168話 名も無き功績
しばらくの沈黙。
リュウジィはようやく、限界まで詰めていた息を荒々しく吐き出した。
鉛の塊のように重い疲労が全身を蝕み、腕一本上げるかすら億劫だ。
震える膝に両手をつき、肺を焦がすような呼吸をどうにか整える。
「……大丈夫か、リュウジィ」
「ああ、なんとかな。お前は」
「見ての通り、ボロボロだよ」
タツヨが自嘲気味に笑いながら、ロードアトラスの鎧にこびりついた血と土埃を手で払い落とす。
リュウジィは震える指でファフニールの内ポケットからアイテムボックスを開け、回復薬のナロキシンの瓶を二本引き抜く。
一本を迷わずタツヨへ放り投げた。
タツヨが痛む体を叱咤して片手で受け止め、乱暴に栓を抜いて一気にあおる。
喉を通る激しい刺激と共に、二の腕を支配していた鈍い痛みがすっと霧散していくのが分かった。
リュウジィもまた、残り一本の栓を親指で力強く弾き飛ばし、冷たい液体を喉の奥へと流し込む。
血管を焼き焦がすような熱が体内を駆け巡り、千切れそうだった脇腹の傷口が急速に塞がっていく生々しい感触が戻ってきた。
「二人とも、よく生きてたねぇ」
軽い足音と共に、ローザが二人の元へと歩み寄る。
先ほどまでの息が詰まるような張り詰めた空気などなかったかのように、いつもの飄々とした調子に戻っていた。
「戻ってきてくれて助かった。あの一撃がなきゃ、決着はつかなかった」
リュウジィは偽りのない本音を吐き出す。
ローザは困ったように肩をすくめた。
「あたしが最初から、油断したのが悪いんだけどね。まさかあそこまで、強いとは思わなかった」
彼女は視線を巡らせ、変わり果てた瓦礫の廃墟を見渡す。
鼻を突く焦げた匂いと、未だにくすぶり続ける黒煙が、薄曇りの空へと寂しく流れていった。
「……オオトカゲみたいな男に、あっさり連れて行かれたな」
タツヨが歯噛みし、忌々しげに呟く。
圧倒的な絶望を纏った巨躯の魔族が、膝をついたクラウスを軽々と担ぎ上げてその場から消えていった光景。
その悪夢のような残像が、三人の脳裏からどうしても離れない。
「あの雰囲気、ただの助っ人には見えなかったね」
ローザが細められた瞳に鋭い光を宿す。
「クラウスに対して、遠慮する素振りがまるでなかった。それでいて、クラウス自身もどこか一目置いてるような態度だった。……あの手の魔族の中じゃ、かなり上の立場にいる奴なんだろうね」
そのひと言だけで、リュウジィの背筋に冷たい蛇が這い上がったような悪寒が走る。
追い詰めたのは事実だ。だが、殺しきれなかった。
しかも、あの男の理不尽な介入によって、本来断ち切るべき首筋を取り逃がしてしまったということは――。
「連れて帰られた、ってことは……」
「まだ終わってない、ってことだよね」
ローザが淡々と、しかし容赦のない現実を告げる。
その声に、先ほどまでの軽口はもう微塵も残っていなかった。
「今日で終わりじゃない。向こうも、本気で動き出して来るかもしれないね」
冷たい風が瓦礫の隙間を吹き抜け、まだ消えきらない鮮烈な血の匂いを運んでくる。
リュウジィは金色の筋を浮かべながら、漆黒に戻ったファフニールの袖にそっと目を落とし、悔しさに震える拳を強く、強く握り直した。
ローザが二人を見つめ、そのいつもの飄々とした表情から、ふっと軽さが消える。
「……ありがとう。あんたたちが来てなかったら、あたし今頃ここに立ってない」
素直な物言いに、リュウジィは
一瞬言葉に詰まった。
「王様に行くなって言われてたのに、勝手についてきて、勝手に戦っただけだ」
「それでも、だよ」
ローザは短くそう言うと、少しだけ眉を下げた。
「あの男のことは、あたしから王宮に伝えとく。あんたたちの名前は出さない。関係ないって言われてたのに巻き込んだのは、こっちなんだから」
「……そうか」
リュウジィは短く、かすれた声で頷いた。しかし、その頭の隅では、あの底知れない圧力を放った男の存在だけが、こびりついて離れなかった。
ローザはそんな二人の様子を見て、ふっと表情を緩めた。
「……ゆっくり休んで。今日はもう、それでいいから」
「それぞれの家まで送ってあげる。掴まって」
ローザはそう告げると、転移魔法の魔法陣を展開した。
リュウジィとタツヨが彼女の細い腕にしっかりと手をかけた瞬間、世界が真っ白な光に染め上げられた。
次の瞬間、三人の姿はアウトローズ・クラウンの廃墟から跡形もなく消え去る。
後に残されたのは、冷たい風にさらされる、崩れた家々の残酷な残骸だけだった。
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