208話 旅の約束
ドナド亭で五人の無事を祝ってから、三日が経った。
あの騒ぎが嘘だったかのように、王都にはいつもの時間が戻りつつある。
けれど、すべてが元通りになったわけではない。
MG倶楽部の前には木材が積まれ、大工たちが吹き飛んだ扉の枠を付け替えている。
通りを行く人たちは足を止め、無残な店構えを気の毒そうに眺めていた。
売り場は棚も壁もまだ半分壊れたままだったが、奥の工房だけは炉も道具も何とか無事だった。
店の修繕にはまだ時間がかかりそうだったが、グラニータはそんな状況でも仕事の手を止めてはいなかった。
その工房からは、カン、カン、と槌の音が絶え間なく響いていた。
リュウジィはミライと並んで、作業の邪魔にならないよう壁際を通り、工房の入り口に立った。
「グラニータ、今ちょっといい?」
ミライが声をかけると、炉の前で鉄を打っていたグラニータが手を止めた。
額の汗を腕で拭い、振り返る。
「ミライ。……リュウジィさんも。何かありました?」
「この前、相談があるって言ったでしょ。その話」
ミライは工房に一歩入ると、少し言いにくそうに指先を合わせた。
今のMG倶楽部が忙しいことは、ここへ来るまでにも分かっていた。
それでも、ミライは自分の中に残っていた不安を、そのままにしておきたくなかった。
「タツヨさんの胸当てみたいな防具、あたしにも作ってくれないかな?って」
グラニータの眉がわずかに上がる。
「急にどうしたの?」
「この前、魔族の国で戦ったでしょ。あのとき戦った魔族、爪で攻撃してきてさ。体に来たらって思うと、正直ぞっとしたんだよね。あたし、カミラやムサシさんみたいに受けられないから」
リュウジィは黙って、ミライの横顔を見た。
魔族の国から帰ってきてから、ミライは戦いの話をほとんどしていない。
あのとき感じた恐怖が、なくなったわけではない。
だからこそ、ミライは自分の身を守るための防具を欲しがっているのだ。
「俺からも頼むよ。ミライが自分から言い出したことだしさ」
グラニータは槌を台に置き、工房の壁に貼られた注文票へ目を向けた。
修繕の仕事が残っているうえ、これまでに受けた注文も抱えている。
新しい仕事を簡単に引き受けられる状況ではないことは、リュウジィにも分かった。
「作ってあげたいのは山々なんだけどさ。見ての通りだよ」
グラニータは注文が書かれた羊皮紙の束を指先で弾いた。
「待ってくれてるお客さんがこれだけいて、店の修繕もまだ終わってない。それに、タツヨさんの胸当てと同じ格のものとなると、素材を探すところから始めないといけないから、今の現状だとちょっと難しいよ」
「そっか。店がこんな状態だもんな。無理させられないよ」
リュウジィがそう返すと、ミライは小さく肩を落とした。
ミライも、今の店の状況を見れば無理を言えないことは分かっている。
それでも、自分の身を守るために欲しいと思った防具だっただけに、少し残念だった。
「……そうだよね。ごめん、忙しいのに」
「ちょっと待って。話は最後まで聞きなよ」
グラニータは腕を組み、少しだけ口元を緩めた。
「あたしには無理でも、当てならあるよ。師匠のとこ」
ミライが顔を上げる。
リュウジィも思わず聞き返した。
「師匠って……タツヨの防具を作った人だよな?」
「そう。サウスチェケラッチョのアラン・デカス。偏屈ですけど、腕は確かです」
タツヨの胸当てを作ったアランなら、ミライの防具についても相談できる。
グラニータは作業台の引き出しを開け、羊皮紙とペンを取り出した。
「ただ、紹介状がないと門前払いされます。今晩書いとくんで、明日取りに来てください」
「ありがとう、グラニータ!」
ミライの顔がぱっと明るくなる。
その横で、リュウジィはサウスチェケラッチョという名前を頭の中で繰り返していた。
ファフニールと出会った国だ。
そしてもう一つ、魔族の国へ行く前の晩に、ミライと交わした約束を思い出す。
落ち着いたら二人で旅行に行こう。
その約束が、思いがけない形で実現することになりそうだった。
「なあ、ミライ。サウスチェケラッチョ、一緒に行こうか」
「え?」
「落ち着いたら二人で旅行行こうって、約束しただろ。店もしばらく開けられないしさ。防具のついでに、ちょっとのんびりしようよ」
ミライは一瞬きょとんとして、それから目を細めて笑った。
「……ついでは、防具の方でしょ」
「はは、そうかもな」
◇ ◇ ◇
翌朝、リュウジィとミライが工房を訪ねると、グラニータは封蝋を押した封筒を用意して待っていた。
約束した通り、紹介状はきちんと準備されていた。
「これ、紹介状です。師匠はほんとに気難しいんで、最初に追い返されそうになっても気にしないでください」
「そんなに偏屈なの?」
ミライが封筒を受け取りながら聞くと、グラニータは真顔で頷いた。
「偏屈だよ。でも、これがあれば話は聞いてくれるから」
ミライは受け取った封筒を大事そうに胸に抱えた。
「助かったよ、グラニータ。店のこと、しばらく任せっぱなしになっちゃうけど」
「こっちは大丈夫です。カミラもいるし」
グラニータはそう言うと、もう炉の方へ向き直っていた。
ミライはリュウジィを見上げて笑った。
二人は紹介状を手に、サウスチェケラッチョへ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、リュウジィは一人でタツヨの家を訪ねた。
サウスチェケラッチョへ行くことを、タツヨにも伝えておこうと思ったからだ。
庭先でシャドーをしていたタツヨは、リュウジィの顔を見るなり拳を下ろした。
「おう、どうした」
「しばらく王都を離れるから、言っとこうと思ってさ。ミライとサウスチェケラッチョに行ってくるよ」
「サウスチェケラッチョ?」
「ミライがさ、タツヨの胸当てみたいな防具が欲しいんだって。グラニータに相談したら、今は手一杯だから師匠のところに行けってさ」
タツヨは一瞬目を丸くして、それから声を上げて笑った。
「アランのおっさんか。ミライちゃん、ずいぶん本気じゃねえか」
「うん。俺もびっくりしたよ」
「で、お前も一緒に行くってことは……」
タツヨがにやりと口の端を上げる。
「旅行も兼ねてるんだろ」
「……まあ、そうだよ。前に約束してたしさ」
その一言で、タツヨにはリュウジィが何を考えているのかまで伝わったらしい。
「なら俺は行かねえよ。邪魔したら、ミライちゃんに殴られる」
タツヨは肩をすくめると、思い出したように付け足した。
「そうだ。アランの店な、看板は金物屋だから。武具屋を探してると通り過ぎるぞ」
「金物屋?」
「俺も最初、店を間違えたかと思ったんだよ。デカス金物店だ。覚えとけ」
「分かった、ありがとう」
武具屋を探しているのに、金物屋を目印にしなければならない。
リュウジィはデカス金物店という名前を頭に刻み込んだ。
リュウジィが礼を言うと、タツヨはまた拳を構え、シャドーに戻った。
「気をつけて行ってこいよ。ミライちゃんの防具ができたら、俺にも見せろよな」
「分かってるよ。一番に見せに来るよ」
「おう。弟子の晴れ姿だからな」
タツヨの声を聞きながら、リュウジィは笑った。
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