179話 駆ける知らせ
ヤツハカ村の狩人オルセンは、二日がかりの過酷な道のりを越え、王都へ馬を走らせていた。
荷馬車の荷台には、仕込んだばかりの世界五大珍味・キングオーグの肉が積まれている。
ジョジョエンへの定期納品。
何十回と繰り返してきた、いつもの仕事だった。
いつもの道を抜け、二日目の昼下がり。
オルセンは、いつも通り店の裏口へ馬車を回した。
だが――。
視界に飛び込んできた光景に、手綱を握っていた指が止まった。
店の壁は半分ほど崩れ落ち、屋根も一部が吹き飛んでいる。
剥き出しになった骨組み。
散乱する瓦礫。
焼け焦げた黒煙こそないものの、そこに残された破壊の跡は、まるで巨大な何かに一撃で叩き潰されたかのようだった。
周囲では、見覚えのない街の人々が集まり、重い瓦礫をどかしたり、折れた木材を運び出したりしている。
「な……何が……」
オルセンは馬車を止めることさえ忘れ、荷台から地面へ飛び降りた。
事情を聞こうと足を踏み出した、その時だった。
「オルセンさん?」
背後から、聞き覚えのある声が届いた。
振り返る。
そこに立っていたのはカエデだった。
いつもと変わらぬ冷静な表情。
腰には二本の麟角刀を帯びている。
だが、その目の下には隠しきれない疲労が刻まれていた。
「カエデさん、これは……一体何があったんですか?」
「襲撃を受けました」
「襲撃……?」
「はい。ジョジョエンだけではありません。ジャンヌダルクとMG倶楽部も、ほぼ同時に襲われています」
「……ゼノンさんは?」
「治療院です」
「ギノンさんは?」
「ギノンさんも治療を受けています」
オルセンの顔が強張った。
「怪我を……?」
「はい」
「……!」
オルセンは息を呑んだ。
何度も顔を合わせてきた二人だ。
肉を届けるたびに言葉を交わす。
そんな二人が、今は傷ついている。
「治療院へ案内してください」
「分かりました」
カエデが歩き出す。
オルセンも、その後を追った。
崩れた壁。
割れた石畳。
散乱する木材。
道の端には、運び出された瓦礫が山のように積まれている。
目に入るたび、胸の奥が重くなった。
やがて治療院へ到着する。
扉を開けると、中では数人のヒーラーが慌ただしく動き回っていた。
簡素なベッドが並んでいる。
その中に、知った顔があった。
「……ゼノンさん」
全身に包帯を巻かれ、目を閉じている。
その隣にはギノン。
こちらも深い傷を負い、身動きひとつしない。
「……ギノンさん」
オルセンの喉が詰まった。
いつもなら、店へ入れば声を掛けてくれる二人だ。
それが今は、何も言わない。
近くではバッドの母親が治療に必要なものを運び、リッカも忙しく動いていた。
ミライも治療を受けている。
オルセンは、知っている顔を一人ずつ確認した。
皆、怪我をしている。
だが、生きている。
「ゼノンさんとギノンさんは、特に傷が深いです。他の方々も怪我をしていますが、命に関わる状態ではありません」
カエデが静かに告げる。
「……何があったんですか?」
オルセンが尋ねた。
カエデは襲撃の一部始終を話した。
三店舗が同時に襲われたこと。
襲撃者が店を破壊し、そこにいた者たちへ襲いかかったこと。
そして、店にいた者たちが必死に戦い、どうにか退けたこと。
オルセンは黙って聞いていた。
話が終わる。
治療院には、ヒーラーたちの声と治療魔法の音だけが残った。
「……リュウジィさんたちは、知ってるんですか?」
「まだ、誰も知らせに行かせてません」
オルセンはゼノンとギノンを見た。
バッドの母親。
リッカ。
ミライ。
そしてカエデ。
自分が何度も顔を合わせてきた人たちだ。
この事実を知ったまま、何もなかったように村へ戻ることなどできない。
「俺が知らせに行きます」
オルセンは踵を返した。
「オルセンさん!」
「大丈夫です。俺が行きます」
治療院を飛び出す。
馬車へ戻る。
荷台には、届けるはずだったキングオーグの肉が積まれたままだった。
だが、今のオルセンには、それを気にする余裕などなかった。
手綱を握る。
馬の腹を蹴る。
馬車は、来た道を引き返した。
王都からヤツハカ村までの道のりは、決して短くない。
それでもオルセンは、休む時間さえ惜しむように馬を走らせ続けた。
一刻でも早く伝えなければならない。
その一心だった。
やがて丸二日を越える道のりの果てに、ヤツハカ村が見えてきた。
空はすでに深い夕闇に染まっている。
疲れ切った馬を急かしながら、オルセンは郭老師の小屋へ向かった。
扉を勢いよく開ける。
「オルセンさん?」
突然の来訪に、リュウジィが顔を上げた。
そこには、夕食を終えたばかりのリュウジィ、タツヨ、ムサシ、そして郭老師がいた。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
リュウジィが椅子から立ち上がる。
オルセンは荒い息を整える間も惜しみ、王都で起きたことを話した。
