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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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181話 怒りの行き先



翌朝。


リュウジィは、焼け残った看板だけが妙に無事なジョジョエンの前に立っていた。


 昨日までなら、店の名前を掲げるその看板を見れば、自然と足が止まり、誰かの笑い声や厨房から漂う料理の匂いを思い出したはずだった。


 だが今は違う。


 壁の半分が崩れ、厨房にまで瓦礫が飛び散っている。


 黒く煤けた木材。


 砕けた瓦。


 ひしゃげた金具。


 数日前まで湯気と煙の匂いで満ちていた場所は、今では冷たい朝の空気に包まれ、ただ静かに佇んでいた。


 リュウジィは何も言わず、その光景を見つめていた。


 怒りは消えていない。


 むしろ、昨日よりもはっきりと胸の奥に残っている。


 けれど、今はそれを誰かにぶつけることもできない。


 「おはようございます」


 背後から声がした。


 振り返ると、カエデが帳簿らしき紙束を抱えて立っている。


 表情はいつも通り落ち着いていた。


 だが、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。


 おそらく、昨夜もほとんど眠っていないのだろう。


 「カエデ、朝早くから悪いな」


 「いえ。むしろ、オーナーが来てくれて助かります」


 カエデは手にした紙束へ視線を落とした。


 「確認したいことがいくつかあります」


 「ああ」


 リュウジィは頷いた。


 カエデが帳簿を開く。


 その姿を見ていると、昨日までの日常が少しだけ戻ってきたような気がした。


 店は壊れている。


 仲間も傷ついている。


 それでも、やらなければならないことは山ほどある。


 「まず、給料の件です」


 「給料?」


 「はい」


 カエデは淡々と続けた。


 「店が動いていない間、バッドの母さん、リッカ、ゼノン、ギノン。それにジャンヌダルクのキャスト全員分。支払いは続けられますか?」


 リュウジィは一瞬だけ目を丸くした。


 そして、すぐに頷いた。


 「当然払うよ」


 声に迷いはなかった。


 「こんな時に給料を切ったら、それこそ何のために店やってるのか分からなくなる」


 カエデは小さく頷く。


 「そう言っていただけると思っていました」


 「金の心配はないのか?」


 「蓄えは十分にあります。しばらく無収入でも問題ありません」


 カエデは帳簿をめくる。


 「ただ、もう一つ心配なのは、キャストたちが不安になって辞めてしまうことです」


 リュウジィの表情が少し曇った。


 「特にジャンヌダルクは、大きな戦力ですから」


 「ああ……そこなんだよな」


 リュウジィは腕を組んだ。


 店が壊れた。


 怪我人もいる。


 営業もできない。


 そんな状況が続けば、働いている者たちが不安になるのは当然だ。


 「連絡手段がないから、様子を見に行くしかないんだよな」


 「はい」


 カエデは頷いた。


 「ですので、バッドとシドに、店が動いていない間もこまめに一人一人の家を回ってもらおうと思います。私も帳簿の合間に手伝います」


 「頼むよ」


 リュウジィは少し考えてから付け加えた。


 「給料が出るってことも、ちゃんと直接伝えてくれ。手紙より、顔を見て言った方が安心するだろうし」


 「承知しました」


 カエデが頷く。


 それを見て、リュウジィも小さく息を吐いた。


 やらなければならないことは、まだいくらでもある。


 それが今はありがたかった。


 怒りについて考えている暇がなくなるからだ。


 「あと、修復の件だけど」


 「はい。ハクさんに街の建築業者の手配をお願いしようと思っています」


 カエデは別の紙へ視線を移した。


 「ジョジョエンとジャンヌダルク、MG倶楽部。全店の状況を見てもらって、優先順位を決めてもらうのが一番早いかと」


 「ああ、それがいい」


 リュウジィは頷いた。


 「ハクさんなら業者にも顔が利くだろうし」


 「はい」


 会話を終え、カエデが帳簿を閉じる。


 その瞬間、リュウジィは崩れた壁へ視線を戻した。


 焦げた木材から、まだかすかに煙の匂いが残っている。


 誰がやったのか。


 頭では分かっている。


 ヴォルグ・ハウル


 牙血族。


 その名を思い出しただけで、腹の底が静かに熱くなる。


 リュウジィは拳を握った。


 だが、それ以上は何も言わなかった。


 今は、やるべきことがある。


 「行きましょう」


 カエデが言った。


 「ジャンヌダルクの方も見ておきたいです」


 「ああ」


 短く答え、リュウジィは歩き出した。



 ジャンヌダルクは、昨日見たとき以上に酷く見えた。


 一階の柱が何本も折れ、二階の床は半分ほど抜け落ちている。


 壁際には崩れた木材が積み上がり、店内には細かな瓦礫がまだ残っていた。


 入口では、バッドとシドが瓦礫を運び出している。


 「兄貴」


 バッドが振り返った。


 その瞬間、リュウジィはバッドの腕に巻かれた包帯へ目を向けた。


 バッドは、それに気づかれないようにするかのように、さりげなく腕を後ろへ引いた。


 「無理すんな」


 「これくらい平気っすよ」


 「傷、開くぞ」


 「大丈夫っすって」


 バッドは笑ってみせる。


 だが、その笑顔には昨日ほどの余裕がない。


 リュウジィは二の腕の包帯をじっと見つめた。


