197話 未だ見えない活路
ヴォルグは両手を床につき、肺を焼き切るかのような荒い息を繰り返していた。
「まだ、まだだ……!」
絞り出すような絶叫とともに、ヴォルグが血走った拳を床へと叩きつける。
ドォンッ!!
凄まじい衝撃波が床を駆け抜ける。
その直後、巨体から漆黒の靄が奔流の如く噴き出した。
「ハンドレッド・ウルフ……もう一度だ!」
澱んだ靄の奥底から、無数の影の狼たちが這い出してくる。
数すら減っていたはずの群れが、禍々しい再生の光景とともに、再びその数を満たしていく。
「もう、終わりにしなよ」
「――終わり? 冗談じゃねえ」
床を踏みしめるように、ヴォルグが巨体をじりじりと立ち上がらせた。
主の殺意に共鳴し、周囲を埋め尽くす影狼が一斉に牙を剥き出し、三人へと這い寄る。
「――来い」
ムサシが低く構え、二振りの刀に闘気を宿した。
次の瞬間――。
獣の群れが、一斉に跳躍する。
「狼はこっちで引き受ける!」
カミラが踏み込む。
長大なグレイブを、凄まじい勢いで薙ぎ払った。
ヒュォンッ!!
蛇の如くうねる穂先が空間を切り裂き、群がってきた二匹の影狼を一撃で両断する。
二つに裂かれた影狼が、そのまま弾き飛ばされた。
「私も!」
ミライがその横合いから弾丸のように飛び込む。
肉薄する狼の顎、その真下へ――。
「――ッ!!」
強烈な拳を突き上げた。
ドゴォッ!!
凄まじい衝撃に頭部を粉砕され、狼の影が霧散して弾け飛ぶ。
「ムサシは、ヴォルグに集中して!」
「――わかった」
ムサシが大地を蹴り抜いた。
疾風の如き加速でヴォルグの懐へ肉薄し、その肩口へ二刀を深く叩き込む。
ズブッ!
肉を断つ鈍い音が響いた。
だが――。
本来ならそのまま敵を両断するはずの凄まじい勢いが、ピタリと止まった。
「――ッ!?」
「斬れねえだろう――グリップ・ファング」
ヴォルグが不気味に歪んだ笑みを浮かべる。
一瞬。
全身の力が、肩に食い込んだ刃の一点へと集中した。
がら空きとなったムサシの喉笛へ、巨大な爪が容赦なく迫る。
「――ムサシ!」
カミラが叫ぶ。
群がる狼をグレイブの柄で強引に叩き伏せながら、ムサシへと踏み込んだ。
ミライも全力で地を蹴った。
だが、距離が遠すぎる。
「間に合わない……!」
「――そんな……!」
「――危ない!」
思考の限界を超え、カミラが身を挺してムサシの前へと飛び出した。
「――ッ!!」
鋭利な爪が、カミラの左肩を深く、残酷に切り裂く。
ザシュッ!
「カミラアッ!」
「かはっ……!」
鮮血が舞い散り、カミラがその場に崩れ落ちる。
攻撃を放ったことで力が解け、二刀が肉から外れ落ちた。
カラン……。
冷たい音を立てて、床に転がる。
ヴォルグの狙いは、無防備に倒れたカミラへと向いた。
「――させるかよ!」
ムサシが素手のままカミラを抱きかかえる。
爪が届く寸前――。
二人は共に横へ転がり込んだ。
ザシュッ!
一瞬遅れて振り下ろされた爪が、床を深くえぐった。
「――大丈夫か!」
「……なんとか」
カミラを背に庇う位置で身を起こしながら、ムサシが油断なく爪の間合いを計る。
だが、ヴォルグの猛攻は止まらない。
休む間も与えず、二撃目の爪が二人へと迫る。
「――ムサシから離れろ!」
ミライが捨て身の特攻で割り込んだ。
血相を変えて叫びながら拳を振り抜き、迫る爪を弾き飛ばす。
「――甘いんだよ!」
ヴォルグの重戦車の如き体当たりが放たれる。
だがミライは持ち前の速さで、紙一重にその巨体を躱した。
巨体はそのままの勢いで壁際まで突き進み――。
ドゴォンッ!!
