193話 近づく気配
老いた牙血族と別れ、俺たちはさらに警戒を強めながら街の奥深くへと足を進めた。
中心部へと近づくにつれて、道行く住民たちの視線が明らかに増えていくのを肌で感じる。
すれ違う牙血族たちの多くは、俺たちの異様な姿を認めた瞬間、わずかに眉根を寄せる。
人間だと、とうに見抜かれているのだ。
それでも、不思議と誰も大声を上げて騒ぎ立てようとはしなかった。
「……見られてるな」
タツヨが喉を押し潰すような小声で呟く。
「ああ。だが、動いてはこない」
俺は前方を見据えたまま短く返す。
「さっきの爺さんと、同じか」
「たぶんな。関わって得することが、何もないんだろう」
頭では理解していても、背筋がヒリつくような緊張感は消えない。
誰もが先ほどの老人と同じように見て見ぬふりをしてくれるとは限らなかった。
むしろ、この中心街に近づけば近づくほど、領主クラウスに心酔する狂信者や、忠誠心の厚い精鋭たちに出くわす確率が跳ね上がるはずだった。
「急ごう」
俺たちは足取りを早め、影を縫うようにして進む。
視界の先に、目指す中心部の建物が、その威圧感を嫌でも増していった。
石造りですらない。
剥き出しの荒々しい黒岩をそのまま無骨に組み上げた、要塞を思わせる巨大な建造物。
その周囲には、外縁の街で見かけた者たちとは明らかに練度が違う、隙のない武装をした警備兵の姿が点在していた。
「あれが、クラウスの館か」
タツヨが唇を噛み締めながら低く呟く。
「たぶんな」
俺たちは大通りから外れ、薄暗い裏路地の狭い影に身を潜めながら、その要塞のような館の出入りをじっと観察した。
出入りする者の数は少なく、動きは統制されている。
だが、その一人一人が放つ殺気は、ただの兵士のそれではなかった。
「かなり厳重だな」
カミラが険しい顔つきで眉を寄せる。
「正面から近づくのは、無謀だね」
ミライも青ざめた顔で、小さく同意するように頷いた。
その張り詰めた沈黙を切り裂くように、予期せぬ音が響いた。
館の裏手に回り込んだ通用口から、ガサリと足音を立てて数人の男たちが姿を現したのだ。
話している声までははっきりとは届かない。
だが、その中の一人が発した耳慣れた声のトーンに、俺の心臓は一瞬で凍りつき、思わず息を止めた。
「――だから言ってんだろ。ヴォルグの奴は、まだ館の中で頭を冷やしてるってよ」
「クラウス様の許可なしに、また暴れるつもりかね、あいつは」
「知るかよ。あの野郎の頭の中は、いつもガルダの仇討ちのことしかねえんだから」
「王都の三軒、根こそぎやったって話だぜ。食い物屋も、女の店も、まとめて叩き潰したらしいじゃねえか」
そのおぞましい言葉の断片が耳に飛び込んできた瞬間、俺の胸の奥で沸騰したような激しい怒りが爆発し、心臓が狂ったように激しく跳ね上がった。
隣にいたタツヨが俺の異変を察し、無言のまま腕を掴んだ。
「落ち着け」と、そう言い聞かせるように。
ジョジョエンも、ジャンヌダルクも、思い出の詰まったMG倶楽部も。
無慈悲に踏みにじられ、仲間たちの尊厳を傷つけ、店を無残に破壊したあの忌々しい仇敵が、今、まさにこの建物のすぐ裏にいる。
「――それより、クラウス様が許可なしに動くなって釘刺してんのに、まだ突っかかる気か、あいつは」
「知るかよ、そこまでは」
男たちの雑談はそれ以上続くことなく、やがて足音とともに別の方向へ遠ざかり、完全に闇の中へと消えていった。
「……聞いたか」
タツヨが血の滲むような小声で吐き捨てる。
「ああ」
「どうする?」
俺はギラつく殺意を必死に押し殺しながら、目の前にそびえる巨大な館を冷徹に見据えた。
ヴォルグは、確実にあの要塞の中にいる。
だが、同時にあの危険すぎる男――クラウスも、そこにいるはずだ。
こんな昼日中に正面から突入するなど、自殺行為以外の何物でもなかった。
「今夜、動く」
俺は歯を食いしばりながら決断を下す。
「日が落ちてから、もう一度ここに来る。警備が薄くなる時間を見計らって」
「賛成だ」
タツヨは迷うことなく力強く頷いた。
「ヴォルグの奴、絶対に許さねえからな」
その声には、抑えきれない怒りと憎しみが滲んでいる。
俺だって、全く同じ気持ちだった。
「気持ちは分かるが、冷静にな」
ムサシが鞘に手を添えたまま、冷徹なまでの静けさで釘を刺す。
「相手はクラウスもいる。感情だけで突っ込めば、犬死にするだけだ」
