えた。
いや――。
正確には、消えたように見えただけだった。
気づいた時には、男は踊り場から一階の出口付近まで、瞬きする間に体の位置が変わっていた。
ハクさんの足技で、一瞬のうちに移動させられたんだ。
「……あ、が……」
男は何が起きたのか理解できず、地面にへたり込んでいる。
「な、何をしやがった……!」
「おやおや」
ハクさんは何事もなかったかのように首を傾げた。
「足元が不安定でしたので、出口までお送りしたまでです」
そして、いつもの穏やかな笑顔。
「……お怪我はございませんか?」
男たちは、誰一人として答えられなかった。
目の前にいる老人が何をしたのか、理解できない。
ただ一つだけ分かる。
この老人には、逆らってはいけない。
やがて男たちは顔を見合わせると、何も言わずに店から逃げ出していった。
俺はその一部始終を見ながら、思わず息を吐いた。
これだ。
この、一歩も引かない静かな対応こそが、店の秩序を守る。
怒鳴らない。
威圧しない。
必要以上に手を出さない。
ただ、越えてはいけない一線を越えた瞬間だけ、確実に相手を外へ出す。
ハクさんがフロアに立ったことで、店全体の空気が一段引き締まったのがわかる。
女の子たちも安心している。
常連客も、以前よりゆったりと酒を楽しめるようになった。
そして何より、変な客が入り口で自然と引き返すようになった。
門番というより――。
もはや、店そのものの結界みたいなものだ。
そしてもう一つ、嬉しい誤算があった。
三ヶ月間、客として連日通っていたドナドのおやっさんが、この店をすっかり気に入ってしまったのだ。
ある日の営業終了後。
いつものようにカウンターで酒を飲んでいたおやっさんが、突然、真剣な顔で俺を見た。
「リュウジィ」
「はい?」
「俺もまた、リュウジィの近くで一花咲かせたい」
「……おやっさん」
その言葉を聞いた瞬間、俺は笑ってしまった。
この人らしい。
昔のように、もう一度自分の店を持ちたい。
この街で、もう一度自分の力を試したい。
そういうことなのだろう。
俺はすぐに、店の斜め向かいにある空き物件の手配に動いた。
立地も悪くない。
『ギャングスター』からも目が届く。
何より、おやっさんが店を構えるなら、この通りは今よりもっと面白くなる。
最強の門番。
そして、尊敬するおやっさんの再始動。
二人の新しい戦力が加わったことで、店の未来が一気に明るくなった気がした。
来週には、おやっさんの『深夜食堂』の灯が、この通りの夜を明るく照らすことになる。
店を守る者。
店を盛り上げる者。
そして、ここで働く女の子たち。
少しずつだが、この場所に必要なものが揃い始めている。
「店と、この通りの夜を盛り上げるための準備は、これでようやく整った」
俺は、夜の王都を眺めながら、静かにそう呟いた。
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