183話 志願の夜
ジョジョエンの焼け跡には、今なお焦げた木材特有の刺激臭が、薄く重く漂っていた。
修復業者の手配はハクさんが進めてくれている。しかし、がれきの撤去すらこれからという段階だ。実際に店を再開できるのは、まだずっと先の話だった。
リュウジィは、跡地の隅に置かれた不安定な仮の椅子に腰を下ろし、目の前に集まった仲間たちの顔を静かに見回した。
タツヨ、カエデ、バッド、シド、カミラ、そしてミライ。
少し離れた場所では、ムサシが腕を組み、壁に背を預けたまま静かに目を閉じている。
「……みんなに、話しておきたいことがあるんだ」
リュウジィは膝の上で固く組んでいた両手に、さらに力を込めた。
「魔族の国に行こうと思う。ローザさんたちは表向き、大きく動けないらしいんだ。協定があるから。だったら……おれが、ヴォルグのところへ行く」
再び、周囲に沈黙が落ちた。
その重い空気を最初に切り裂いたのは、カミラだった。
「あたしも行くよ」
迷いのない声だった。
リュウジィが驚いてカミラを見る。
「カミラ……」
「だって、面白そうじゃない」
カミラは、口元を少しだけ上げた。
「魔族の国なんて、そうそう行ける機会ないでしょ?」
「いや、遊びに行くんじゃないんだけど……」
「分かってるよ」
カミラは笑った。
「でも、だったらなおさら行かなきゃね」
その言葉に、リュウジィは思わず苦笑する。
「カミラらしいな……」
「でしょ?」
そんな二人のやり取りを見ていたミライが、すっと一歩前に出た。
「わたしも行く」
リュウジィが振り向く。
「ミライ?」
「リュウジィだけ行かせて、わたしはここで待ってろって? 冗談じゃないよ。わたしだって、この店を壊されたまま黙っていられるほど大人しくないんだから」
ミライは腰に手を当て、少しだけ頬を膨らませた。
「それに、わたしだってエンペラーナックルを持ってるんだから」
「……そうだったな」
リュウジィは困ったように笑った。
「二人とも、ほんとに行く気なんだな」
「最初からそのつもりだよ」
カミラが即答する。
そのやり取りを見届けるように、壁際のムサシがゆっくりとまぶたを開いた。
「俺は前にも言った。行くと決めたことは変わらん」
ムサシは静かな視線を向けたまま、タツヨへ目を向けた。
「タツヨ。そのクラウスという男、本当に打ち倒したのか」
短い問いだった。
だが、それだけで場の空気が一気に引き締まる。
タツヨは少し間を置いてから、重い現実を噛みしめるように答えた。
「……いや。正直に言うと、あいつは化け物だった」
その声に、誰も口を挟まない。
「ローザさんの魔法攻撃が効いたのは、あいつが俺たちとの戦いで消耗しきってたからだ。万全の状態のあいつと、しかも敵の本拠地でやり合うってことは……今のままじゃ、俺たち五人が揃ってても足りない」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
さっきまで笑っていたカミラも、今度は何も言わない。
リュウジィは、仲間たちの顔を一人ずつ見た。
「……みんな、本当に分かってるのか?」
「何が?」
カミラが聞き返す。
「向こうで何が起こるか分からない。魔族の国に入る方法だって、まだ決まってない。それに……死ぬかもしれないぞ」
その言葉に、誰も怯えた様子は見せなかった。
カミラは肩をすくめる。
「今さら、それ聞く?」
「いや……聞くよ」
リュウジィは真剣な顔のままだった。
「俺は、本当に心配してるんだ」
すると、タツヨが小さく息を吐いた。
「分かってる」
タツヨはカミラとムサシを見た。
「俺も、カミラも、ムサシも……アズマリアで散々、人を殺してきた」
カミラは黙ったまま、タツヨの言葉を聞いている。
「俺たちは今さら、まともな死に方なんてできるとは思ってない」
タツヨは、リュウジィとミライへ視線を戻した。
「でも、お前たちは違う」
「……タツヨ」
「だから、二人は俺たちが守る」
ミライが少し眉を寄せる。
「それ、わたしも守られるだけってこと?」
タツヨが一瞬、言葉に詰まった。
カミラが吹き出す。
「ほら。ミライ怒ってるよ」
「いや、そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味?」
ミライが腕を組む。
タツヨは困ったように頭を掻いた。
「……死なせたくないってことだよ」
ミライは少しだけ表情を緩めた。
「だったら、最初からそう言えばいいのに」
「タツヨはそういうところ不器用なんだよ」
カミラが笑う。
「うるさい」
タツヨが返すと、ほんの一瞬だけ、その場に笑いが起きた。
リュウジィも、つられて笑った。
けれど、すぐに真顔へ戻る。
「……分かった」
リュウジィは仲間たちを見回した。
「だったら、おれも約束する」
その声に、全員の視線が集まる。
「みんな無事に連れて帰る」
タツヨが目を細める。
「お前が全部気にしなくていい」
「でも、約束したいんだ」
リュウジィは笑った。
「約束するだけ」
タツヨは少し黙ってから、ふっと笑った。
「……分かった。期待してるぞ」
張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ和らいだ。
そんな仲間たちのやり取りを見て、バッドが少し身を乗り出した。
「兄貴、店の方は俺とシドで見ときますよ。つっても、直ってねえもんはどうしようもねえっすけど」
「修理が終わるまでは、正直、店を回すというより待つしかない状況ですね」
シドが眼鏡の位置を直しながら付け加える。
すると、カエデが小さくうなずき、手元の書類へ視線を落とした。
「経理としては、店舗の営業が止まっている間の人件費と修復費用の見通しを立てておきます。バッドの母様やリッカさんたちの給金につきましても、これまで通りお支払いいたしますので、オーナーはそちらをご心配なさらなくて大丈夫です」
「……ありがとう、カエデ」
さらに、ハクさんが一同を見渡し、凛とした声音で口を開いた。
「留守の間のことは、私にお任せください。建築業者の手配も進めております。バッドさんとシドさんにも手伝っていただき、従業員の皆様への伝達や店のことはこちらで対応しておきます」
リュウジィは、焼け落ちたジョジョエンを振り返った。
つい昨日まで、ここには笑い声があった。
それが今は、焼けた木材と瓦礫だけになっている。
「……絶対、戻ってこような」
誰に言うでもなく、リュウジィが呟いた。
「当たり前でしょ」
カミラが笑う。
「帰ってきたら、今度はもっといい店にしようよ」
「うん。そうしよう」
リュウジィが笑うと、ミライも笑った。
「じゃあ、みんなで頑張らないとね」
「そうだな」
タツヨが笑う。
ムサシも小さく頷いた。
焼け跡の前に立つ仲間たちの顔には、もう絶望の色はなかった。
まだ、魔族の国へどう入るのかも決まっていない。
そこで何が待っているのかも分からない。
それでも――行く。
そして、必ず帰ってくる。
ジョジョエンに、もう一度笑い声を響かせるために。
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