203話 沸き立つ血潮
「――貴様ら、ここからが地獄だと知れ……!」
クラウスの咆哮が響きわたる。
その背後では、一本の尾が鎌首をもたげたまま、二人を狙っていた。無数の棘が並ぶ鉄の尾先が、ゆっくりと揺れる。
それだけで、周囲の空気が張り詰めていくようだった。
「――来い……!」
リュウジィが構えを解かず、静かに告げる。身体の奥には、先ほどの戦いで蓄積した疲労が残っていた。
だが、目の前のクラウスから視線を逸らすことはない。隣では、タツヨが拳を握り直していた。
金属化した腕が、わずかに軋む。
「――今度こそ、ぶっ潰してやる……!」
タツヨが低く呟いた。
クラウスが地を蹴った。巨躯が一気に迫り、漆黒の爪が交差するように振るわれる。
同時に、背後の尾が唸りを上げ、低い軌道で薙ぎ払われた。
「オブシディアン・ラッシュ!」
爪が幾重にも重なる軌道を描き、畳みかけるように襲いかかる。その動きに合わせるように、尾が石畳すれすれを走った。
「――くっ……!」
リュウジィは内功盤根の円の歩法で、迫りくる爪の軌道から身体を外す。漆黒の爪が、頬のすぐ横を通り抜けた。
だが、避けた先には尾が迫っていた。低く薙がれた尾が足元を払う。
「――っ!」
リュウジィは咄嗟に跳び上がった。その足元を、棘に覆われた尾先が唸りを上げて通過していく。
着地した瞬間、今度は爪の連撃が襲いかかった。
リュウジィは両腕を交差させ、正面から受け流す。
ガガガガガガッ!!
漆黒の爪がファフニールの表面を幾度も叩いた。チャイナ服の形をした意思ある鎧が、衝撃を受けて軋む。
斬撃そのものは通らない。だが、爪が打ち込まれるたび、硬い衝撃が腕の奥へ突き抜けていく。
「――こいつ、速さが桁違いだ……!」
リュウジィは歯を食いしばった。
腕に重い痺れが走る。
その隙を狙うように、クラウスの尾が再び迫った。リュウジィが横へ飛び退く。
その横を尾が通り抜け、石畳を砕いた。
ドガァンッ!!
砕けた石の破片が飛び散る。
「――なら、俺が止めるッ!」
タツヨが一気に踏み込んだ。金属化した拳が、クラウスの顔面へ迫る。
だが、クラウスは身体を捻って拳を躱した。同時に、尾が横から振り抜かれる。
タツヨは腕を盾にして受け止めた。
ガキィンッ!!
「――ぐっ……!」
衝撃で身体が押し戻される。タツヨは足を踏ん張り、なんとかその場に留まった。
「――くそっ……!」
クラウスは間髪入れずに爪を振るう。タツヨが身を引いた直後、その爪が目の前を通過した。
そこへリュウジィが踏み込む。
「――タツヨ、右だ!」
タツヨは反応する。二人の間をすり抜けるように、クラウスの尾が薙ぎ払われた。
リュウジィが低く身を沈め、タツヨは跳び上がる。
尾が二人の間を通り過ぎた瞬間、リュウジィがクラウスへ踏み込んだ。
だが、クラウスの爪が迎え撃つ。
ガッ!!
ファフニールの腕を爪が打ち抜く。
「――ぐっ……!」
衝撃でリュウジィの身体がわずかに傾ぐ。そのまま追撃の爪が迫った。
リュウジィは身体を捻り、紙一重で避ける。だが、避けた先へ尾が回り込んできた。
「――っ!」
咄嗟に後方へ跳ぶ。
尾先が目の前を通過し、石畳を激しく叩き砕いた。
ドガァンッ!!
