146話 懐かしい熱気
十日という猶予を手にしたタツヨは、慣れない国の街並みをぶらぶらと歩いていた。
サウスチェケラッチョは鍛冶と採掘で栄えた国だが、アズマリアのような賑わいはない。石造りの建物が並ぶ通りには、鉱石の匂いと鎚の音が絶えず響いていた。
「暇だな……」
そう呟きながら、タツヨは通りを見渡した。石造りの建物が延々と並び、どこを見ても鎚を振るう音と、赤く熱された鉄の匂いが漂っている。アズマリアの喧騒とも、キングスフォーンの賑わいとも違う、無骨な活気だった。
露店で串焼きを頬張る職人風の男たちが、鍛冶の腕自慢で盛り上がっている。
タツヨはその横を通り過ぎながら、現世の下町を思い出していた。
ボクシングジムの近くにあった商店街も、こんな風に威勢のいい声が飛び交っていた。
しかしその場所が日本の何処なのかは、記憶がない。
ボクシングジムの名前もわからない。
呟きが、思っていたより湿っぽく響いた気がして、タツヨは苦笑した。
十日間、ただ待つだけというのは性に合わない。かといって、この国に知り合いもいなければ、行く当てもない。仕方なく足の向くまま歩いていると、遠くから割れるような歓声が聞こえてきた。
音のする方へ足を向けると、そこには石造りの闘技場があった。アズマリアの巨大な円形闘技場と比べれば、随分と小さい。観客席も半分ほどしか埋まっていなかった。
「懐かしいな……」
タツヨは吸い寄せられるように中へ入り、入り口で入場料金を支払い、空いていた席に腰を下ろした。
闘技場の中央では、巨躯の男が対戦相手を叩きのめしたところだった。丸太のような腕、盛り上がった筋肉。ドワーフというより、人間離れした大男だった。
男は倒れた相手を一瞥すると、拳を突き上げて観客席に向かって吠えた。
「これで五連勝だ! 誰か俺に挑む奴はいねえのか!」
観客がざわめく中、タツヨは何気なくその大男を見つめていた。骨格、立ち姿、拳を握る時の重心の乗せ方。
汗と血の匂いが漂う闘技場の中央で、男は自分の勝利に酔いしれるように腕を振り回していた。
観客の何人かが野次を飛ばし、何人かが賭け金を確認するように懐の金額を握りしめている。
命のやり取りが日常的に行われる、荒々しい空気がそこにはあった。
――息が止まった。
「あっ! あいつは…… 似てる!」
骨格、立ち姿、拳を握る時の重心の乗せ方。今闘技場の中央にいる男が、あの日自分を叩きのめしたオーガと重なった。
理屈ではなかった。ただ、心臓が激しく音を立てていた。
「俺がやる」
隣の観客が驚いた顔でタツヨを見上げる。闘技場の中央にいた大男も、思いがけない挑戦者に片眉を上げた。
「威勢のいい兄ちゃんだ。名前は」
「タツヨだ。それだけで十分だろ」
タツヨは闘技場の中央へ進みながら、アトラスを発動させる。両手首のブレスレットが、メタリックブルーのガントレットとなり、拳を覆う。
開始の合図と同時に、大男が突進してきた。振り下ろされる丸太のような拳を、タツヨは最小限の動きで躱す。
(遅いな)
アズマリアの決勝で相対した怪物とは、比べ物にならない。
大男のパンチに合わせて、カウンターでボディを撃つ。
ズドーン!
「ぐえええ」
大男はそれだけで、詰まった声を漏らしながら、身体をくの字にした。
目の前に大男の顔が晒される。普通ならここで一発で決めるが、それをせずにタツヨはジャブを放った。
一発! 二発! 三発! 四発!
バッ! バッ! バッ! バッ!
大男の顔が見る見るうちに原形からかけ離れていく。
大男が尻もちついた。
タツヨはそこで決めに行かず、距離を取ってステップを踏んでいる。
タツヨはキングスフォーンに来てからも、強くなるために、試行錯誤しながら練習をしていた。
この前の魔族との戦いの時は使えなかった。
しかし今なら出来ると確信した。
大男が立ち上がった。
「実験台になってもらうぜ。左だけで倒す!」
「ファントム・ウィップ!」
次の瞬間、鞭のようなタツヨのジャブが流星群の如く、大男を襲う。
観客にはタツヨの手の動きが見えない。
爆竹が破裂するような音が、場内に響き渡り、大男の血しぶきが舞う。
最後の一発が、顎を捉えた瞬間、大男はその場で崩れ落ちた。
静まり返った闘技場に、タツヨの荒い息だけが響く。
やがて、観客席の一角から声が上がった。
「……待てよ、あの動き、あのガントレット……アズマリアの三英傑じゃねえか!?」
「タツヨ・ジョージだ! 本物か!?」
ざわめきが波のように広がっていく。タツヨは倒れた大男を見下ろしながら、小さく息を吐いた。
観客席のざわめきはやがて興奮の渦に変わった。
誰かが「サインしてくれ!」と叫び、別の誰かが「今度アズマリアに見に行くぞ!」と興奮気味に声を張り上げる。
闘技場の中央にいるタツヨへ向けられる視線には、先ほどまでの荒々しさとは違う、興奮と憧れの色が滲んでいた。
タツヨは苦笑しながら、片手を軽く上げてそれに応えた。
故郷を思い出させるこの国で、思いがけず自分の名前を呼ばれる。それは悪くない気分だった。
十日後には、防具を受け取ってこの国を発つ。
それまでの間、この懐かしい熱気を、もう少し味わっていくのも悪くないと思いながら、タツヨは闘技場を後にした。
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