「分かってる」
タツヨはそう答えつつも、膝の上で握り締めた拳の震えを隠しきれずにいた。
これ以上ここに長居するのは危険だと判断し、俺たちは一旦その場から離れ、街の外れに打ち捨てられたように佇む薄気味悪い廃屋へと身を滑り込ませた。
日が完全に落ちるまでの間、ここで息を殺して待機するほかない。
廃屋の内部は、鼻を突くような埃と、湿りきった古い木材の異臭が淀んでいた。
崩れかけた壁の分厚い亀裂からは、夕暮れの頼りない光が細い線となって差し込んでいる。
俺たちはそれぞれ適当な場所に腰を下ろし、日が落ちるのを待ちながら、張り詰めた空気を噛み締めていた。
「……腹が減ったな」
ピリピリとした重苦しい空気を和らげようと、タツヨがわざとらしく乾いた笑い声を混ぜて呟く。
「今更それか」
カミラが呆れた顔を隠さずに冷たく返す。
「緊張してると、逆に腹が減るんだよ」
ミライが引きつった表情のまま、小さくふっと笑った。
その弱々しい笑みに、俺は凍りつきそうになっていた肩の力を、ほんの少しだけ抜くことができた。
「今のうちに、作戦を詰めておこう」
俺は皆の顔を一人ひとり見渡し、意識を切り替えるように言った。
「夜になったら、もう一度あの館の様子を見に行く。警備の交代がある時間帯を正確に見極めて、そのわずかな隙を突く」
「隙を突いて、それからどうする?」
タツヨが核心を突くように鋭く問う。
「まずはヴォルグの居場所を、もっと正確に掴む。館の中へ闇雲に踏み込むにしても、手探りじゃ勝ち目はない」
「クラウスに気づかれずに、か」
「できれば、な」
こんな状況で、それがどれほど無謀で難しいことかは分かっていた。
だが、他に選べる道など初めから存在しない。
そんな緊迫した作戦会議を交わしていた、まさにその時だった。
外の草を踏む重い足音が、廃屋の入り口へと容赦なく近づいてきた。
単数ではない。
複数の足音だ。
全員が反射的に息を潜めた。
足音は三つ。
確実にこちらへと向かってきている。
ギイ、と不気味に錆びた廃屋の扉が荒々しく押し開けられた。
そこに姿を現したのは、牙血族の軍服に身を包んだ三人の男たちだった。
それぞれが統一された戦闘用の装備を纏っており、街中で見かけた疲れきった一般の住民たちとは、放っている殺気と気配の質が決定的に違っていた。
「――なんだ、こいつら」
先頭に立った男が、薄暗がりの中に佇む俺たちを目撃するやいなや、驚愕と警戒の色を浮かべて眉をひそめた。
「何で人間がいるんだ!?」
その怒号のような叫びに、残る二人も一瞬で臨戦態勢に入る。
牙血族特有の鋭く尖った爪を持つ両手を、威嚇するように前へと構えた。
だが、彼らが戦闘の構えを取るより早かった。
カミラのグレイブが、重い空気の中で唸りを上げる。
――一閃。
鮮血が噴き上がり、先頭の男の首が宙を舞った。
「なっ――」
残された二人が息を呑む。
だが、もう遅い。
ムサシの足が床を蹴った。
――ドンッ!
次の瞬間、二刀が閃く。
交差した刃が、二人の胴を一瞬で斬り裂いた。
「……」
声すらない。
三人の身体が、ほぼ同時に崩れ落ちる。
ドサッ、ドサッ、ドサッ。
狭い廃屋に、遅れて血の匂いだけが広がった。
「……反射的に、殺っちまったよ!」
カミラは返り血を拭うこともなく、呆然としたように呟いた。
「クラウスの配下、みたいだね」
ミライが、足元に転がる死体の装備を恐怖の混じった目で確認しながら呟く。
「たぶんな。街の警護担当ってところだろう」
俺は三人の死体を見下ろし、奥歯を噛み締めた。
「まずいな」
ムサシが低く呟く。
「こいつらが戻らなきゃ、いずれ誰かが気づく」
「ああ」
俺は重く頷いた。
「ここには、長くいられない」
ほんの一瞬の衝突だった。
だが、その一瞬で、俺たちに残されていた時間は確実に削られた。
「予定を早めるしかないか」
タツヨが悔しそうに拳を握り締める。
「そうだな」
俺は窓の外へと視線を向けた。
地平線の向こうでは、まだ日は完全には落ちていない。
それでも――もう、躊躇している猶予など残されてはいなかった。
戦闘直前の警戒を強める
館への潜入作戦を具体化する
ヴォルグへの怒りを抑えて描く
お読みいただき、本当ありがとうございます。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




