第18話 計算された護身
カエデさんを雇って三日。
店の準備と並行して、俺は彼女に護身術を教えていた。
働いてくれる女性たちを夜道で一人歩きさせるわけにはいかない。送迎馬車を用意するにしても、何かあった時に自分の身を守れるに越したことはない。
そこで、以前アグニ村の鍛冶屋に作らせた麟角刀をカエデさんに渡した。
先端が二股に分かれた、少し変わった形の武器だ。
本来は俺が使うつもりだった。
だが、ヒヒイロカネの靴で十分戦えることが分かってから、結局ほとんど使っていなかった。
「……いいですか。相手の力を正面から受け止めないでください。受け流すように、少しだけ角度を変える」
俺が麟角刀を動かして見せる。
「相手の力を逃がす……」
カエデさんは眼鏡を押し上げると、しばらく俺の動きを眺めていた。
そして突然、持っていた羊皮紙に何かを書き始めた。
「……?」
猛烈な勢いで数字と図を書き込んでいる。
「カエデさん?」
「なるほど」
「何が?」
「オーナーの動きは、相手の力を受け止めるのではなく、角度を変えて別方向へ逃がしているんですね」
「まあ……そうだけど」
「ということは、相手の力が強いほど、こちらの体力は必要ない」
「……まあ、理屈ではそうなる」
カエデさんは顔を上げた。
「三日あれば十分ですね」
「何が?」
「使えます」
「……え?」
隣でミスリルの剣を振っていたバッドが、素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっと待ってよ。俺、兄貴に剣を教えてもらって何日経ったと思ってる?」
「知らないよ」
「俺なんてまだ全然わかんないのに!」
「お前は感覚で覚えるタイプだからな」
「カエデは違うの?」
「たぶん真逆だな」
カエデさんは少し考えてから、俺を見る。
「一度、試してもいいでしょうか?」
「バッド。カエデさんを突いてみて」
「俺が?」
「本気で」
「……マジ?」
「マジ」
バッドが剣を構える。
次の瞬間。
「――っ!」
鋭い突きがカエデさんへ飛んだ。
カエデさんは逃げなかった。
麟角刀の先端を、バッドの剣にそっと添える。
カンッ。
たったそれだけだった。
なのに、バッドの身体が大きく横へ流れた。
「うわっ!」
ドサッ!
バッドが石畳に転がる。
「……」
俺は黙ってカエデさんを見る。
カエデさんは羊皮紙に目を落とした。
「……計算通りです」
「いやいやいや!」
地面からバッドが飛び起きた。
「何それ! 俺の力、全部利用されたんだけど!」
「そういう技だからね」
「三日だよ!? 俺より上手く使ってない!?」
「お前は剣を振るだけなら天才なんだけどな」
「なんか褒められてる気がしない!」
カエデさんはそんな二人を気にする様子もなく、麟角刀を眺めている。
「面白い武器ですね。相手の力を利用するなら、私のように筋力のない人間でも十分扱えます」
「……十分どころか、かなり向いてると思うよ」
俺は苦笑した。
この人、武術を頭の中で組み立て直している。
普通は身体で覚えるものだ。
なのにカエデさんは、動きを見て、角度を考えて、数字に置き換えている。
……なんだ、この人。
ちょっと怖いぞ。
午後。
俺たちはカエデさんが決めた、女性従業員用の送迎ルートを歩いていた。
最短距離ではない。
街灯が多く、夜でも人通りがあり、衛兵の巡回もある道を選んでいる。
「ここなら安全ですね」
カエデさんが周囲を確認する。
「うん。女性が夜に歩くなら、この道のほうがいい」
俺も周囲を見回した。
「何かあった時、逃げ込める場所も考えておこう。働く人が安心できる店にしたいからな」
「承知しました」
その時だった。
道の先に、数人の男が立っていた。
どう見ても、まともな連中じゃない。
「おい、新顔」
男の一人がニヤついた。
「この道を馬車で通るなら、通行料を払ってもらおうか」
「……通行料?」
「そうだ。それと、その女。置いていけ」
バッドの手が剣に伸びる。
「兄貴」
「待て」
俺は手で制した。
「カエデさん」
「はい」
「やってみる?」
カエデさんが眼鏡を押し上げた。
「……はい」
男が剣を抜く。
「女が俺たちに勝てると思って――」
振り下ろされた剣が、カエデさんの目の前へ迫る。
だが。
カエデさんは一歩だけ踏み込んだ。
麟角刀が、男の剣に触れる。
ガキンッ!
剣が大きく弾かれた。
「なっ――」
そのまま麟角刀の柄が、男の顎へ入る。
ゴッ!
男が膝から崩れ落ちた。
「おい!」
二人目が斬りかかる。
カエデさんは身体を半歩ずらした。
剣が空を切る。
その勢いを利用して、足を払う。
ドサッ!
「ぐあっ!」
三人目が立ち尽くしている。
カエデさんはゆっくり近づき、麟角刀の先端を男の喉元へ向けた。
「抵抗はやめてください」
「ひっ……」
「これ以上続ける場合、骨折の可能性があります」
男の顔が引きつった。
「……に、逃げるぞ!」
三人は転がるように逃げていった。
静かになった。
カエデさんは眼鏡を直した。
「……終了しました」
「うん」
「所要時間、三・二秒」
「……」
「予定より〇・二秒遅れました」
「いや、そこ気にするところ?」
「誤差です」
「十分だよ」
俺が笑う。
その横で、バッドがものすごく悔しそうな顔をしていた。
「……何だよ、あれ」
「どうした?」
「俺、あんな動き教わってない」
「お前は剣を振るのが得意だからいいだろ」
「でもカエデは三日で俺より強くなってるじゃん」
「戦い方が違うんだよ」
カエデさんが淡々と答える。
「バッドさんは身体能力に頼りすぎです。もう少し身体の動きを分析したほうがいいと思います」
「……分析って言われてもなぁ」
バッドが頭を掻く。
「俺、剣を振ることしかしてこなかったし」
カエデさんが俺を見る。
「オーナー。この二人は放置して大丈夫でしょうか?」
「大丈夫。バッドは放っておけば勝手に強くなるから」
「兄貴、俺も数字を勉強したほうがいいのかな……」
「お前はまず、掛け算九九からだね」
「……そこから?」
俺はため息をついた。
店の開店まで、まだやることは山ほどある。
それでも。
少しずつだが、俺の店に必要な人間が揃ってきていた。
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