151話 牙が届かず
魔族国、辺境への転移魔法陣が置かれた石造りの塔。
牙血族の戦士二十数名を前に、ガルダが円陣の中央で振り返った。
「言っておくが、今回の件は我々牙血族だけでやる。魔族としての援助は一切ない。しくじってもクラウス様以外、誰も庇ってはくれん。分かったな」
戦士たちが無言で頷く。ガルダは前を向き、転移魔法陣に足をかけた。
「行くぞ」
合図と共に、石床に刻まれた紋様が青白く発光する。転移魔法特有の浮遊感が全員を包み、視界が一瞬歪んだ。
次の瞬間、一行が立っていたのは鬱蒼とした山中だった。転移魔法陣が使える範囲は限られており、目的地の村へは直接飛べない。ここから徒歩で近づく必要があった。
「……人間の国は、これだから面倒だ」
戦士の一人が舌打ちする。
転移魔法一つ取っても、精密な座標が分からなければ人里の中心には飛ばせない。だからこそ、ここから先は徒歩で近づくしかなかった。
ヤツハカ村を望む山道を、二十数名の影が音もなく進んでいた。
先頭を歩くのは牙血族のガルダ。黒豹を思わせる精悍な顔に、獲物を前にした獣の目つきが滲んでいる。
背後に続くのは同じ牙血族の戦士たち。誰もが牙を剥き、爪を伸ばした臨戦態勢だった。
「調査だ。まずは村の様子を見るだけでいい」
ガルダが低く声を落とす。だが後方の一人、若い戦士のダインが不満げに鼻を鳴らした。
「調査?回りくどいですぜガルダ様。俺たちの数ならこんな村、一晩で更地に出来る。さっさと踏み潰しちまえば、バザルグを殺った奴が誰かもすぐ分かる」
「クラウス様の命令は調査だ。勝手な真似は許さん」
ガルダが釘を刺すが、ダインの目にはすでに獲物を前にした昂りが宿っていた。
村の外れまで近づいた時だった。茂みの奥から、低い唸り声が響いた。
一同が足を止める。木々の間から現れたのは、月光を溶かしたような銀色の毛並みを持つ巨大な狼だった。
ロンだ。牙血族の気配を鋭敏に感じ取り、喉の奥から威嚇の声を絞り出している。
「シルバーウルフかよ?何でこんな所にいるんだ」
ダインが嘲るように笑い、地面を蹴った。制止するガルダの声より早く、ダインの爪がロンへ向けて振り下ろされる。
「待て、ダイン!」
ガルダの叫びも届かなかった。
爪がロンに届く寸前、何かが割り込んだ。
ダインの身体が、真横に吹き飛んだ。
木にぶつかり、うめき声を上げて崩れ落ちるダイン。その傍らに、いつの間にか一人の老人が立っていた。質素な衣を纏った老人。白い顎髭。
「命令も聞けん奴が、獣にまで牙を剥くか」
老師の声は静かだったが、その場にいた全員の背筋を凍らせる
圧があった。
「な、なんだこの爺は……!」
戦士の一人が飛びかかる。老師は動かなかった。踏み込んだ瞬間、掌が相手の胸を撫でるように触れ、次の瞬間その戦士は五メートル後方まで吹き飛んで地に伏した。
二人目が右から爪を振りかぶった。老師の身体が僅かに沈む。
ドンッ!
短く重い音と共に、老師の掌打が相手の鳩尾に突き刺さる。戦士の口から空気の塊が漏れ、白目を剥いて崩れ落ちた。
三人目、四人目が同時に左右から挟み込む。老師は上体を反らしただけで、それを躱す。両者の爪が触れるより先に、老師の両拳が交差するように放たれた。
バチィィィンッ!バチィィィンッ!
鑽拳の連打が二人の顔面に突き刺さり、砕けた顔の骨の音と共に二人纏めて後方の木々へ吹き飛ばされる。
幹が折れる鈍い音が山中に響いた。
五人目が背後から飛びかかった瞬間、老師の身体が半歩だけ捌ける。
横薙ぎに放たれた横拳が頭部を捉える。
ガーンッッ!
甲高い一打の音と共に、戦士の身体がくの字に折れて地に崩れた。
その後も次々と繰り出される攻撃を、老師はほとんど、その場を動く事なく捌き続けた。掌打の乾いた音、崩拳の重い衝撃音、時折混じる骨の軋む音。
まるで太鼓を打つように、規則正しく牙血族の戦士たちが地に沈んでいく。
十数名が地に伏す頃には、残った者たちの顔から戦意が消えていた。
「……化け物か」
低く呟き、ガルダ自身が前に踏み出す。
爪を伸ばし、腰を落とす。牙血族の中でも上位に数えられる実力者としての構えだった。
「ほう。少しはまともな面構えをしとる」
老師が初めて興味深げに目を細めた。
「引き裂いて、肉片にしてやる。ダークネスクロー!」
その瞬間ガルダの身体が消えた。
ガルダが地を蹴る音だけ聞こえた。
見えない相手からの爪の一閃、続けざまの連撃。
だが老師の身体はまるで水のように、その全てを紙一重で受け流していく。円を描くような足運び――内功盤根だった。
「見えてるのか!なぜ……当たらん!」
「中々の曲芸だのう。これが究極の聴勁じゃよ」
苛立ちと共にガルダが力任せの一撃を放った瞬間、その手を絡め取るように跳ね上げたと、同時に老師の掌が懐に滑り込んだ。
「鼈形拳」
ズバァァァッ!
破裂音と共にガルダの巨躯が宙を舞い、地面に叩きつけられる。立ち上がろうとするが、四肢に力が入らない。骨の何本かが軋む音を、ガルダ自身の身体が伝えていた。
「おのれぇ……何者だぁぅぅぅっ」
血の滲む口から、ガルダが絞り出すように呟いた。
老師が静かに見下ろす。
「儂の名は郭竜深。それだけ覚えて帰るがいい」
その名を聞いた瞬間、ガルダの目に僅かな戸惑いが浮かんだ。
だが今はそれを問い質す余力もない。残った数名の部下に支えられながら、ガルダは命からがら、その場を去った。
静けさが戻った村の外れで、ロンが老師の足元にすり寄り、甘えるように鼻先を押し付けた。
老師はその頭を撫でながら、遠ざかる牙血族の気配が完全に消えるまで、じっと見送っていた。
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