156話 狂襲
王都から北へ馬車で一時間半。スラム街「アウトローズ・クラウン」
かつてバッドやシド、ゼノン、ギノンが根城にしていたこの場所は、荒くれ者や食い詰め者、堅気の生き方から外れた人間たちが吹き溜まる土地だった。
腕に自信のある元冒険者、喧嘩で名を売った男、闇の仕事で食いつないでいる者たちも少なくない。
それでも家族を持ち、子を育てる者もいる。荒々しさと生活が同居する、独特の空気を持つ集落だった。
その日も、酒場代わりの小屋では男たちが安酒を酌み交わし、賭け事に興じていた。
「今日はツキがねえな」
「そりゃお前の腕が悪いんだよ」
笑い声が響く、ありふれた夜だった。
その空気を破ったのは、足音のない足音だった。
ガルダを先頭に、三十を超える牙血族の戦士たちが、闇に紛れてスラムを取り囲んでいく。誰一人として気配を悟らせない。
獣の血を引く彼らの歩法は、荒くれ者たちの警戒心すらものともしなかった。
ガルダは崩れかけた塀の上から、眼下に広がる灯りの群れを見下ろした。
「……こんな場所か」
低く呟いた声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。晴らしきれない鬱屈が、まだ胸の奥にくすぶっている。
「隊長、配置完了しました」
副官格の戦士が片膝をつき、静かに報告する。ガルダは無言で頷いた。
セティスの声が耳の奥で反響する。
――「スラムの人間がどれだけ死のうと、わざわざ調べに来る者などいない」
ガルダは拳を握った。あの男の思惑通りに動かされているだけかもしれない。それでも今は、この燻る怒りをどこかにぶつける必要があった。
「皆殺しだ!誰一人逃がすな」
ガルダは部下たちを見渡し、静かに言い放った。
「はっ」
戦士たちの声が闇の中で低く重なる。ガルダは月明かりに向かって顎を上げた。
「始めるぞ」
その一声で、夜が牙を剥いた。
最初に崩れたのは、酒場代わりの小屋だった。轟音と共に扉が蹴破られ、中にいた男たちが咄嗟に得物を掴んで身構える。
「な、なんだ……!?」
だが応じる暇もなかった。一拍遅れて、夜を切り裂く悲鳴が上がった。
「うわあああっ!! なんだこいつら――!!」
「武器を取れ、武器を!!」
叩き起こされた住人たちが次々と武器を手に飛び出してくる。この街の人間は、ただ怯えて逃げるだけの者ばかりではなかった。
かつて修羅場をくぐった元冒険者や、喧嘩で鳴らした荒くれ者たちが、家族を守ろうと得物を握って立ち向かう。
「舐めんじゃねえぞ、この野郎……!」
大柄な男が斧を振りかぶり、突進してきた戦士の一人に叩きつける。だがその一撃は、相手の腕にあっさりと受け止められた。
「ほう。多少骨のある奴もいるな」
戦士がにやりと笑い、逆に男の手首を掴んで捻り上げると、骨の砕ける音と共に絶叫が上がった。斧は空しく地面に転がった。
「くそが……! 逃げろ、女子供を先に……!」
別の男が仲間に叫びながら剣を構え、飛びかかってきた戦士の喉元を狙う。
刃は確かに届いたが、浅く皮膚を裂いただけだった。返す刀のような、爪の一撃で、男の首が刎ね飛んだ。
それでも、抵抗する者がいる分だけ、この街の最期は完全な一方的蹂躙にはならなかった。数人の戦士が浅手を負い、舌打ちしながら体勢を立て直す場面もあった。
「くっ……多少はやるが、所詮は人間だな」
若い戦士が肩の傷を押さえながら吐き捨て、倒れた相手にとどめを刺す。
老人も、女も、幼い子供も、区別などなかった。逃げ惑う人々の背に、爪と牙が容赦なく振り下ろされ、そのたびに絶叫が一つ、また一つと途切れていった。
子を庇って覆いかぶさった母親が、悲鳴を上げる間もなく子供ごと引き裂かれる光景に、周囲の人々が恐慌に陥り、方向も分からず走り回る悲鳴がさらに膨れ上がった。
逃げ場を失った子供たちが「お母さん! お母さん!」と泣き叫びながら路地をさまよい、その声もまた、すぐに闇に呑まれていった。
「つまらん」
ガルダ自身も、剣を構えて向かってきた男の一撃をかわし、胸を素手で貫いた。
多少の手応えはあったが、それだけだった。
満たされるどころか、逆に苛立ちが募っていく。それでも今は、他に牙を立てる場所がガルダにはなかった。
一人の若い戦士が、手傷を負いながらも興奮した様子で隣の同僚へ声をかけた。
「隊長、機嫌が悪そうですね」
「見りゃわかる。……あの人の相手はしない方がいい」
二人は短く言葉を交わし、また悲鳴の渦の中へと散っていった。
――だがその夜、ガルダたちの目が届かない路地の隅で、一つの命がまだ、かろうじて息をしていた。
お読みいただきありがとうございました。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




