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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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176話 花と刃




MG倶楽部の閉店作業も、いよいよ大詰めを迎えていた。


客の姿もすでになく、先ほどまで賑わっていた店内には、片付けの音と二人の話し声だけが静かに響いている。


帳簿の数字を几帳面な手つきで整理していたミライが、作業台の向こうで工房の道具を片付けているグラニータへ、柔らかな声音で声をかけた。


「今日も無事に終わったね」


「ああ。今月は特に、新規のお客さんが増えた気がするな」


グラニータはそう答えながら、工房にずらりと並んだ道具を種類ごとに整理していく。


ドワーフ仕込みの鍛冶技術だけではない。


道具を扱う手つき一つにも、長年の経験に裏打ちされた無駄のなさがあった。


修理を終えた魔剣や武具を一本ずつ確認し、傷や破損がないことを確かめてから、頑丈な棚へと丁寧に戻していく。


その頃。


店舗の外では、凄腕の警備を誇るカミラが、最後の外周見回りを淡々と続けていた。


華やかな表通りから静まり返った裏手へ回り込み、いつもの巡回ルートを辿りながら、周囲の気配を一つずつ確認していく。


異常はない。


少なくとも、ここまでは。


そう判断して闇に包まれた路地を進んでいたカミラだったが、不意に、その洗練された足取りをピタリと止めた。


路地の奥。


街灯の光すら届かない薄暗い闇の中に、人影が立っている。


カミラの涼しげな瞳の奥で、猛禽類のような鋭い光が走った。


そこに立っていたのは、常人とは明らかに異なる獣の耳と、禍々しくうねる尾を持つ男だった。


男は、身を隠そうともしていない。


物陰に潜む様子もなく、ただ傲然とその場に立ち塞がり、暗闇の向こうからカミラをじっと見据えている。


その野生剥き出しの視線に、カミラの背筋を冷たい警戒感が這い上がった。


「――お客さん、そろそろ閉店の時間よ」


夜気を凍らせるような低い声が、静かな路地に響く。


男は答えない。


ただカミラを見つめたまま、歪んだ口元をゆっくりと吊り上げた。


その笑みには、客が見せるような愛想も、温もりも、一切なかった。


カミラの背中を、冷たい悪寒が撫でていく。


「――そう。話にならないなら、いいわ」


カミラは一瞬の迷いも見せず、すぐ傍らの壁際へ視線を送った。


そこに立て掛けられていたのは、常に肌身離さず持ち歩いている愛用の戦闘武器――魔槍スネークグレイブ。


自身の背丈を遥かに超える長大な武器を、カミラは片手の動きだけで軽々と引き寄せた。


漆黒の柄が手に収まった、その瞬間だった。


男の輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。


衣服の下から筋肉が爆発的に膨れ上がり、背骨が大きく隆起する。


全身を覆うように灰色の毛が一気に生え広がり、指先からは鋭い爪が伸びていく。


骨格そのものが変形し、顔立ちが大きく崩れ、人間の面影が急速に失われていった。


一瞬の瞬き。


それだけの時間で、そこに立っていたのは、もはや人間ではなかった。


獣。


鋭い牙を剥き出しにした、完全な殺戮者の姿だった。


だが――驚異は、それだけでは終わらない。


路地の奥に広がる暗闇から、次々と別の影が這い出してくる。


一体。


二体。


三体。


その数は瞬く間に増えていき、同じような灰色の毛皮と獣の顔を持つ魔族たちが、カミラを取り囲むように姿を現した。


「……随分と、数を揃えてきたのね」


カミラは表情一つ変えず、冷ややかに呟いた。


むしろ、その紅い唇の端には、ほんの僅かな笑みさえ浮かんでいる。


アズマリアの闘技場。


そこで数え切れないほどの死線を潜り抜けてきたカミラにとって、この程度の数で怯む理由などなかった。


むしろ――。


久しく感じていなかった戦いの気配が、眠っていた闘争本能を静かに刺激していた。


先陣を切った一体が、地面を抉り飛ばすほどの勢いで地を蹴る。


巨体が一瞬にして間合いを食い潰し、鋭い爪がカミラの喉元へ迫った。


カミラは動かない。


そして、獣の爪が届く寸前。


スネークグレイブが、音もなく動いた。


