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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第178話 灰狼、還る



二階のフロアでは、カエデが麟角刀を振るいながら、キャストたちを庇い続けていた。


彼女の視線は、牙血族の肩、肘、手首へと静かに移っていく。


爪が動く前に肩が動く。

腕が伸びる前に肘が沈む。


そこから導き出される軌道を、カエデはすでに読んでいた。


力で押し返すのではない。


最初から、爪が届かない場所に立つ。


それが、彼女の戦い方だった。


「みんな、私の後ろへ」


落ち着いた声に従い、キャストたちが少しずつ後退していく。


そのすぐ近くでは、バッドが一体の牙血族と激しく斬り結んでいた。


牙を剥き出しにして飛び込んでくる爪を、オリファルコンの重厚な刀身で受け止める。


ガキィンッ!


鋭い金属音とともに火花が散った。


バッドはそのまま剣を横へ薙ぎ払い、牙血族の腕を弾き飛ばす。


だが、一体を相手にしている間にも、別の個体が迫ってくる。


死角。


横合いから飛び込んできた牙血族が、バッドの懐へ一気に距離を詰めた。


「くっ――」


反応が、ほんの一瞬遅れた。


宙を裂いて振り下ろされた爪が二の腕を掠め、厚手の布を裂いて皮膚まで届く。


熱い痛みが走った。


次の瞬間、腕から流れた血が床へ落ちる。


「バッド!」


シドの声が飛ぶ。


だが、バッドは止まらなかった。


傷口から走る痛みを無視し、両手で握った剣へ力を込める。


そして――踏み込んだ。


「うおおおっ!」


渾身の一閃が、目の前の牙血族の胴を捉える。


オリファルコンの刃が毛皮と肉をまとめて断ち切り、巨体がその場に崩れ落ちた。


その傍らでは、シドもまた、背後で震えるキャストたちを庇っていた。


飛びかかってきた牙血族の爪をファルシオンで受け流す。


しかし、弾き飛ばしたはずの敵とは別に、もう一体が死角から迫っていた。


「――しまっ」


回避するより早い。


伸びた爪が脇腹を掠めた。


鋭い痛みに肺が縮み、シドの喉から息が漏れる。


それでも足は止めなかった。


踏みとどまり、崩れかけた体勢を無理やり立て直す。


そのままファルシオンを振り抜き、突っ込んできた牙血族を力任せに弾き飛ばした。


「シド、大丈夫か!」


「平気だ、こんなもん……!」


強がるように叫びながら、シドは脇腹を押さえる。


指の隙間から、わずかに血が滲んでいた。


それでも、二人とも退かなかった。


傷を負っても、足を止めれば、その後ろにいるキャストたちが襲われる。


だから戦う。


それだけだった。


やがて、死闘の末に牙血族の数が減っていく。


最後に残った一体は、完全な獣の姿へ戻りきれず、人の面影を残したまま床に倒れていた。


バッドが歩み寄る。


荒い息を吐きながら、オリファルコンの剣先をその喉元へ向けた。


迷いはなかった。


一歩。


そして、突く。


刃が喉を貫き、牙血族の身体から力が抜けた。


バッドは剣を引き抜き、周囲を見渡した。


頑丈だったテーブルはひっくり返り、棚は崩れ、無数のガラス片が床に散らばっている。


それでも、キャストたちは全員、奥の安全な通路へ避難を終えていた。


「客席側はこれで全部よ!」


カエデが麟角刀を鞘へ収める。


カチリ、と小さな音が響いた。


バッドは傷ついた腕に布を巻きつけ、シドは脇腹を押さえながら壁へ背を預ける。


「大したことねえよ」


そう言ったバッドの顔には、隠しきれない疲労が浮かんでいた。


一方、その頃――。


一階では、大きく打ち破られた窓から月明かりが差し込んでいた。


その光の中で、ハクは灰色の毛並みに覆われた狼の頭部を持つ男――ヴォルグと向かい合っている。


頬には浅い傷が一本走っていた。


ハクは指先でそこをなぞり、付着した血を静かに拭う。


その周囲では、影の狼たちが低く唸っていた。


次の瞬間、群れが一斉に動く。


ハクは構えた。


右足をわずかに引く。


腰を落とす。


肩の力を抜く。


ただ、それだけだった。


その姿に、さっきまでの穏やかな支配人の面影は残っていなかった。


影の狼が飛びかかる。


ハクの右足が、床を滑った。


ドンッ!


目に見えない衝撃が走り、先頭の三体が同時に弾き飛ばされる。


黒い身体が宙で崩れ、そのまま霧のように消えた。


「傭兵をしていた頃、この程度の数を相手にすることは珍しくありませんでした」


淡々と告げながら、ハクは歩く。


一歩。


また一歩。


そのたびに、足が閃いた。


影の狼が飛ぶ。


蹴りが走る。


一体が消える。


次の一体が迫る。


また消える。


ハクの動きには、焦りも力みもなかった。


ただ必要な場所へ足を置き、必要な瞬間に蹴る。


それだけで、群れが一つずつ消えていく。


やがて、最後の影の狼が霧散した。


残ったのは、ヴォルグ一人。


ヴォルグが低く唸る。


そして次の瞬間、床を蹴った。


巨体が一気に間合いを詰める。


爪が閃いた。


ハクは半歩だけ後ろへ退く。


爪先が鼻先を掠めた。


そのまま身体を回転させ、返しの蹴りをヴォルグの肘の内側へ叩き込む。


「っ――」


ヴォルグの身体が崩れた。


ハクの足が、さらに踏み込む。


次の一撃が顎を捉える――その寸前、ヴォルグは本能だけで後方へ跳んだ。


距離が開く。


ヴォルグの口元から、一滴の血が落ちた。


「支配人風情が、大した腕だな」


「過分なお言葉、恐れ入ります」


ハクは構えを解かない。


ただ静かに、ヴォルグを見ている。


しばらく睨み合った後、ヴォルグがふっと肩の力を抜いた。


そして、口元だけで笑う。


「今日のところは、これで十分だ。あんたの底は見えた」


「お戻りになりますか」


「ああ」


ヴォルグは短く答えた。


そして踵を返す。


「竜の力を纏うあの男の店を潰せただけでも、十分な手土産だ。今夜のところはこれで帰らせてもらう」


その言葉を残し、ヴォルグの巨体が砕けた窓の向こうへ消えていく。


やがて、足音すら聞こえなくなった。


静寂が戻る。


ハクはしばらく窓の外を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


そして、ようやく構えを解く。


頬の傷をもう一度拭い、階段から聞こえてくる慌ただしい足音へ振り返った。


「ハクさん……!」


バッドが真っ先に駆け寄ってくる。


腕には布が巻かれ、その後ろではシドが脇腹を押さえていた。


さらにカエデが、いつもの落ち着いた足取りで続いてくる。


三人の姿を確認した瞬間、ハクの目がわずかに細くなった。


「皆さん、よくご無事で。……その傷、後でしっかり手当てを」


いつもの穏やかな声だった。


その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れた。


バッドの膝から力が抜ける。


「……っ」


その場に、ガタリと座り込んだ。


誰も命を落とさなかった。


壊れた店内を冷たい夜風が吹き抜けていく。


今夜失われたものは多い。


それでも――


生きている。


それだけで、十分だった。



お読みいただき、本当ありがとうございます。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!

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