177話 穂先と拳、証明の夜
店内は、すっかり荒れ果てた舞台そのものだった。
砕けた棚が倒れ、割れたガラスが床一面に散らばる。舞い上がる木片と埃の向こうで、ミライの軽やかな足取りだけが、乱戦の中を踊るように駆け抜けていた。
二体目の牙血族が、コンクリートを砕くほどの勢いで一直線に突っ込んでくる。
だが、ミライの瞳に焦りはない。
真正面から受け止めるようなことはしない。半身になって鋭い爪を紙一重でかわし、そのまま滑るようなステップで大きく間合いを外した。
「重い攻撃が来るなら、当たらなきゃいいのよ」
静かに呟きながら、獣の死角へ回り込む。
タツヨに叩き込まれたフットワークは、細身の身体を守る最大の武器だった。
力で押し合えば勝てない。
だからこそ、捕まらない。
その一点だけを、徹底して守り抜く。
苛立った牙血族が唸り声を上げ、爪を連続で振るう。
右、左、袈裟斬りのような振り下ろし。
ミライはそのすべてを紙一重でかわしながら、相手の重心と呼吸を静かに読み続けていた。
――あと一歩。
そう確信した、その時だった。
三体目の牙血族が横合いから飛び込んでくる。
一瞬だけ判断が遅れた。
「っ……!」
躱しきれなかった爪先が、二の腕を浅く裂く。
熱い痛みが走り、白い肌に赤い線が滲んだ。
それでも、ミライは止まらない。
痛みごと踏み込みの勢いへ変え、牙血族の懐へ一気に潜り込んだ。
(今……!)
爪が空を切る。
その一瞬だけ生まれた無防備な隙へ、右のショートフックを撃ち抜く。
「ゴッ!!」
エンペラーナックルを通した拳が、牙血族の脇腹へ深々とめり込んだ。
衝撃が巨体をくの字に折り曲げ、そのまま棚ごと吹き飛ばす。
木材が弾け、商品が宙を舞った。
だが、ミライは追わない。
一撃を入れた瞬間には、もう後方へ跳んでいる。
深追いはしない。
当てたら離れる。
その冷静さこそが、ミライの強さだった。
一方、グラニータもまた、金属棒を振るいながら奮戦していた。
「――っ、鍛冶屋の腕を舐めるんじゃないよ!」
怒号とともに、重厚な金属棒が横薙ぎに唸る。
鈍い衝撃音が響き、牙血族の頭部が大きく弾かれた。
だが、その隙を狙って別の一体が飛び込んでくる。
鋭い爪が二の腕を掠め、革の作業着を裂いた。
「くっ……!」
鋭い痛みに顔をしかめる。
それでも、グラニータは棒を握る手を離さなかった。
鍛冶場で何千回、何万回と振り続けた腕は、この程度では止まらない。
「この程度、かすり傷だよ……!」
強気に言い放ち、踏み込みと同時に金属棒を振り下ろす。
渾身の一撃が牙血族の肩を砕き、巨体を床へ叩き伏せた。
その頃――。
店の外では、カミラのスネークグレイブが夜を切り裂き続けていた。
倒しても倒しても、牙血族の群れは波のように押し寄せる。
その一体が、背後の死角から鋭い爪を振るった。
避け切れない。
刃先が頬を浅く裂き、一筋の鮮血が夜気へ散る。
「……やるじゃない」
カミラは不敵に笑い、頬の血を指先で拭った。
次の瞬間、スネークグレイブが大きく円を描く。
しなる柄が蛇のようにうねり、周囲を取り囲んでいた牙血族をまとめて薙ぎ払った。
巨体が次々と宙へ舞う。
「終わりにしましょうか」
低く呟いた瞬間、カミラの姿が消えた。
圧倒的な踏み込み。
群れの中心へ一気に飛び込み、穂先が夜闇を幾筋もの閃光となって駆け抜ける。
一体。
二体。
三体。
蛇の牙のようにうねる刃が、急所だけを寸分違わず貫いていく。
その圧倒的な技量を前に、残された牙血族たちの目から闘志が消えた。
一体、また一体と後退し、やがて統率を失った群れは闇の中へ雪崩れるように姿を消していく。
「……ふう」
カミラは槍を肩へ担ぎ、小さく息を吐いた。
そして、そのまま店内へ視線を向ける。
ちょうど、その瞬間だった。
最後の一体が咆哮を上げ、ミライへ突進する。
ミライは静かに重心を落とした。
踏み込み。
腰の回転。
真っ直ぐ伸びたストレートが、牙血族の顎を正面から撃ち抜く。
「これで、終わり!」
轟音。
巨体が大きく吹き飛び、砕けた棚の上へ激突すると、そのまま二度と動かなかった。
静寂が戻る。
割れたガラス。
倒れた棚。
粉々になった扉。
店内は無残な姿へ変わっていたが、それでも――三人とも立っていた。
「みんな、無事……?」
肩で息をしながら、ミライが腕の傷を押さえてグラニータへ声をかける。
「ああ、かすり傷程度だ。……そっちも、腕やられたのか」
「これくらい、大丈夫。当たったのは一回だけだから」
そう笑うミライの袖には、隠しきれない血が静かに滲んでいた。
そこへ、砕けた扉の向こうからカミラが姿を現す。
頬の血を拭いながら二人を見渡し、小さく肩をすくめた。
「そっちも、片付いたみたいね」
「カミラも、怪我してるじゃない」
ミライが心配そうに駆け寄る。
「これくらい、大したことないわ。アズマリアの闘技場じゃ、もっと派手にやられてたもの。」
軽く笑いながら、カミラはスネークグレイブを壁へ立てかけた。
三人は並んで、荒れ果てた店内を見渡す。
割れた商品。
崩れた棚。
砕けた扉。
積み上げてきた日々の結晶が、目の前で無残な姿を晒していた。
それでも。
誰一人として、大きな傷を負うことはなかった。
「……とりあえず、生きてて良かったわ」
ミライの呟きに、グラニータとカミラも静かに頷く。
割れた窓から吹き込む夜風が、舞い散った埃をそっとさらっていく。
三人はしばらく言葉もなく、その静かな風に身を委ねていた。
お読みいただき、本当ありがとうございます。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