壁際で大きな音を響かせる。
束の間、距離が開いた。
「このままじゃ……!」
ムサシが素手のまま、カミラを庇いながら歯を食いしばる。
絶望的な気配が、戦場を支配していく。
だが――。
「まだ、だよ」
カミラが、傷ついた腕で震えるグレイブの柄を支えにして、ふらつきながらも立ち上がった。
ミライが顔を上げ、血を流すカミラの姿に気づく。
ヴォルグは、まだ勢いを止めて向き直る途中だった。
「――今のうちに」
ミライがその隙を突いて、カミラのもとへ駆け寄る。
ポケットから応急回復薬のナロキシンを引き抜き、カミラの手に握らせる。
「いいから、早く飲んで!」
「――ありがとう」
カミラが一息でアンプルを呷る。
みるみるうちに傷口の激しい出血が塞がっていく。
「ムサシ、刀はそこ!」
「――ああ!」
ムサシが床に転がる二刀へと滑り込むように飛び込み、柄をしっかりと握り締めて跳ね起きた。
「――待たせたな」
「くそ、なんで……あんなに追い詰めたのに、あと少しだったのに……!」
ヴォルグが歪んだ顔で吐き捨てる。
「悪いが、続きはさせない」
ムサシが低く答え、鋭く刀を構え直す。
その闘志は微塵も衰えていなかった。
「今度は、こっちの番だ」
カミラがグレイブを一閃させた。
柄から放たれた穂先が蛇のようにうねりながら宙を奔り、避けようとするヴォルグの動きを追尾するように軌道を変える。
「――もう一度、いただくぜ」
ヴォルグが待ち構えていたかのように、自ら身を晒して受けた。
グサッァァァ!!
肉を貫く悍ましい音とともに、穂先がヴォルグの脇腹深くへと沈んだ。
「――グリップ・ファング」
ヴォルグが一瞬、全身の力を脇腹に食い込んだ刃の一点へと集中させる。
その刹那――。
空いた爪が、カミラへと迫った。
「――離れろ、カミラ!」
ムサシが叫び、右の刀でヴォルグの爪を弾いた。
ガキィンッ!!
爪を振るった反動で力が解け、グレイブがカミラの手元へと戻る。
「――ありがと!」
カミラが後方へ跳び退る。
すかさずヴォルグ自身が、開いたムサシの懐へと踏み込む。
ムサシは短く息を吐き、疾風の如く迎え撃った。
交差させた二刀で爪を受け止め、凄まじい火花を散らしながら弾き飛ばす。
ガキィンッ!!
「――ムサシ、油断しないで!」
体勢を立て直したカミラが声を張り上げる。
「わかってる」
ムサシとヴォルグが、殺気立った瞳で正面から激しく睨み合う。
「面白い。だが――」
ヴォルグが不敵に笑い、爪を構え直した。
「まだまだ、遊び足りねえ」
ムサシへ向けて、なおも猛攻を仕掛ける。
左右から交互に繰り出される爪は、先ほどまでとは比べ物にならない速さだった。
「――くっ!」
ムサシが二刀でそれを受け止める。
ガキィンッ!!
ガキンッ!!
ガキィンッ!!
火花が幾度も散る。
カミラはグレイブを構え直し、ミライはエンペラーナックルを握り締めながら、割り込む隙を窺っていた。
刀を当てればグリップ・ファングで捕まり、その隙をまた別の爪で狙われる――。
そう悟った上で、ムサシは深追いを避け、ひたすら間合いの外から爪をいなし続けた。
「どうした、斬りに来ないのか?」
ヴォルグが挑発するように笑う。
「――いずれ、隙は出る」
ムサシが答える。
だが、その声には強がりが滲んでいた。
「悪あがきだな」
ヴォルグが冷笑を浮かべ、なおも爪を振るい続ける。
ガキィンッ!
ガキンッ!
ガキィンッ!
防戦一方のムサシに、じりじりと壁際まで追い詰められていく。
「――ムサシ!」
カミラが叫び、グレイブで援護しようと踏み込む。
だが、狼の残党がその足を掬い、進路を阻んだ。
「くっ……、邪魔を……!」
「私も行く!」
ミライが地を蹴る。
横合いから迫る狼を殴り飛ばしながら、ヴォルグへと肉薄する。
エンペラーナックルを纏った拳を鋭く突き出した。
ズドッ!!
ヴォルグはあえて避けず、自らその一撃を腹に受けた。
「――グリップ・ファング」
拳が腹にめり込んだ刹那、空いた爪がすかさずミライへと振るわれた。
「――くっ!」
ミライが上体を反らして紙一重で躱す。
爪が空を切り、風切り音が鋭く響いた。
ヒュンッ!
反動で拳が外れ、ミライは即座に後方へ跳び退った。
ヴォルグが獰猛な笑みを崩さない。
「――さあ、まだまだ楽しませてくれよ」
限界に近づく三人と、優勢を崩さない怪物。
血戦の果て――。
決着の時は、まだ訪れていなかった。
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