184話 伝手
ジョジョエンの跡地での話し合いを終えたその足で、俺たちは王宮へ向かうことにした。
日はもう傾き始めていて、通りには夕方特有の橙色の光が差し込んでいる。
大通りに出ると、まだ襲撃の爪痕があちこちに残っていた。
壊れた看板がそのまま放置されている店。
応急処置の板を打ち付けただけの窓。
瓦礫の山を前に、立ち尽くしている老婆。
それでも通りを歩く人々の大半は、何事もなかったような顔で行き交っている。
日常はもう戻りかけているのに、傷跡だけが取り残されている。
そんな、ちぐはぐな眺めだった。
客待ちの馬車を捕まえ、御者に王宮までと告げる。
座席に腰を下ろすと、車輪の振動が体に伝わってきた。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、俺は無言だった。
何を話しかければいいのか、正直分からなかった。
隣に座るタツヨも、いつもより口数が少ない。
ジョジョエンでは、みんなが一緒に行くと言ってくれた。
嬉しかった。
だけど、だからこそ余計に気が重かった。
魔族の国へ行く。
口にするのは簡単だ。
けれど、どうやって入るのか。
どうやってヴォルグのところまで行くのか。
まだ、何ひとつ決まっていない。
「……なあ」
不意に、タツヨが口を開いた。
「ん?」
「カシムさんって、本当に何か知ってると思うか?」
「分からない。でも、今は聞いてみるしかないだろ」
「まあ、そうだな」
それだけ言うと、タツヨは再び窓の外へ視線を向けた。
俺も同じように外を見る。
しばらくして、王都の中心部に近づくにつれ、建物の造りが変わっていく。
石造りの立派な商家が並び始め、やがて王宮を囲む白い外壁が見えてきた。
馬車が正門の前で止まる頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
これまで何度も出入りしてきた王宮だが、向かう先はいつもの謁見の間ではない。
取り次ぎの者に俺とタツヨの名を告げ、カシムさんに会いに来た旨を伝えると、案内役の職員が一人つけられ、先に立って歩き出した。
長い回廊を進んでいく。
二人分の足音が石畳に反響して、やけに大きく聞こえた。
案内役が足を止めたのは、回廊の奥まった一角にある扉の前だった。
「こちらでございます」
一礼して立ち去っていく背中を見送り、俺は一度小さく息を吸ってからノックした。
「はーい、どうぞ」
のんびりとした声に応じて中に入ると、壁一面の棚に古びた本や巻物が詰め込まれ、机の上にも読みかけらしい資料が積み上がっていた。
独特の紙とインクの匂いが漂う中、カシムさんは棚の前に立って何かを探しているところだった。
振り返って俺たちを見ると、その顔にいつもの柔らかな笑みが広がる。
「……リュウジィ君じゃないか。それにタツヨ君も」
「お邪魔してます、カシムさん」
「まあ、座ってくれ。急に呼び立ててすまなかったね」
促されるまま、近くにあった椅子に腰を下ろす。
タツヨも隣に座った。
カシムさんは向かいの椅子に静かに腰を下ろすと、机の上の資料をそっと脇へ寄せた。
「話は、ローザ君から聞いているよ。店を三つとも潰されたそうだね」
「……そうなんです。仲間は誰も死んでませんけど、店はもう、めちゃくちゃで」
「無事だっただけでも、良かった。彼女が誘って一緒に戦ったんだろう。ずいぶん責任を感じているようだったよ」
ローザさんが先に話を通してくれていたのか。
それなら、こちらから一から説明する手間が省ける。
俺は少し間を置いてから、本題を切り出した。
「実は今日来たのは、店のことじゃなくて」
カシムさんの笑みが、わずかに薄くなる。
「魔族の国に、潜り込む方法を探してるんです」
穏やかな表情が、わずかに曇った。
「……本気かい」
「本気です。今回のことをこのままにしとくつもりはないんで」
しばらく、カシムさんは何も言わなかった。
指先で机の端を軽く撫でながら、考え込むような間が続く。
俺たちは急かさずに待った。
「……無茶を言うようだが、当てがないわけじゃない」
「当て、ですか」
俺が聞き返すより早く、タツヨが身を乗り出した。
「本当にあるんですか?」
