第118話:再会
夜明け前に目が覚めた。
波の音がいつもと違っていた。潮の変わり目が来ていたのだ。寄せては返す波の響きが、昨日までとは微妙に変わっている。
リュウジィは起き上がった。ファフニールが身体にしっくりと馴染んでいる。ニーズヘッグリングも人差し指で鈍い光を放っていた。島で過ごした日々が、もうすぐ終わろうとしていた。
小屋の外に出ると、老師がすでに浜辺に立っていた。ロンがその隣にちょこんと座っている。
『来たか』
『はい』
老師は海を見つめていた。夜明け前の空が少しずつ白んでいく。水平線の向こうには、まだ朝の光が届いていなかった。
『潮が変わっておる。今がその時じゃ』
リュウジィは筏を確認した。昨日しっかりチェックを終えた筏は、浜辺の端に引き上げてある。蔓で縛った丸太組みで、お世辞にも立派とは言えない代物だったが、これしか乗るものがない。
『老師』
リュウジィは老師の前に立ち、深く頭を下げた。
『この島に来て、本当に良かったです。老師に出会えなければ、俺はただ途方に暮れるだけでした』
老師は黙ったまま、しばらくしてフンと小さく鼻を鳴らした。
『礼はいらん。お前は筋がいい。内功盤根を一ヶ月足らずで身体に入れた。大したものじゃ』
『老師こそ、お元気で』
『わしの心配はいらん。百四十年生きてきたんじゃ、まだまだ死なんわい』
老師は再び海へ目を向けた。いつもと変わらない様子だったが、その横顔を見つめるリュウジィの胸には、別れの寂しさが込み上げていた。
『強さに溺れるな。人のために使え。それだけ忘れるなよ。……楽しかったぞ。有り難うな』
『そんな。有り難う御座いました』
ロンがリュウジィの目の前へ歩み寄ってきた。黄金色の瞳がじっと見つめてくる。
リュウジィが頭に手を置くと、ロンは気持ちよさそうに目を細めた。しばらくそのままの体勢でいた。柔らかな毛並みを撫でながら、リュウジィはロンとの時間を惜しむように、その温もりを感じていた。
『ロン、達者でな』
ロンは鼻をひとつ鳴らした。返事はそれだけだった。
『老師!気が向いたらキングス・フォーンのジョジョエンって店に来てください。美味い肉ご馳走しますから!』
老師は何も言わず、ただ口元にニッと笑みを浮かべた。
リュウジィは筏を海へ引き出した。波が足元を濡らす。冷たかったが、すぐにファフニールの温度効果が働いて快適になった。
筏に乗り込み、手製の竿でぐっと水を掻く。
潮の流れがスムーズに筏を押し出してくれた。丸太が波を受けて小さく揺れ、筏はゆっくりと浜辺から離れていった。
振り返ると、老師とロンが並んで浜辺に立ち、じっと見送ってくれていた。
リュウジィはもう一度深く頭を下げた。
老師は微動だにしなかった。
島が少しずつ遠ざかり、二人の姿が小さくなっていく。ロンの銀色の毛並みが朝の光を反射して輝いていた。
やがて、その姿も見えなくなった。
リュウジィは前を向いた。
水平線の向こうに、サウザンアイランドがある。
竿を漕ぎ続けた。
太陽が高く昇っていく。
筏は潮の流れに乗ってぐんぐん進んだ。思ったより速い。老師の言った通り、この潮の変わり目を使えばサウザンアイランドへ着けそうだ。筏の進む先には、どこまでも青い海が広がっていた。
だが、見渡す限り周囲は海だけだった。
どれくらい漕ぎただろうか。
ニーズヘッグリングの効果のおかげか、腕の疲れは不思議と全く感じなかった。
ふと水平線を見つめる。
何かが見えた。
小さな点だ。
それは水平線の上にぽつんと浮かんでいた。
船だ。
リュウジィは目を凝らした。間違いなく船だ。しかも、こちらに向かって進んできている。
助けを求めるべきだろうか。だが、見知らぬ船に軽々しく乗り込むのは危険かもしれない。
リュウジィは竿を止め、その船をじっと見つめた。
船が次第に近づいてくる。
小さな漁船だった。甲板にちらほらと人影が見える。
そのうちの一人が、船首に仁王立ちしていた。
がっしりとした体格。
見覚えのあるシルエットだった。
『——っ!』
リュウジィは思わず立ち上がった。ぐらりと筏が揺れる。
船首の男が動き、こちらを凝視した。
一気に距離が縮まる。
男が豪快に叫んだ。
『リュウジィーーーー!!』
タツヨだった。
タツヨは船首から身を乗り出し、大声を張り上げていた。後ろではジャスパーが何かを宥めるように声をかけている。アミリは口に手を当て、オリオンはあきれたように頭をかいていた。甲板の誰もが、筏の上にいるリュウジィに気づいていた。
リュウジィは思わず笑った。
色々とこみ上げるものがあったが、とにかく笑うしかなかった。まさか、こんな海の上で仲間たちに再会できるとは思ってもいなかった。
『タツヨーーーー!!』
叫び返した。
船が勢いよく筏へ横付けされる。タツヨが甲板からドスンと飛び降りてきた。筏が大揺れする。
『このやろう!何やってんだ!』
タツヨがいきなりリュウジィの胸倉を掴んできた。目が真っ赤だった。
『心配かけやがって!』
『悪かったって』
『悪かったじゃねえだろ!』
タツヨは胸倉を掴んだまま、しばらく離そうとしなかった。
リュウジィは何も言わずに受け止めた。
筏がパシャパシャと波に揺れている。
タツヨがようやく手を離し、気まずそうに目を逸らした。
『……生きてて良かった』
ぽつりと小さく呟いた。
『ああ』
リュウジィは深く頷いた。
甲板の上からアミリの声が響いた。
『リュウジィさーーん!!』
ボロボロと泣いている。
リュウジィが甲板を見上げると、アミリが手すりから身を乗り出していた。ジャスパーとオリオンは苦笑いを浮かべ、船尾ではガレムが無言のまましっかりと舵を握っている。
タツヨがどかと筏に腰を下ろした。
『どこにいたんだよ』
『島に流れ着いてさ』
『何してたんだ?』
『修行してた』
タツヨはリュウジィをじっと見つめ、それから可笑しそうに笑った。
『修行?訳わからない事言ってんじゃねえよ』
『後でゆっくり話すよ』
リュウジィも笑った。
心地よい波の音が響いていた。朝の光がキラキラと海面を照らしていた。仲間たちの顔を見て、リュウジィは胸の奥から安堵が込み上げてくるのを感じていた。
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