第132話「出立」
夕暮れ時、俺は自宅で内功盤根の套路を繰り返していた。
老師から教わったこの套路は、毎日欠かさずやらないと身体がなまる気がした。
剛と柔が溶け合う感覚が、ようやく当たり前のものになってきていた。
套路を終えて水を飲んでいると、外から足音が聞こえた。
慌ただしい足音だった。
扉が叩かれた。
「リュウジィさん、大変です」
ギノンだった。息が上がっている。
「どうした」
「ヤツハカ村から男が来てます。ジョジョエンに飛び込んできて、相当慌てた様子で」
「わかった、行こう」
ギノンと一緒に店へ向かった。
ジョジョエンに入ると、ホールの中央に泥だらけの男が立っていた。
ヤツハカ村の狩人のオルセンだった。歳は四十代半ばで、がっしりとした体格だが、今は肩で息をしている。
「オルセンさん、どうしたんですか?」
オルセンは俺の顔を見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて口を開いた。
「リュウジィさん、村の近くに化け物が出ました。二体です。キングオーグの生息地の方から来て、狩人が七人やられました。村にも入ってきて、村人も五人」
「まさか……死んだの?」
「はい」
ホールが静まり返った。
「いつからだ」
「四日前からです。最初は生息地の方だけだったんですが、昨日から村に近づいてきて。王宮には連絡しましたが、辺境まで騎士団が来るには時間がかかると言われて。それで、リュウジィ様のところへ」
四日。
その間に狩人七人と村人五人が死んでいる。王宮の援軍を待っていたら、その間にまた犠牲者が出る。
「わかった。すぐ行く」
オルセンの肩から力が抜けた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
俺はゼノンに声をかけた。
「オルセンさんに水を持ってきて。それとハクさんに、ヤツハカ村に行ってくるから、暫く帰れないと伝えておいてくれ」
「わかりました」
店を出てタツヨの家に向かった。
ドアを叩くと、すぐにタツヨが顔を出した。事情を話すと、タツヨは「行くか」と言って外に出てきた。
「その前にアイテム屋に寄りたい。怪我人が出てるはずだから」
アイテム屋に入ると、店主に事情を話した。
回復薬を大量に欲しいと言うと、店主はナロキシンという名前の回復薬を勧めてきた。値段を聞いてアイテムボックスに入るだけ買い込んだ。八十本になった。
「回復魔法が使える人がいると助かるんだけどな」
タツヨが言った。
「ふろむ・えーに寄ってみよう」
ふろむ・えーの扉を開けると、見知った顔が掲示板の前に立っていた。
気紛れな旅団のジャスパー、オリオン、アミリの三人だった。
「あれ、リュウジィさん」
アミリが振り返った。
「ちょうどよかった。実は頼みがあって」
事情を話すと、三人は顔を見合わせた。
「報酬はいいですよ。船の時にお世話になってますし」
ジャスパーが言った。
「いや、ちゃんと出す。仕事として来て欲しいから」
アミリが小さく笑って頷いた。
「わかりました。行きます」
六人で大型の馬車を手配して、王都を出たのは日が暮れる少し前だった。
馬車の中でオルセンから魔物の詳細を聞いた。一体は四本足で岩のような皮膚を持つ巨躯の獣だという。
もう一体は大蛇のような見た目をしている。地を這う時は蛇の動きをするが、飛ぶ時には煙のような翼が生えて空から急降下して獲物を仕留めるという。
オルセンは身震いしながら言った。翼が出た時は煙みたいで、最初は何が起きたのかわからなかった、と。
どちらも今まで見たことのない魔物だとオルセンは首を振った。
アミリがオルセンに細かく話を聞いていた。魔物の大きさ、動きの速さ、狩人たちがどう対応したか。ジャスパーとオリオンは黙って聞いていたが、二人とも表情が険しくなっていた。
タツヨが腕を組んだまま窓の外を見ていた。
「なあオルセンさん。その魔物、村の周りに前から出てたことはあったか」
「いいえ。全く見たことのない種類で。突然現れた感じで」
タツヨは俺と目を合わせた。何も言わなかったが、言いたいことはわかった。
馬車が進むにつれて、街道沿いの家の明かりが少なくなっていった。王都の外れを越えると、あたりは木々に囲まれた暗い道になった。御者が手綱を引き締め、馬の歩みが少し遅くなった。
夜が更けると、馬車の中は静かになった。ジャスパーとオリオンは背もたれに頭を預けて目を閉じている。
アミリは膝の上に手を置いたまま、じっと暗い窓の外を見ていた。オルセンは疲れ果てたのか、いつの間にか眠っていた。
タツヨがぽつりと言った。
「嫌な予感がするな」
「俺もだよ」
馬車は暗い街道を進み続けた。ヤツハカ村まで、まだ遠い。
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