「あるにはあるよ。ただし、君たちが思っているほど簡単な話じゃない」
カシムさんは机の上の資料を一枚手に取った。
「協定を結んでいる以上、両国の間には正式な交易の窓口がある。キングスフォーンにも、魔族の国側にも、それぞれの交易館があってね」
「交易館……」
思わず、その言葉を口にしていた。
「魔族の国側の交易館は、あちらでも中心的な立場にある種族の目の届く場所にある。今の魔族の国をまとめているのは、鬼人族だ。魔王も、その一族の出だよ」
「……魔族の国に、人間の交易館があるんですね」
「正確には、両国の交易のための場所だけどね」
カシムさんは、少しだけ笑った。
「人間が普通に歩き回れるような場所だと思われても困るけど」
「ですよね」
俺も苦笑した。
魔族の国というだけで、俺はずっと「人間とは完全に切り離された、得体の知れない場所」だと思い込んでいた。
だが今の話を聞く限り、実際には協定を通じてそこまで踏み込んだ接点がある。
隣を見ると、タツヨも同じことを考えているような顔をしていた。
「そんな場所、あるんですね」
「そう思ってもらっていい。ただ、そこの人間として君たちを送り込むのは、身元がはっきりしすぎていて難しい。何かあった時、国同士の問題になりかねないからね」
「じゃあ、どうやって……」
「向こうの交易館には、定期的に物資を納めている商人がいる」
「商人?」
「そちらの方が、まだ都合がいい」
タツヨが少し考え込むように眉を寄せた。
「その商人に頼めば、俺たちを連れて行ってもらえるってことですか?」
「そう簡単に考えない方がいい」
カシムさんは苦笑した。
「向こうも馬鹿ではないからね。ただ荷馬車に潜り込めば済む話じゃない。それなりの理由と、それなりの支度がいる」
「その商人に、俺たちを紛れ込ませてもらうことは……」
「不可能ではないよ。ただし、簡単でもない」
「分かってます」
俺はまっすぐカシムさんを見た。
「無理を承知でお願いに来てます」
カシムさんは、しばらく俺の顔を見つめていた。
それから、小さく息を吐く。
「……君がそこまで言うなら、話だけは通しておこう。答えが返ってくるまで、多少時間はかかるだろうけどね」
「ありがとうございます、カシムさん」
「礼はまだ早いよ」
カシムさんは静かに腕を組んだ。
「向こうが受けるかどうかは分からないし、受けたところで、君たちがやろうとしていることの危うさは変わらない」
俺とタツヨの顔を交互に見る。
「魔族の国は、人間の国とは根本的に道理が違う。力の序列がそのまま発言力になる世界だ」
その声には、先ほどまでの柔らかさがなかった。
「下手に目立てば、それだけで命取りになる」
タツヨが黙ったまま、ゆっくりと頷く。
俺も、その言葉を軽く受け止めるつもりはなかった。
「気をつけます」
「気をつけて済むならいいんだけどね」
カシムさんはそう言うと、ふっと表情を緩めた。
「まあいい。君がここまで来た以上、止めても聞かないだろう」
その言い方に、俺は少しだけ苦笑した。
「……たぶん、止められても行きます」
「だろうね」
カシムさんは、やっぱりというように笑った。
それから、その笑みを少しだけ消した。
「せめて、生きて帰ってきてくれ」
「はい」
俺は深く頭を下げた。
タツヨも隣で同じように頭を下げる。
「また連絡します」
「うん。……無茶だけはしないでくれよ、リュウジィ君」
その一言に、ローザさんと同じ響きを感じた。
止めても、俺が行くと分かっている。
それでも、無事に帰ってきてほしいと思ってくれている。
「大丈夫です」
俺は顔を上げた。
「ちゃんと帰ってきます」
カシムさんは何も言わず、小さく頷いた。
部屋を出る頃には、窓の外はすっかり暗くなっていて、王宮の廊下にも灯りがともり始めていた。
魔族の国へ行く方法は、まだ決まっていない。
けれど、何もなかったわけじゃない。
商人。
交易館。
そこからなら、魔族の国へ入り込めるかもしれない。
まだ細い糸のようなものだった。
それでも、俺たちが掴めるかもしれない最初の伝手だった。
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