リュウジィは着地と同時に体勢を整える。呼吸が荒くなっていた。
クラウスの攻撃は、一瞬たりとも途切れない。爪と尾を別々に使うのではない。
片方で逃げ道を塞ぎ、もう片方で確実に仕留めにくる。
「――舐めるなよ、この程度で調子に乗るな、人間風情がッ!」
クラウスの声に、明らかな余裕が滲んでいた。
リュウジィは拳を握り直す。このままでは、こちらの体力だけが削られていく。
「――タツヨ!」
リュウジィが短く叫んだ。
タツヨが視線だけを向ける。言葉を交わす必要はなかった。
二人は同時に動いた。
リュウジィが正面から踏み込み、クラウスの注意を引く。
「――来いッ!」
クラウスが爪を振り下ろした。リュウジィはその軌道を外側へ流し、さらに一歩踏み込む。
その瞬間、クラウスの尾が背後から迫った。
リュウジィは身体を沈める。尾が頭上を通過した。
「――今だッ!」
リュウジィが地を蹴った。
ニーズヘッグの指輪に宿る竜の力が、拳へと収束していく。
ファフニールのチャイナ服の表面にも、金色の光が鮮烈に脈打つ。
赤黒い炎を纏った拳を突き出した。
「崩拳ッ!!」
ドォォォン!!
拳がクラウスの鳩尾へ叩き込まれた。内側へ突き抜けるような衝撃が、巨躯を揺らす。
「――ぐおおおおおッ!?」
クラウスの身体が大きくのけ反った。
その隙を逃さず、タツヨが側面から飛び込む。
「――もらった!」
金属化した拳に青い光が集まる。
「ファントムストレート!!」
ズガンッ!!
拳がクラウスの側頭部を打ち抜いた。クラウスの頭部が大きく弾かれ、巨躯がよろめく。
「――ぬ、があぁぁ……!」
それでも倒れない。
クラウスはふらつきながらも足を踏みしめ、二人を睨みつけた。
その瞬間、リュウジィが再び踏み込む。
クラウスが爪を振るう。リュウジィはその腕を外側へ流し、懐へ潜り込んだ。
拳を引き絞る。
「鑽拳ッ!!」
バキィィィッ!!
拳がクラウスの顎を捉えた。頭部が大きく跳ね上がる。
巨躯が大きく後方へ下がり、数メートル先でようやく足を止めた。
その隙に、タツヨが最後の一撃を叩き込むべく拳を振りかぶった。
「――決めるぞ!」
その声を聞いた瞬間、牙を覗かせるように、口の端がわずかに歪んだ。
意識のすべてが、目の前のクラウスへ向いていた。
その瞬間、背後で空気が唸った。
弧を描き、棘に覆われた鉄の尾がタツヨへ迫る。
「しまった!」
振り向く暇も、腕を上げる暇もなかった。
ガキィィィィン!!
「ぐうっ!」
無防備な背中に、鉄の尾が容赦なく叩き込まれる。
衝撃が全身を突き抜け、タツヨの体が大きく宙を舞った。
石畳に叩きつけられ、何度も跳ねながら転がっていく。
タツヨは瓦礫の近くまで吹き飛ばされ、そのまま地面に倒れ込んだ。
「――タツヨ!」
リュウジィが叫ぶ。
だが、タツヨは動かない。
完全に意識を失っていた。
「――待って!」
ミライが瓦礫の陰から飛び出そうとする。
「――行くな!」
ムサシが肩を掴んで止めた。
「あそこに、俺たちが割り込む隙間はない。邪魔になるだけだ。」
カミラもグレイブを握り締めたまま、倒れたタツヨを見つめている。
三人の前では、すでに戦況が変わっていた。
リュウジィとクラウス。
残されたのは、その二人だけだった。
「――てめぇぇぇッ!!」
タツヨが倒れた光景を目にした瞬間、リュウジィの中で何かが弾けた。
ファフニールの表面を走る金色の筋が、激しく脈打つ。
ニーズヘッグの指輪が、これまでにない熱を帯びた。
竜の力が一気に流れ込み、内功の巡りが加速していく。
血が沸き立つ。
全身を駆け巡る力が、さらに強くなる。
真紅と漆黒のタイガーストライプが、炎を纏いながら鮮烈に浮かび上がった。
クラウスがゆっくりと立ち上がる。
口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
鉄の尾が、再び鎌首をもたげる。
無数の棘が月明かりを受け、鋭く輝いた。
リュウジィは拳を握り締めた。
身体の奥で沸き立つ血潮が、さらなる力となって全身を駆け巡る。
「――上等だ……!」
その瞳に、燃え上がるような闘志が宿った。
二人の間に、張り詰めた静寂が落ちる。
次の瞬間――
リュウジィとクラウス、最後の激突が始まろうとしていた。
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