第113話:偏屈な船頭
夕方になった。
港の突き当たりに構える酒場は、昼間から杯を交わしている男たちで半分ほど埋まっていた。
充満する煙草の煙と安酒のツンとした臭いが、混じり合って店内に漂っている。
タツヨとジャスパーは入口で足を止め、店内を見渡した。
「どの人ですかね」
とジャスパーが小声で言った。
タツヨは返事をせず、無言のまま奥のカウンターへ視線を向けた。
一人だけ、周囲の喧騒から切り離されたようにポツンと座っている男がいた。
年は五十前後。幾多の潮風を浴びてきた肌は革のように固く焼けている。
白髪交じりの無精髭を蓄え、杯を両手で持ったまま誰とも言葉を交わさず、ただぼんやりと海の方角を見つめていた。
あいつだ、とタツヨは心の中で確信した。
足音を忍ばせて近づき、男の隣に立った。
だが男はタツヨの方を向こうともしなかった。
「ガレムさんか」
男はゆっくりとタツヨへ視線を動かした。
細められたその瞳は、相手の品定めをするような鋭さを秘めている。
「老人から聞いたか」
「はい」
「座れ」
タツヨは隣の丸椅子に腰を下ろした。
ジャスパーは出方を伺うように一歩引いた位置に控える。
ガレムは手元にあった杯を静かに置いた。
「南東の海域へ行きたいそうだな」
「地図にない島を探したい。三日前にあの海域で仲間が海に落ちた」
ガレムは言葉を飲み込み、黙り込んだ。
しばらくの間、タツヨの顔をじっと見つめている。
「今の時期は海が荒れる。運が悪ければ戻れない」
「わかってる」
「金の話をする前に一つ聞く」
タツヨは何も言わず、相手の言葉の続きを待った。
「その仲間とやら、本当に生きてると思うか」
タツヨは真っ直ぐにガレムの目を見つめ返した。
「絶対生きてる」
「根拠は」
「あいつがそういう奴だからだ」
根拠なんてそれだけだ。論理的な説明でもなければ、客観的な証拠もない。
だがタツヨには強い確信があった。あの男が死ぬ瞬間など、自分にはまだどうしても想像できなかった。
アミリを投げ渡した瞬間の、微塵の迷いもない判断。
波に飲まれる直前まで、あいつは誰かのことを考えていたはずだ。
そういう奴が、あっさり命を落とすわけがない。
ガレムはタツヨの表情をしばらく観察していたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
自嘲気味に笑ったのかもしれなかった。
「報酬はいくら出す」
タツヨはアイテムボックスに手を伸ばし、ゴルド金貨を取り出した。
それをテーブルの上に置く。
ガレムはその金貨へ目をやり、無言のまま手元へ引き寄せた。
一枚を親指で弾くと、カァンと高く澄んだ金属音が店内に響いた。
指先でその感触を確かめ、再びテーブルへと静かに戻す。
「倍出す。見つかったら更に倍だ」
「一つ条件がある」
「言え」
「俺の船では俺の言うことが絶対だ。海の上では船頭の指示に従え。逆らうなら乗せない」
タツヨはガレムの目を静かに見据えた。
「わかった」
「お前だけじゃない。連れてくる全員だ」
「全員に言い聞かせる」
ガレムはなおも、しばらくの間タツヨを見つめていた。
「……出発は明後日の朝だ。夜明け前に第三桟橋へ来い。遅れたら置いていく」
タツヨは力強く頷いた。
「一つ聞いていいか」
「なんだ」
「なぜ引き受けた。普段は仕事を受けないと聞いた」
ガレムは置かれていた杯を再び手に取り、一口飲んだ。
「昔、俺も南東の海域で仲間を失った。探しに行ったが見つからなかった」
ガレムの視線が、遠く海の方角へと向けられる。
「お前の目が、あの頃の俺に似てた。それだけだ」
タツヨは何も言わなかった。
ガレムは静かに立ち上がった。
「明後日、夜明け前だ。忘れるな」
それだけを言い残し、ガレムは酒場をあとにした。
タツヨはしばらく、ガレムが去っていった扉を見つめていた。
過去の傷を抱えた男の重い眼差しが、胸に残っていた。
だが、自分は絶対に諦めない。同じ悔しさを味わうつもりは毛頭なかった。何としてもリュウジィを見つけ出してみせる。
タツヨは静かに拳を握りしめた。
「……行きましょう」
ジャスパーが隣で小声で促した。
タツヨはゆっくりと立ち上がった。
翌日。
オリオンとアミリに出発の決定を伝えた。二人とも迷うことなく即答した。
一行は探索に必要な長期間の食料と水を調達した。
ガレムの船は小ぶりな漁船ではあったが、荒波を乗り越えてきた確かな頑丈さを備えていた。
甲板や船倉には適度なゆとりがあり、タツヨたち四人とガレムが乗り込んで装備を積み込んでも、十分身軽に動けそうだった。
ガレムも「あの危険な海域を小回りを効かせて探すには、このくらいの船がちょうどいい」と語っていた。
夜、タツヨは宿の窓辺に立ち、静まり返る港を見下ろしていた。
明日の夜明け前には出港する。
リュウジィが流された正確な方角はまだ分からない。
あとはガレムの確かな航海術と、アミリの優れたサーチ能力、そして運次第だ。
そこまで思考を巡らせると、不思議と胸のざわつきが収まり、心が落ち着いていくのが分かった。
やれるべき準備はすべてやった。あとは実際に海へ出て動くだけだ。
焦燥感に駆られながらただ時間を潰していた三日間より、船に乗って探しに行く方がずっとましだった。
ただ待つだけの時間は、タツヨの性に合わなかったのだ。
タツヨは窓から離れた。
ベッドへと身体を横たえ、ゆっくりと目を閉じる。
脳裏にリュウジィの顔が浮かび上がった。
あの男のことだ、今頃どこかの島に流れ着いて無心で三体式でもやっているんじゃないか、とタツヨはふと思った。
そう考えると、少しだけ口元に笑みがこぼれた。
どんな窮地に陥ろうとも、現世から持ち越した武術馬鹿な姿勢だけは崩さないだろう。あいつの揺るぎない強さを思い出すと、胸の重荷が少し軽くなった。
「待ってろ。もうすぐ行く」
窓の外からは、絶え間なく打ち寄せる静かな波の音が響いていた。
翌朝、まだ暗い夜明け前。
第三桟橋には、すでにガレムの船が準備を整えて待っていた。
タツヨたち四人が順に乗り込むと、ガレムは無言のまま手際よく綱を解いた。
船がゆっくりと水面を滑り、港を離れていく。
朝の光が薄っすらと差し込み始めた海原へ向かって、小さな船が静かに進んでいった。
お読みいただき、本当ありがとうございます。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!