長大な柄がしなり、穂先がまるで生きた蛇のように軌道を変える。


正面から振るったはずの一撃が、途中で大きく弧を描き、獣の予測を完全に裏切った。


「ギィアッ!!」


鋭い穂先が獣の胴を薙ぎ払う。


凄まじい衝撃が巨体を横方向へ弾き飛ばし、獣はそのまま路地の壁へ叩きつけられた。


壁が震える。


石片が弾け飛ぶ。


スネークグレイブは、ただ突くだけの槍ではない。


しなやかに変化する柄と、それを自在に操るカミラの技量によって、攻撃の軌道そのものが予測不能になる。


敵が避けたと思った瞬間、穂先はすでに別の角度から迫っている。


まるで意思を持った蛇が、獲物を追い詰めるように。


間髪入れず、二体目の獣が真横の死角から飛び掛かってきた。


カミラは振り向かない。


僅かに手首を返す。


それだけで、スネークグレイブの柄がしなり、穂先が背後へ滑り込んだ。


次の瞬間。


獣の首元を、鋭い刃が正確に捉える。


「な……!?」


一瞬だけ、獣の赤い瞳に恐怖と戸惑いが浮かんだ。


自分の視界では到底捉えられない軌道。


それを予測することなど、獣にはできなかった。


カミラの槍は、まさにその名の通り。


生きた蛇のように軌道を変え、逃げようとする獲物へどこまでも食らいつく、死の牙だった。


その頃。


店内では、穏やかな夜が静かに崩れ始めていた。


「――何かしら、この気配」


異変を最初に察知したのはミライだった。


帳簿から手を離し、夜の闇に沈んだ窓の外へ視線を向ける。


その表情から、先ほどまでの柔らかな雰囲気が消えていた。


グラニータもまた、手にしていた道具を止める。


「カミラが表で何かと戦ってる音がする」


遠くから、何かが壁へ叩きつけられるような鈍い音が響いた。


続いて、獣の咆哮。


「見てくる」


ミライが立ち上がった、その瞬間だった。


ドォンッ!!


店の入り口を守っていた頑丈な扉が、内側へ向かって粉々に吹き飛んだ。


大量の木片が室内へ飛び散り、床を跳ね、壁へ突き刺さる。


その向こうから、一体の獣が店内へと躍り込んできた。


「グラニータ、下がって!」


ミライは叫ぶと同時に、ポケットへ手を突っ込んだ。


取り出したのは、最後の切り札。


エンペラーナックル。


両拳へ装着した瞬間、冷たい金属が店内の灯りを鋭く反射した。


獣が吠える。


そして、まっすぐミライへ突っ込んできた。


鋭い爪が振り下ろされる。


ミライは紙一重で半身になった。


爪が髪を掠め、背後の壁を削り取る。


そのままミライは獣の懐へ潜り込んだ。


距離、ゼロ。


右拳を引く。


そして――。


放つ。


「ゴンッ!!」


一見すると、何の変哲もないジャブだった。


だが。


エンペラーナックルから叩き込まれた魔力が、一瞬で拳の破壊力を跳ね上げる。


直撃した獣の顎が跳ね上がった。


巨体が浮く。


そのまま後方へ吹き飛び、店の厚い壁へ激突した。


壁が大きく震え、獣の身体が床へ滑り落ちる。


「……嘘でしょ」


ミライは、自分の拳を見つめた。


タツヨから叩き込まれた基本のフォーム。


その教え通りの、何気ないジャブ。


だが、エンペラーナックルを通して放たれた一撃は、これまでのミライの攻撃とはまるで別物だった。


自分自身が、その威力に驚いている。


しかし、驚いている暇はなかった。


「グラニータ、後ろに!」


ミライが叫ぶ。


グラニータは即座に反応した。


作業台の脇に立て掛けてあった、自作の重厚な金属棒を両手で掴み取る。


その表情には、もう怯えはない。


「私も、突っ立ってるだけの女じゃないよ」


不敵な笑みを浮かべながら、グラニータが腰を落とす。


鍛冶師として道具を握り続けてきた両腕に、力が込められた。


店の外では、カミラのスネークグレイブが夜の闇を切り裂いている。


しなる柄。


閃く穂先。


その度に獣たちの咆哮が響き渡る。


店内では、ミライの拳が獣の巨体を次々と吹き飛ばしていく。


そして、その隣ではグラニータが金属棒を構え、迫り来る獣を睨み据えていた。


閉店作業を終え、静かに一日を終えるはずだった夜。


その穏やかな時間は、もうどこにもない。


MG倶楽部の夜は今。


花と刃が舞う、戦場へと変わっていた。




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