162話 牙血の王
戦場を支配していたのは、息が詰まるほどの殺伐とした空気だった。
リュウジィは眼前の男を鋭く睨み据え、低い声で問い質した。
「お前は何者だ……!」
その問いに対し、男は不敵な笑みを浮かべ、悠然と言い放つ。
「我こそは、魔族。牙血族の長――クラウス・バイト。よくもガルダをやってくれたな。安心しろ、簡単には殺さない」
皮膚がヒリつくほどの殺気が周囲を圧倒する。ローザは信じられないものを見る目で声を荒げた。
「馬鹿な……! 魔族と人間は、不可侵の協定を結んでるはずよ!」
クラウスは冷ややかに鼻で笑う。
「ふっ、協定は結んでいるさ。だが今回は、我が牙血族と人間の闘いだ。他の魔族は関係ない」
次の瞬間、静寂を切り裂くように彼が不敵に呟いた。
「――『獣王憑依』――『ショウ』」
その名が紡がれた刹那、大気が激しく爆ぜた。獣族の肉体から、正気を失うほどに濃密でドス黒い魔力が噴き上がる。
――ゴ、ゴゴゴゴ……!
大地が絶叫したように軋み、足元の瓦礫が重力を無視して浮き上がっては粉々に砕け散っていく。
常軌を逸した変貌。その圧倒的な光景を目の当たりにし、ローザは息を呑み、驚愕の表情で叫んだ。
「まさか……神話の時代に絶滅した、あらゆる獣の祖……!? なぜその魂を宿せるの……ッ!?」
獣族の背後にそびえ立ったのは、天を突くほどに巨大な、漆黒のライオンの幻影だった。狂気と獰猛さを宿した二つの眼が、冷酷に人間たちを見下ろしている。
リュウジィもタツヨも、その絶対的な「捕食者」の気配の前に、一歩も足を動かせなくなっていた。
本能が、生物としての圧倒的な格の違いを告げる。
一刻も早くここから逃げろと、全身の神経が警鐘を鳴らし続けている。
膝が、恐怖に耐えかねてガタガタと震えていた。
「人間ども。すべての獣の頂点たる力、その身で味わうがいい」
クラウスが不敵に笑う。その顔はサーベルタイガーから、どす黒いたてがみを持つライオンの姿へと完全に変異した。
全身から立ち上る魔力だけで、周囲の空気が陽炎のように狂おしく歪んで見える。
異形の気迫に呼応するかのように、タツヨの身に纏うガントレットと鎧のメタリックブルーが、よりいっそう激しく青白い輝きを増していく。
「そっか……俺のガントレットも鎧も、神話級の甲虫の外皮で作られてるから、この覇気に反応してんのか?頼むぜ、ロードアトラス!」
沸き上がる確信とともに、タツヨは闘志を爆発させ、クラウスめがけて一気に距離を詰める。
それに遅れることなく、リュウジィもまた猛然と地面を蹴り飛ばした。
「逃がさないッ!」
凄まじい加速。タツヨが鋭く腕を振るい、ファントムウィップを放つ! 続けて放たれたタツヨの高速の左ジャブ
――だが、それはクラウスの常軌を逸した動体視力の前に、難なく右手一本でさばき落とされたのだった。
「――遅いなぁ」
殺意を孕んだ声が、すぐ耳元で聞こえた気がした。次の瞬間には、そのクラウスの拳がタツヨの眼前に迫っていた。
「ぐっ……!?」
反射的にガントレットを交差させる。
ガギィンッ!!
耳をつんざく金属同士の激突音。
クラウスの拳とガントレットが真っ向からぶつかり合う。
だが、防具が受け止めた凄まじい衝撃は、その内側にいる人間の体へと容赦なく通り抜けていった。
「が……ッ!」
骨の髄まで狂うような衝撃に、タツヨの身体は数メートル地面を抉りながら吹き飛んだ。
足元のアスファルトが蜘蛛の巣状に粉砕される。気力でどうにか、完全に倒れるのだけは免れた。
「タツヨ!」
リュウジィが絶叫しながら踏み込む。
真紅に染まったファフニールの力が、反応速度を限界のその先へと引き上げていた。
炎を纏った両掌が外回転を描き、クラウスの腹部を包み込むように炸裂する!
十二形拳 鳥台形拳
バアァァッン!
(手応えあった)
確かな感触。クラウスが宙へ吹き飛ぶ、その最高のタイミングに合わせ、タツヨが再び大地を蹴って踏み込んで来る。
渾身の力を込めたタツヨのパンチが、無防備なクラウスの顔面に直撃した。
バゴォッッンッ!!
衝撃波が走り、クラウスは崩れ落ちたスラムの瓦礫のなかに盛大に突っ込んだ。
勝機を見逃さず、ローザが虚空に向けて指を突き出し、超高速で詠唱を紡ぐ。
「――ルミナス・レイ」
直後、指先から極限まで圧縮された高純度の光子が迸り、直進する高熱の光線となってクラウスを正確無比に貫いた。
凄まじい爆音が轟き、スラムの瓦礫が一瞬で消し飛ぶ。
まるで隕石が直撃したかのような、巨大なクレーター型の穴が大地に穿たれた。
「やったか?」
しかし、もうもうと立ち込める硝煙が薄れるにつれ、そこに現れたのは――黒い鬣のライオンの姿をした、クラウスだった。
奴は、何ごともなかったかのように悠然と立っている。
冷徹な、抑揚のない声でクラウスが宣った。
「今のは中々効いたぞ。やるな人間。取り敢えず魔術士が邪魔だな」
クラウスが天を仰ぎ、戦場を震わせる凄まじい咆哮を上げた。
目に見えるほどの激しい衝撃波が、対峙する3人の身体を容赦なく突き抜ける。
直後、耐え難い強烈な痺れが走り、彼らの全身はピタリと硬直した。時間にして、わずか数秒。
だが、生死を分かつ死線に立つリュウジィ達にとって、その一瞬の麻痺はあまりにも致命的すぎた。
「なにぃ!動けねえ」
硬直する絶望の淵。次の瞬間、ローザの無防備な腹部に、クラウスの黒い拳が深く、重く食い込んだ。
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