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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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154話 掃き溜めの標的



魔族国、鱗の民の居館。地下深くに造られた薄暗い水辺の間には、絶えず水音が反響していた。


床に張り巡らされた浅い水路を、鱗の民の従者たちが音もなく行き来している。


杯を傾けていたセティス・ヴェノムは、ヤツハカ村での完敗以来どこか翳りの残る顔つきで現れたガルダを一瞥した。コブラを思わせる扁平な頭部が、わずかに傾ぐ。


「その姿、噂は本当だったようだな」


からかいの色を隠さない声に、ガルダは奥歯を噛んだ。折れた骨の痛みはとうに癒えていたが、あの日の感覚だけは、まだ身体の芯に居座っていた。


「……好きに嗤え」


「嗤いはしない。ただ、五人衆の一人が老いぼれ一人にここまでやられるとはな、と思っただけだ」


セティスは杯を置き、ゆっくりと立ち上がった。


「クラウス様の面目も丸潰れだな。牙血族だけで国を落とすと啖呵を切った手前、このままでは、終われないだろ?」


「言われなくても分かっている」


ガルダの脳裏に、あの光景がよみがえる。


あの村外れでの一件以来、ずっと消えない感覚があった。老人にはほとんど何もさせてもらえないまま、二十数名の部下が次々と地に伏していった光景。


老人はほとんどその場から動かなかった。掌が触れる。拳が沈む。それだけで、屈強なはずの戦士たちの身体が呆気なく宙に舞い、木々に叩きつけられていった。


抵抗らしい抵抗もできないまま、部下たちの戦意は根こそぎ刈り取られていった。

姿を消し、爪を放った。


だが手応えは最初から何一つなかった。老人にはまるで触れられている気配すらない。


何をどう躱されているのかすら分からないまま、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。


あの瞬間の感触は、今でも身体の奥に残っている。何かに殺されたわけではないのに、殺される以上の何かを味わわされた気がした。


名だけを名乗られ、部下に支えられながら命からがら退いた。あの時覚えた得体の知れない戸惑いを、今も言葉にできずにいる。


「あの老いぼれ……いや、あれは老いぼれなんかじゃない」


ガルダが低く呟くと、セティスは片眉を上げた。


「ほう。五人衆のお前がそこまで言うか」


「見ただろう、俺のこの様を。あれは……底が見えなかった」


苛立ちを滲ませるガルダに、セティスは口の端を吊り上げた。楽しんでいるのが隠しきれていない。


「私は関係ない話だが……一つ、聞いてやってもいい。手っ取り早く『成果』が欲しいのだろう?」


ガルダが視線を上げる。セティスは棚から一枚の羊皮紙を取り出すと、卓上で広げて見せる。王都周辺の地形を粗く描いた地図だった。


「王都近くのスラムだ。人間どもの目も王宮の目も届きにくい掃き溜め。あそこを拠点にすれば、次の一手を打つまで身を潜めるにはちょうどいい」


「そんな場所、落としたところで何の成果にもならんだろう」


「拠点として使うだけの話だ」


セティスは事もなげに言った。


「それに、そもそもまともな奴がスラムに用もなく足を向けるものか。多少人がいなくなったところで、誰も本気で気にも留めん」


ガルダは黙って地図を見下ろした。老人への恨みを晴らせるわけではない。だが、このまま何の成果もなくクラウスの前に立ち続けるわけにはいかなかった。


啖呵を切った手前、そして自分自身の面目。両方を守る手段が、他に思いつかなかった。


「知恵を貸しておいて、涼しい顔をしているつもりか」


「もちろんだ。私はただの世間話をしただけだからな」


セティスは杯を持ち上げ、笑みを深くする。目の奥だけが、笑っていなかった。


「あとはお前が、どう動くかだ」


ガルダは長い沈黙のあと、踵を返した。


「使わせてもらう」


「好きにしろ」


背後で、セティスの静かな笑い声が水辺の間に響いた。


ガルダが立ち去った後、セティスは一人残り、水路の水面に映る自分の顔を見つめながら小さく呟いた。


「牙血族が勝手に潰れるなら、それはそれで都合がいい」


誰に聞かせるでもない言葉が、静かな水音に紛れて消えていった。


数日後、夜の帳が完全に降りた頃。


王都北側、湿った石材の冷気が漂う一角。


かつて「アウトローズ・クラウン」と呼ばれ、バッドやシドが根城としていたその場所には、今も僅かながら人が住み続けていた。


焚き火を囲む声、酒を回し飲みする笑い声、遠くで子供が駆け回る足音。


何一つ変わらない、いつも通りの夜だった。


その夜を、闇に紛れた黒い影の群れが音もなく取り囲んでいく。


先頭に立つガルダの目には、もう迷いはなかった。


老人への恐怖も、クラウスの面目も、今この瞬間だけは意識の外にあった。あるのは、これから起きることへの、乾いた確信だけだった。


背後に控える牙血族の戦士たちが、静かに得物を構える。夜風に、獣めいた息遣いが混じった。


「始めるぞ」


低い声が、夜の闇に溶けていった。


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