三店舗が同時に襲撃されたこと。
ゼノンとギノンが重傷を負ったこと。
バッドの母親やリッカ、ミライたちも怪我をしていること。
そして、襲撃者は退けられたものの、店には大きな被害が出ていること。
「……」
リュウジィの表情が消えた。
「……誰だ」
低い声だった。
「誰がやった」
「人外なる者だそうです」
「……牙血族か」
リュウジィの表情が険しくなる。
「……あいつらか」
タツヨも低く呟いた。
「……そうか」
リュウジィは俯いた。
静かだった。
あまりにも静かだった。
「……ふざけやがって」
吐き捨てる。
「俺の女に、何しやがった……」
歯を食いしばる。
「ゼノンも……ギノンも……」
怒りが、声の奥で膨れ上がっていく。
「……許さねぇ」
タツヨがリュウジィを見る。
普段なら、真っ先に怒鳴り散らしているのはタツヨだった。
だが、今は何も言えない。
「絶対に……許さねぇ」
リュウジィの目が上がる。
そこには、いつもの穏やかさがなかった。
「ぶっ殺してやる……」
低く呟く。
「俺の仲間に手を出した奴を……」
呼吸が荒くなる。
「絶対に逃がさねぇ」
タツヨが立ち上がった。
「リュウジィ」
「行くぞ」
リュウジィが遮る。
「今すぐ王都へ戻る」
「おう」
タツヨが頷く。
「俺も行こう」
ムサシも立ち上がった。
「村はどうするんだ。お前が警護役だろ」
「老師がいる。それで十分だ」
ムサシは静かにそう言うと、老師の方へ軽く目礼した。
老師は湯呑みを置く。
「わしがいれば村は大事ない。行ってこい」
リュウジィは立ち上がった。
「行ってきます」
「心配はいらん」
老師は村の方へ視線を向けた。
「お前が築いてきたこの狩りの拠点も、ここで築いてきたものも、わしが責任を持って守っておこう」
「じゃが、リュウジィ」
「何ですか」
「今のお前は、怒りに呑まれかけておる」
「うるせえぞ!」
怒声が小屋を震わせた。
全員が黙る。
リュウジィ自身も、そこで我に返った。
「……」
荒い息を吐く。
そして老師を見る。
「……すいません」
頭を下げた。
「怒りに呑まれたまま動けば、次に守れるものまで守れなくなる」
「でも……今は無理です」
顔を上げる。
「俺の大事な奴らが傷つけられたんだ」
声が低くなる。
老師は黙ってリュウジィを見る。
「……行ってこい」
「はい」
リュウジィは頷いた。
タツヨが出口へ向かう。
「よし。行くぞ」
「ムサシ」
「ああ」
「準備を頼む」
「分かった」
三人は小屋を出た。
オルセンも外へ出る。
「リュウジィさん」
「知らせてくれて、ありがとうございました」
「いえ……俺は何も」
「十分です」
リュウジィは短く答えた。
「行ってきます」
「気をつけてください」
「ああ」
三人が馬車へ乗り込む。
だが、すぐには出発しなかった。
「二日かかるんだろ?」
タツヨが言った。
「ああ」
「なら、無茶して最初から飛ばすな。王都に着く頃には、戦う力が残ってねぇなんて笑えねぇぞ」
リュウジィは黙っていた。
分かっている。
王都で何が待っているかは分からない。
襲撃者が再び現れる可能性だってある。
到着してすぐ戦いになることも考えておかなければならない。
「俺とリュウジィで交代する」
タツヨが続けた。
「ムサシは運転できねぇんだろ?」
「ああ」
「なら、お前は寝られる時に寝ろ」
「分かった」
リュウジィが手綱を握る。
「最初は俺が行く」
「おう」
馬車が走り出した。
夜の街道へ飛び出していく。
リュウジィは前を見据えたまま、黙って手綱を握っていた。
馬車の揺れ。
蹄の音。
車輪が地面を叩く音。
それだけが夜の街道に響いている。
しばらく走ったところで、タツヨが馬車の中から声を掛けた。
「リュウジィ」
「何だ」
「少し休め」
「まだ平気だ」
「二日あるんだぞ」
「……分かった」
リュウジィは馬車を止めた。
タツヨと交代する。
「寝ろよ」
「お前もな」
「おう」
リュウジィは馬車の中へ入った。
ムサシも静かに身体を休めている。
リュウジィは目を閉じた。
眠れるはずなどなかった。
ゼノン。
ギノン。
バッドの母親。
リッカ。
ミライ。
カエデ。
次々と顔が浮かぶ。
そして、壊された店の光景が脳裏をよぎる。
「……くそっ」
拳を握る。
だが、今は眠らなければならない。
王都に着いた時、身体が動かなければ意味がない。
そう自分に言い聞かせる。
やがて、いつしか浅い眠りへ落ちていった。
その後も、二人は交代で馬車を走らせた。
走る。
休む。
また走る。
馬を休ませ、食事を取り、再び街道を進む。
王都までの長い道のりを、少しずつ縮めていく。
だが――。
リュウジィの胸の奥で燃え続ける怒りだけは、時間が経っても消えることがなかった。
むしろ、王都へ近づくほどに、その炎は静かに、そして凶暴に燃え上がっていった。
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