152話 先代の記憶
魔族国、王城の謁見の間。
クラウスが緊急の報告を願い出て、玉座のカオサイの前に召し出されていた。
傍らには満身創痍のガルダが、部下二人に支えられて立っている。纏っていた威厳は見る影もない。
「……何があった」
カオサイが面の下から、静かに問う。
「ヤツハカ村の調査に向かわせた者が、この様だ」
クラウスが低く答える声には、苛立ちと戸惑いが入り混じっていた。
二十数名を率いた腹心の部下が、これほどの姿で運び込まれてくるなど、想定していなかった。
「話せ、ガルダ」
促され、ガルダが血の混じった息を吐きながら、途切れ途切れに語り始めた。
「村の外れで……シルバーウルフを見つけて、痛めつけようとしたダインを、庇うように一人の老人が現れました。ダインを含め、何人かはもう……」
「たかが村の護衛一人だろう」
「いえ……あれは……」
ガルダの声が震える。あの光景を思い出すだけで、恐怖が背筋を這い上がってくる。
二十数名の部下が、老人の一挙一動で次々と沈められていった。老人は円を描くような足運びだけで、次々と部下を叩き伏せた。
「私が出た時も……何一つ、通じませんでした。爪も、速さも、闇の力すら。あの老人には、何も届かない」
「お前がか?」
クラウスの声に、初めて明確な驚愕が滲んだ。
ガルダは五人衆の中でも、武の実力では上位に数えられる男だった。
その男が、指一本触れられずに叩きのめされたという。
「化け物です……あれは、人間の域を超えてる……」
クラウスの眉間に深い皺が刻まれる。拳を握りしめる手に、無意識に力がこもった。
「牙血族だけで国を落とす」と啖呵を切った手前、この程度で退くわけにはいかない。
だが目の前の部下の有様が、その決意に暗い影を落としていた。
「郭竜深、と……名乗ってました」
その名を口にした瞬間だった。
玉座のカオサイが、突然笑い出した。
「ぶはっ……くくく、あーっはっはっは!」
「へ、陛下……!?」
クラウスとガルダが困惑する中、カオサイは笑いを収めきれないまま、面の下から涙を拭うような仕草を見せた。
「いい、いい。楽にせい。それより今の名前、もう一度言うてみい」
「……郭竜深、です」
カオサイは腹を抱えて、さらに笑い声を上げた。
「くくく……お前ら、とんでもない爺さんに喧嘩を売ったもんだな。やめとけやめとけ、あれは触っちゃならん」
「カオサイ!知ってるのか?」
クラウスが訝しげに問う。カオサイは笑いを収めながら、遠くを見るような目をした。
「儂がまだ若造だった頃の話だ。先代の魔王が、その名の男と一度だけ矛を交えたことがある」
広間の空気が変わった。誰もが息を潜めて先を待つ。
「場所も理由も、儂はよく知らん。だが半日、丸半日戦って、どちらも倒れなかったと聞いている。
先代が、生涯で唯一『決着をつけられなかった』と口にした相手だ」
「それほどの奴が、なぜ人間の村なんぞに」
「知らん。だが本物なら、お前らの手に負える相手ではない」
カオサイは、たった一撃で沈められたガルダの姿に目を落とし、笑みを消さないまま続けた。
「先代がどれほどの御方だったか、お前たちは知らんだろう。あの人と本気でやり合って、無事で済んだ者を儂は見たことがない」
クラウスが息を呑む。魔族史に名を残す先代魔王と、互角に渡り合った人間がいる――それが今、目の前の部下を叩きのめした老人だという。
「命があっただけ儲けものだ。クラウス、悪いことは言わん。この件からは手を引け」
クラウスは拳を握りしめたまま、何も答えなかった。
頭では分かっている。だが「牙血族だけで国を落とす」と重鎮たちの前で言い放った自分の言葉が、今さら退くことを許してくれない。
ここで引けば、ただの負け犬として一族の面目を潰すことになる。それでも、目の前のガルダの姿が、その決意に重く暗い影を落としていた。
(引くわけにはいかん。だが……あの化け物に、我が一族の誰が敵うというのか)
胸の内で渦巻く矛盾を押し殺し、クラウスは唇を噛んだ。
謁見の間を後にする道すがら、ガルダは支えられながら小さく呟いた。
「クラウス様……このまま終わりに出来ません」
ガルダはそれ以上、何も言えなかった。
お読みいただきありがとうございました。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




