第137話 生贄
山の斜面の奥深く、バザルグは岩に背中を預けて座っていた。
胸に大穴が開いている。黒い血が止まらない。呼吸するたびに胸の奥で音がした。
黄色い目が虚ろに空を見上げていた。木々の間から差し込む光が、やけに眩しかった。
「生きてるか」
声がした。
木の陰からルシエルが現れた。赤髪が風に揺れている。口角は上がったままだった。
「ルシエル、お前来てくれたのか?」
「様子を見に来たんだよ。お前が帰ってこないから」
ルシエルはバザルグの隣にしゃがみ込んだ。胸の傷を覗き込み、小さく舌を打った。
「しかし酷い傷だな。あの人間にやられたのか」
「ああ。竜の力を纏った拳だった。あんな人間、見たことがない」
バザルグの声は掠れていた。魔力も底をついている。このまま放っておけば死ぬだろう。
「協定を破って人間界に来た俺が悪かったのか。だがあの二人は強すぎる。まさかあそこまでとは思わなかった」
「そうだな」
ルシエルは静かに頷いた。
「お前が負けるとは思わなかったよ」
「俺もだ」
バザルグが苦悶の表情を浮かべながら言った。
「なあルシエル、助けてくれ。魔力を分けてくれれば、ここから動ける。このままじゃ終われねえよ。次こそは必ず二人とも殺してやる。お前も同じ気持ちだろ?人間なんかに負けたままでいられるか」
ルシエルは何も言わなかった。
「頼む。お前しかいないんだ」
バザルグの黄色い目がルシエルを見上げた。必死さが滲んでいた。
「そうだな」
ルシエルは立ち上がり、バザルグを見下ろした。しばらく黙ってバザルグを見ていた。
(使えなくなった駒は捨てるだけだ)
ルシエルの頭上に菱形の漆黒の塊が浮かび上がって、音を立てながら、ゆっくり旋回した。
バザルグの目が見開かれた。
「おい、何をする!」
「次はないよ。ここで終わりだ。お前には生贄になってもらう」
菱形の塊がバザルグに向かって放たれた。
ズガァッシュッ!
バザルグの頭部が消し飛んだ。
山の中が静かになった。
ルシエルは血が飛んだ袖を軽く払い、崩れ落ちたバザルグを見下ろした。
「俺も使えるんだよ、ネクロ・オーブ。お前は魔族と人間が闘うための生贄だ」
風が吹いた。木々が揺れた。
ルシエルは踵を返した。口角が上がったままだった。これで人間が魔族を殺したという既成事実ができた。あとはそれをうまく使うだけだ。
魔族の国に戻りながら、ルシエルは思った。面白くなってきたと。
場面が変わる。
ヤツハカ村の入り口に、人影が二つ見えた。
タツヨの左腕を肩に回したリュウジィが、ゆっくりと村へ向かって歩いてきた。
村人たちが駆け寄ってくる。
「リュウジィさん!」
「魔物は倒した。もう出てこない」
どっと歓声が上がった。村人が泣きながら頭を下げる。オルセンが目を赤くしながら立っていた。
その歓声の中、人垣を割って二人の女が現れた。
ミライとカミラだった。
ミライはリュウジィの顔を見た瞬間、ほっとした表情になった。次の瞬間、その表情が変わった。
「何で黙って来たの」
「緊急事態だったんだ。ごめん」
「ごめんじゃないでしょ。一言くらい言えるでしょ」
「本当にすまなかった」
ミライは唇を噛んだ。
「心配したんだから」
「わかってる」
「わかってるじゃないでしょ」
ミライの声が少し震えた。リュウジィは何も言わずにミライの肩を引き寄せた。ミライは抵抗しなかった。しばらくそのままでいた。
「次は言って」
「ああ、言う」
ミライがリュウジィの腕に手を絡めた。その手が少し震えていた。
カミラがタツヨを見た。
「あんた、随分とやられたね」
「まあな。久しぶりに本気でやばかった」
アミリが駆け寄ってきた。タツヨの状態を確認し、すぐに回復魔法バファリオンをかけ始めた。タツヨの顔から徐々に苦痛の色が消えていく。
折れた骨が戻っていく感覚にタツヨが顔を歪めた。
タツヨがアミリに言った。
「助かった。お前がいてくれて良かった」
「無茶しないでください。本当に」
アミリが半泣きで言った。タツヨは苦笑いした。
リュウジィは村を見回した。遺体が並んでいた広場、壊れた家の壁、焦げた地面。犠牲になった人たちのことを思うと、胸が重くなった。
魔物は倒した。だがそれだけでは足りない。
数日間、ここにいよう。村の復興を手伝ってから帰る。それくらいしか今の俺にはできない。
そう思いながら、リュウジィはミライの手を握り返した。ミライの手の震えが、少しだけ収まった。
お読みいただきありがとうございました。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