 何か言おうとして――やめた。


 代わりに、足元に転がっていた大きな木材へ手を伸ばす。


 「兄貴?」


 「俺もやる」


 「いや、兄貴は――」


 「いいから」


 リュウジィが木材を持ち上げる。


 ズシリと腕に重みがかかった。


 木材が軋む。


 その音が、やけに大きく聞こえた。


 「シドの脇腹は?」


 「まあ、動けないほどじゃないっす」


 シドが苦笑する。


 だが、その笑顔もいつもより少しだけ強張っていた。


 「無理してないだろうな?」


 「してませんって」


 そう言いながら、シドは痛む脇腹をかばうように、ほんのわずかに身体を傾ける。


 リュウジィはそれを見逃さなかった。


 誰も悪態をつかない。


 誰も愚痴を言わない。


 ただ黙々と瓦礫を運び出している。


 それが、かえって胸を締め付けた。


 「……悪かったな」


 気づけば、口から言葉がこぼれていた。


 「兄貴が謝ることじゃないっすよ」


 バッドが即座に返す。


 「俺ら、自分たちで守ったんですから」


 その言葉に、リュウジィは返事をしなかった。


 ただ、持ち上げた木材を運び出し、地面へ下ろす。


 そして、再び次の瓦礫へ手を伸ばした。



 MG倶楽部に着くと、こちらも大きな被害を受けていた。


 外壁は半分崩れ、店内では棚という棚が倒れている。


 床には商品や道具が散乱し、歩くたびに細かな破片が靴底の下で音を立てた。


 「グラニータ」


 リュウジィが声をかける。


 すると、瓦礫の隙間からグラニータが一本の剣を掘り出したところだった。


「……ああ、リュウジィさんか」


 グラニータは剣に付着した埃を手で払い、刃をじっと見つめる。


 「これ、先週仕上げたばかりのやつだ」


 剣を傾ける。


 刃の一部に、小さな刃こぼれができていた。


 「刃こぼれしてる」


 その声には、怒りとも悲しみともつかない色があった。


 カミラが少し離れた場所で崩れた棚を運びながら、こちらを見る。


 「仕方ないね。また一から作り直すよ」


 グラニータは短く答えた。


そして、剣を布で丁寧に拭き始める。


普段よりも、ずっと慎重な手つきだった。


まるで、壊れたものを一つでも多く元に戻そうとしているように。


リュウジィは、その様子を黙って見つめていた。


 また拳を握る。


 誰かに向けようのない怒りが、胸の奥で渦を巻く。


 自分が殴れば済む相手なら、どれだけ楽だっただろう。


 だが、敵はもうここにはいない。


 どこにいるのかも分からない。


 だからこそ、怒りだけが行き場を失っていた。


 「ミライは?」


 「奥だよ」


 グラニータが顎で店の奥を示す。



 リュウジィは頷き、奥へ向かった。



 店の奥では、ミライが割れた鏡の破片を拾い集めていた。


 二の腕には包帯が巻かれている。


 「リュウジィ」


 顔を上げたミライが、柔らかく笑う。


 リュウジィは何も言わずに歩み寄った。


 そして、そっと肩を抱く。


 ミライは驚いた様子もなく、その腕に身体を預けた。


 「本当に守ってやれなくて、悪かったよ」


 昨日と同じ言葉だった。


 けれど、ミライは昨日と同じように静かに返した。


 「何回もいいから、文句なんて言わないよ」


 それだけだった。


 それだけなのに、リュウジィの胸の奥がまた少し軋んだ。


 怒りでもない。


 悲しみでもない。


 その両方が混ざったような、言葉にできない感情だった。


 ミライの足元では、拾い集めきれなかった鏡の破片がいくつか残っている。


 差し込んだ光を反射して、細かな光が床の上で揺れていた。


 リュウジィは、その光をしばらく見つめていた。



 その日の夕方。


 片付けを終えたリュウジィは、一人、崩れたジョジョエンの前へ戻ってきていた。


 夕陽が王都を赤く染めている。


 朝と同じ場所。


 同じ瓦礫。


 同じ焼け焦げた木材。


 けれど、朝とは少しだけ違って見えた。


 一日かけて仲間たちと瓦礫を運び出した。


 傷ついた者たちの姿も見た。


 壊された店も見た。


 それでも、何一つ元には戻っていない。


 リュウジィは誰もいない場所で、ようやく詰めていた息を吐いた。


 「……ふう」


 静かな吐息が、夕暮れの空気へ溶けていく。


 今日一日、考えないようにしていた。


 やることを探し、身体を動かし、仲間と話していた。


 そうしていれば、怒りを忘れられると思っていた。


 だが――


 忘れるどころか、胸の奥に積み重なっていっただけだった。


 ジョジョエン。


 ジャンヌダルク。


 MG倶楽部。


 そして、傷ついた仲間たち。


 一つ一つを思い出すたび、腹の底が熱くなる。


 「……このままじゃ終わらせない」


 声には出さなかった。


 ただ、胸の中で静かに呟く。


 拳を強く握りしめる。


 それでも、今すぐ何かをするつもりはなかった。


 怒りに任せて動けば、同じことを繰り返すかもしれない。


 ならば――


 この怒りを、どこへ向けるべきなのか。


 誰に向けるべきなのか。


 何をすれば、仲間たちを本当に守れるのか。


 その答えは、まだ見つかっていない。


 リュウジィは赤く染まる瓦礫を、しばらくの間じっと見つめ続けた。


 怒りは消えない。


 だが、それでいい。


 今はまだ、この胸の中に残しておく。


 やがて、この怒りの行き先が見えたとき――


 そのとき、自分が何をするべきなのか。


 リュウジィは静かに考え続けていた。




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