189話 閉ざされた領地
市場の喧騒は、昼下がりの酒場とはまた違った、生き生きとした熱気に包まれていた。
色とりどりの布地。
異国の湿り気を含んだ香辛料の匂い。
そして、職人たちの威勢のいい声が響く鍛冶屋の店先。
カミラとミライは人混みを縫うように歩きながら、気になる露店へ立ち寄っては店主と何気ない会話を交わしていた。
「これ、何て名前の果物?」
ミライが、ひときわ賑やかな露店の前で、赤黒い大きな果実を手に取った。
「アグルの実だよ。この辺じゃよく採れる」
店主は、全身を硬い鱗に覆われた女性だった。
白い歯を見せて笑いながら、手際よく商品の説明をする。
「甘いの?」
「酸っぱいのが好きなら、当たりだね」
ミライは笑いながら果実を元の場所へ戻した。
そして、会話が途切れないように自然な流れで話題を変える。
「私たち、旅の商人なんだけど。この辺りって、どんな人が力を持ってるの?」
「力って言ったら、そりゃ鬼人族様だろ。魔王様も、あの方々の一族だしね」
「鬼人族か。他の種族とは、どんな感じなの?」
「まあ、表向きは仲良くやってるさ。でも、本音を言えば複雑なもんだよ」
店主は周囲をさりげなく見回すと、少しだけ声を落とした。
「特にクラウス様。牙血族の王様は、人間との協定自体を快く思ってないって話だ」
「快く思ってない?」
「そりゃそうだろ。牙血族は誇り高い連中だ。人間なんぞと手を組むより、力でねじ伏せる方が性に合ってるのさ」
店主は肩をすくめた。
「でも、魔王様の方針には逆らえない。それが余計に、あの人をイラつかせてるって噂だよ」
その言葉を聞き、カミラが横から口を挟んだ。
「そのクラウスって人、館はどこにあるの?」
「クラウス様の本邸か? それなら、ここからは遠いよ」
店主は、街のさらに奥を指さすような仕草をした。
「牙血族の領地の中心にある街だ。ここいらは鬼人族の領地だからね」
「そんなに離れてるんだ」
「ああ。そもそも、あんたら人間がここから先へ行くのは難しいだろうけどね」
その言葉に、カミラの表情がわずかに固まった。
「……行けない?」
「交易館を通れるのは、ここの街までだよ。牙血族の領地に入るには、また別の許可がいる」
店主は当たり前のように続けた。
「それも、そう簡単に下りるものじゃない」
「そう、なんだ」
カミラは何でもない顔を作りながら、店主に礼を言った。
そしてミライと一緒に、その場を離れる。
少し人通りの少ない場所まで来ると、ミライが小さく息を吐いた。
「クラウス、思ったより厄介そうな相手だね」
「それだけじゃない」
カミラは眉を寄せた。
「あたしらが牙血族の領地に入ること自体、簡単じゃないってことだろ」
「……そうか」
ミライも、その意味に気づいた。
「バラゴン商会の名前も、ここから先じゃ通用しないってことだね」
二人は顔を見合わせた。
クラウスの館に乗り込む以前の問題だった。
そこへ辿り着くことすら、簡単ではない。
「宿に戻ろう。リュウジィたちにも伝えないと」
「うん」
二人は足早に宿への道を戻り始めた。
活気ある市場の喧騒を背に、夕暮れの光が石畳の上へ長い影を落としていた。
宿の部屋に戻ると、すでにリュウジィとタツヨが待っていた。
荷馬車の見張りを終えたムサシも、部屋の中にいる。
「戻ったか」
タツヨが顔を上げた。
「うん。そっちは?」
「収穫はあったぞ」
リュウジィがすぐに口を開く。
「ヴォルグは、クラウスの館に戻ったって噂がある」
「あるいは、まだ人間の国を見張ってるかもしれない、とも聞いた」
「クラウスの館なら、あたしたちも聞いてきた」
カミラがすぐに話を続ける。
「けど、いい話じゃないよ」
「どういうことだ?」
「クラウスの本邸は、牙血族の領地の中心にある」
カミラは皆の顔を見回した。
「ここからかなり離れてるし……そもそも、あたしたちがこの街から先に進むこと自体、正規のやり方じゃ無理みたいだ」
部屋の空気が、一気に重くなった。
「交易館を通れるのは、ここの鬼人族領地までだって」
ミライが続ける。
「牙血族の領地に入るには、別の許可がいるらしい」
「それに、クラウスって人、人間との協定自体を快く思ってないみたい」
「牙血族は誇り高い種族で、本当は人間なんて力でねじ伏せたいって考えてる人もいるらしいよ」
「……なるほどな」
タツヨは腕を組んだ。
「そりゃ、ヴォルグがあんなに頭に血が上ってた理由も分かる気がするな」
「仕えてる王様がそういう考えなら、影響を受けててもおかしくない」
「かもな」
俺は頷いた。
少しずつ、この国の事情が見えてきた。
人間との共存を掲げる魔王がいる。
その一方で、人間との協定に不満を持つ者たちもいる。
そして俺たちが探しているヴォルグは、その牙血族に属している。
「で、これからどうする?」
ムサシが静かに尋ねた。
「正面から行けないなら、別の方法を探すしかないな」
タツヨが腕を組んだまま答える。
「密入国、ってことか」
「聞こえは悪いが、他に手はないだろ」
「危険だけどね」
ミライが小さく息を吐いた。
「危険なのは、ここまで来た時点で覚悟の上だろ」
カミラは軽く肩をすくめた。
俺は、目の前にいる仲間たちを一人ずつ見回した。
誰の顔にも不安はある。
それでも、引き返そうと言う者はいなかった。
「今日はもう遅い」
俺は言った。
「まずは、牙血族の領地へ入る方法を探ろう」
「賛成」
「異論なし」
それぞれが頷いた。
窓の外を見ると、空はすっかり夜に包まれていた。
見知らぬ街の灯りが、闇の中にぽつぽつと浮かんでいる。
想像していたよりも、この道のりは遥かに険しいものになりそうだった。
それでも、ここまで来た以上、引き返すわけにはいかない。
俺たちは明日に備え、それぞれ休むことにした。
お読みいただき、本当ありがとうございます。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




