141話 命を救われた男
翌日、リュウジィは老師をジャンヌダルクへ案内することにした。
「老師、俺が経営してる店があるんです。良かったら飲みに行きませんか」
「ほう、お前の店か」
老師の目が少し輝いた。ロンが一緒について来ようとしたが、店の前で足を止めた。
「ロン、お前は外で待っていてくれ」
老師がそう言うと、ロンは不満げに一声鳴いたものの、素直に店の脇で伏せをして待つことにした。
犬の姿では店に入れない。ロンもそれをわかっているようだった。
「ごめんな、ロン。ちょっと待っててくれ」
俺がそう声をかけると、ロンは尻尾を軽く振って応えた。
店内に入ると、いつもの喧騒がホールに満ちていた。
カウンターの奥から、ハクさんがこちらに気づいて顔を上げた。
「リュウジィさん、お疲れ様です。今日は珍しいお客様連れですね」
ハクさんが老師の姿を認めた瞬間、表情が固まった。
しばらく言葉を失ったように立ち尽くしていたが、やがてカウンターを回り込み、まっすぐ老師の前まで歩み寄った。
そして、深く頭を下げた。
「……郭先生」
店内の空気が一瞬で変わった。俺は驚いてハクさんを見た。ハクさんがこんな風に頭を下げる姿を、今まで見たことがなかった。
老師はハクさんの顔をじっと見て、目を細めた。
「お前……ハクか。随分と老けたな」
「先生もお変わりなく」
「儂は歳を取らん性分でな」
ハクさんが軽く手を上げると、店の女の子の一人が心得たように近づいてきた。
俺は老師とハクさんを促し、奥のボックス席に腰を落ち着けた。女の子が老師の隣に座る。
「先生、こちらの席へ。何かお飲み物をお持ちしましょう」
老師は気にする様子もなく、勧められるまま席についた。
ハクさんが向かいに腰を下ろしながら、俺にも座るよう促した。その目には、懐かしさと畏敬の入り混じった色が浮かんでいた。
「まさかこんな所で再会できるとは。夢にも思いませんでした」
俺は二人を見比べながら尋ねた。
「お二人は、知り合いだったんですか」
ハクさんが小さく頷いた。
「ええ。若い頃、同じ傭兵団に所属していました。もう二十年以上も前の話です」
「まさか老師と、そんな繋がりがあったなんて」
老師が杯を傾けながら言った。
「あの頃のハクは、無鉄砲な小僧だったな。何度も先走って、危ない目に遭っておった」
「勘弁して下さい」
ハクさんが苦笑いを浮かべた。
「先生には、何度命を救っていただいたか。数えきれません」
老師は特に得意げな様子も見せず、静かに酒の入った杯を傾けた。
「儂は当然のことをしたまでだ」
「当然のことで済ませられる回数ではありませんでしたよ」
二人のやり取りには、長い年月を経てもなお色褪せない、確かな信頼が滲んでいた。
俺はその様子を眺めながら、老師という人物の懐の深さを改めて感じていた。
孤島で俺を鍛えてくれた時も、そしてタツヨに稽古をつけた時も、老師は決して驕らず、ただ淡々と力を示すだけだった。
しばらく昔話に花を咲かせた後、話が一段落したところで、
ハクさんが席を外した。
俺はふと、老師とハクさんのやり取りを思い返していた。
ハクさんほどの実力者が、今なお敬意を持って頭を下げる相手。その強さを、俺はこの目で嫌というほど見てきた。
(この人が、もしこの国にいてくれたら)
そこまで考えて、我ながら図々しい思いつきだと苦笑した。
だが、口にしないまま終わらせるのも違う気がした。
「老師、実は折り入ってお願いしたいことがあるんですが」
老師が杯を置いて、俺に目を向けた。
「聞こう」
「王都の外れに、ヤツハカ村という村があります。少し前に魔物の襲撃を受けて、今も復興の途中です。あの村には、常駐して守ってくれる強い人材が必要だと思っていて」
老師が黙って俺を見つめた。
「もし良ければ、老師にあの村に住んでいただいて、村を守っていただけないでしょうか?勿論老師が必要な物は全て揃えます」
図々しい頼みだとわかっていた。孤島での生活を捨てさせるような話だ。
断られても仕方がないと思いながら、俺は老師の返事を待った。
老師はしばらく考えるように黙っていたが、やがて小さく笑った。
「別に構わんぞ」
「本当ですか?」
「島に大事な物があるわけでもない。着の身着のままで来たようなものだ。どこで暮らそうと、大して変わらん」
あまりにあっさりとした返事に、俺は拍子抜けした。
「勿論ロンも一緒です」
「あやつが一緒じゃなければいかんよ。当然だ」
老師は杯を傾けながら、窓の外に目をやった。ロンが店の脇で伏せをしたまま、こちらを見上げているのが見えた。
「終の住処として、いいかもしれんな」
その言葉に、俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
店の外で待つロンに、良い知らせを伝えるのが待ち遠しかった。
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